第三十二話「イーサン 1」
イーサンからの厚意で更衣室を使わせてもらえるようになった。
女性騎士も数は少ないが所属しているようで、ちゃんと男女別。
残念なのか幸運なのか判断は悩むところであるが、この時間誰も使っていなかった。
とはいえ、ここでは鏡を見ながら、サザーランド家のメイドに手入れしてもらった髪を解き、動いた時に極力邪魔にならぬよう、後ろで適当なリボンで縛り準備完了。
別に更衣室を使うまでもなかった。
本当は動きやすい服に着替えられればいいのかもしれない。
ただ、あいにく程よく動きやすい服装がなかったのだ。
ローラがいつの間にか俺へと送ってくれた、とても動きやすい、騎士服とでも言えば良い服もあるにはあるのだが、気合が入ったデザインであり、いかんせん目立つ。
あとは学校の護身術の際に、防具の下に着る服もあるが、あくまで防具を着る前提の衣類であり、生地こそは厚いが肌着に近い部類のものなのだ。
これであれば今着ている服でいいと判断した。
この世界にジャージがあればいいのにと思ってしまう。
ローラの伝手を頼れば似たものをつくって貰えるかもしれないが、デザインの点でなんとなく却下、あるいは俺が伝えたジャージとは異なるやたらと華やかなジャージが作られる未来が見えた。
そんなアホなことを考えながら、女子にはあるまじきスピードで身支度を終えた俺は、イーサンに着替えが終わったらここに来るよう指定された場所へと早々と戻り、イーサンを待つことにした。
待つこと数分、廊下の奥からイーサンが姿を見せた。
イーサンはちゃんと騎士服に着替えており、俺の変わり映えしない姿に「おや?」といった様子。
「アリスはその服で大丈夫なのかい?」
「はい、問題ありません。他に持ち合わせもありませんし」
じーっとイーサンの顔を見ながら、どのような返しがくるかを待つ。
そう、更衣室に案内されたというのも変な話だ。
俺は見ての通り手ぶら。
外に出掛けるならいざ知らず、今回は散歩中であり鞄も身に着けていない。
どこに着替えがあるというのか。
それなのに、なぜか当たり前のように更衣室へ案内された。
まぁ、一番可能性があるのは俺の左手に着けているマジックアイテムの存在を知っていたか、あるいは俺の事を色々と知っているかのどちらかだろう。
……別にこの程度重大な秘密ではないが、話してないことも知られているのは存外気持ちよいものではない。
会話の間もなんとか表面上は笑みを浮かべておく。
そんな俺の回答に相変わらずイーサンは読めない表情で「そうか」と一言。
「では、行こうか」
イーサンの後に続いて建物を出る。
◇
(さて、どうしたものか)
頭上にはカンカンと照った太陽。
日が傾いてきたことはわかるがまだまだ暑い時間。
刀を地面にぶっさし、準備運動を行いながら思案する。
屈伸運動や、肩回りを動かしながらなるべく周囲の事を気にしないよう、自身の身体の状況把握に集中、集中っと。
『注目されるのは嫌なのでは?』
(それは突っ込むなよ……。まぁ、こんな見た目だし場違いなことは理解してるよ)
ヘルプからの冷ややかな声に回答しながら身体をほぐしていく。
今いるのは演習場の一角。
ここに来たのはイーサンとの模擬戦のためだ。
しかし想像していた模擬戦とは少々異なる状況に陥っていた。
模擬戦を行うことは確かに了承したが、それは二人だけの極々プライベートなものと考えていたのだが、これが甘かった。
少し考えればわかるだろう、俺のバカと後悔してもすでに遅い。
連れてこられたのは演習場。
うん、これは仕方がない。
思いっきり動ける場所で近場といえば、まさにうってつけの場所。
寧ろこれ以外の選択肢がないといってもいい。
でも、せめてもっと建物の陰とか隅の方であれば騎士の人の邪魔をせずにできると俺は思うのだが、イーサンは当然のようにずんずんと演習場の中央あたりまで堂々とした様子で横切っていったのだ。
もちろんその間、訓練中の騎士からの注目を浴びることになるわけで。
(おいおい、本当に銀狼……? 帰ってくるって噂、本当だったんだ)
(あの隣にいるちっこいのは誰なんだ)
(娘……? でも確か銀狼って子供がいなかったような?)
(髪色が違うだろう。でも、黒髪ってことはまさか……)
(いやいや、剣聖様がこんなところにいるわけないだろう)
(でも確かサザーランド家の養子って)
(え、ということは……本物?)
小声で話している騎士たちの声が聞こえてくる。
王都で『剣聖』としての俺が話題になっているのは知っていたが、ここサザーランド領でも話の種になっている様子。
王都に最も近い街であるのだから、伝わってないはずがないか。
最初は場違いな俺に怪訝な視線を向けていたが、徐々に俺の事を剣聖であると確信するに至ったようで俺に向けられた視線の質が変わるのを感じた。
ただ、準備体操をしている間もあちらこちらから不躾な視線を投げられるのは気持ちいいものではなく、加えて俺は大人数の前に立つことに慣れているわけではない。
剣舞祭の時も経験しているだろうと言われたらそうかもしれないが、あれは観客との距離もあったせいで逆に見られているという感覚が麻痺していた。
「ふぅ……」
地面に刺した刀を右手に握りながら、大きく息を吐くことで少し気持ちを落ち着かせる。
「準備はいいかい?」
一方こういった注目される場に慣れているのだろう。
イーサンは先程と変わらぬ涼しい表情で声を掛けてくる。
「はい」
返事をし、イーサンと2メートルほど距離をあけた場所に立ち、対峙する。
何も知らなければ異様な光景かもしれない。
対峙した中央あたりに先程イーサンがライアンに使いに出させ呼んできた、確かカルキンという名の大男が立つ。
鎧を着こんだ上からでも隆々とした筋肉は隠しきれない。
右目には眼帯をはめており、ところどころ覗く肌には古傷が見える。
まさに歴戦の猛者といった様子。
(明らかに場違いだよな……)
ここまできて嘆いても、すでに遅いのだが。
色々と諦め、今は模擬戦に集中することにし、刀を正眼に構えるのであった。
祝100万ユニーク!
ありがたいことに累計ユニーク数が100万を越えました!
いつもありがとうございます。




