第六話「新任教師 6」
レイがどうしてここにいるのか。
「紹介しよう。新しく初級魔術の担当をして下さる、レイ先生だ。
諸君は非常に運が良い」
ニヤリとルシャールは笑みを浮かべながら隣に立つレイを紹介する。
「国王陛下の計らいで、我が学校に非常に優秀な方を紹介して頂けた。
彼はユグドラシル魔術学園で教鞭を執っていたこともある経歴の持ち主だ」
容姿に目を奪われていた生徒も、ルシャールの言葉に息を呑む。
ユグドラシル魔術学園。
森国の学校であり、王国とは無縁の場所でありながら魔術に少しでも関わったことがあるものであればその校名を知らぬ者はいない。
この世界に一つしかない魔術学園の名を冠する。
魔術を研究する世界最大の機関だ。
そこで教鞭を執っていたという意味は子供の俺達でも十二分に理解できたわけだ。
(というか、その人森国ナンバーツーの人だけどね……)
ルシャールによるレイの紹介に、心の中で突っ込まずにはいられない。
だが、俺が知っていることは当然ルシャールも把握しているはずだ。
ルシャールの言葉を信じるのであれば、紹介――国王陛下からの要請で学校の教師になったといことになるわけではあるが。
(転移陣の修復のためにレイは王国に来たはずだけど……)
こう言っては何だが、レイが王立学校の教師をやるメリットがわからない。
短い付き合いではあったが、未来ある子供たちの役に立ちたいといった熱意ある性格ではなく、どちらかといえば自身に関係ないことには不干渉、関わらない性格とばかり思っていた。
(なんでうちの教師に?)
首を思わず傾げてしまう。
そもそもレイに何かを教えるのであれば俺達みたいな学生の身分相手である必要性がないように思う。
(王国の魔術師を鍛えて貰えばいいのに)
国王陛下の考えがわからない。
頬杖をついて、他の生徒とは違った感想を抱きながらレイを見ていたら、視線があう。
若干冷ややかな感覚。
頬杖をやめ、慌てて背筋を伸ばした。
「さて紹介はこれくらいに留めておこう。君達の貴重な時間を浪費するのはよくないからね。
では、レイ先生。あとは頼みましたよ」
それだけ言うと、ルシャールは入ってきた扉からすぐ出ていく。
教壇の上にはレイのみが残された。
レイが口を開く。
「今日から初級魔術の授業を担当することになったレイだ。
早速授業に入っていきたいと思う。そこの君」
レイは一番前の席に座る男子生徒へと声を掛ける。
指名された子はビクっと肩を揺らす。
「私はこの学校でどのように魔術を教えているのか知らない。教科書を貸してもらえるか?」
「は、はい」
男子生徒は俺も使っている初級魔術の教科書をレイに渡す。
受け取ったレイはパラパラと中身を確認し、すぐにパタンと閉じた。
「なるほど。王国の魔術というものは児戯に等しいレベルということが分かった」
辛辣なコメントに教室の空気が凍る。
だが、この発言に激昂した生徒がいた。
「なんですって!」
メリッサだ。
「貴方、今なんておっしゃいましたの?」
メリッサはレイを睨みつけるが、レイは涼しい顔。
「児戯に等しいといったのだ。ここに書いている内容など、森国では習うまでもない。
そもそも覚える必要さえなことに無駄な時間を費やしていると言えるだろう。
君、教科書を返そう」
何事もなかったかのようにレイは教科書を元の持ち主に戻す。
男子生徒は巻き込まれるのを恐れ、縮こまりながら、静かに教科書を受け取る。
メリッサの怒りは収まらない。
「私達を馬鹿にしていますの?」
「おかしなことを言う。別に馬鹿になどしていない。ただ事実、時間を無駄にしていると言っているだけだ」
「それが馬鹿にしているではありませんか! 貴方はこの歴史ある王立学校で脈々と受け継がれてきたものを児戯と一笑したのですよ!」
レイの眉間に僅かに皺が寄るのが見えた。
「それに児戯とおっしゃられるますが、私達の同級生の中には素晴らしい魔術の使い手がいます。
研鑽を積めばその頂に達せることの証左ですわ!」
「ほお」
へー、そんな人がいるのかと思っていたら。
「そうですよね、アリスさん」
「へ?」
突然話の中に俺の名前が出てきて変な声が漏れた。
教室中の視線が俺に集まる。
居づらい。
視線を集めた状態で座り続けていれるほど強靭な精神はあいにく持ち合わせていない。
ゆっくりと席から立ち上がる。
レイは俺を再度見て、「ああ、いいことを思いついた」とでも言う顔を見せた。
「なるほど。話では伺っていますよ。剣聖殿とお呼びすべきですか?」
レイは俺と初対面であるように振舞う。
何も知らぬ様に。
だが、色々と、俺が元男であり勇者であることも知っている相手。
内心「巻き込まないでくれ!」と悲鳴を上げながらも、表面上はにこにこと応じる。
「この学校では身分など関係なく対等の立場で学ぶ場所。私の事はアリスで構いませんよ」
「そうか。では、アリス。初級魔術の一つ、《水壁》の詠唱句を答えたまえ」
(ヘルプ、助けて!)
『マスター……』
レイの質問がくるや否や、俺は助けを乞う。
何故そんな晒し者にするような質問を!と悲鳴をあげていると、
『君のことだ、きっと詠唱句は覚えていないだろう。悪いようにはしない、答えるな』
レイから念話が飛んでくる。
冷や汗だらだら。
同級生は「なんでそんな簡単な質問を?」と言った顔。
メリッサも念話で言わずとも「さっさと答えなさい!」と無言の圧を放っている。
俺は――
「……お、覚えてません」
やや羞恥で頬が熱くなるのを自覚しながら答える。
これはレイの言葉に乗っただけだ。
決して、覚えていなかったわけではない。
俺の答えに「嘘だろ?」といった視線が突き刺さるのを感じる。
居心地最悪。
「では質問を変えよう。アリス、《水壁》を使ってみたまえ」
「……はい」
軽く掌を前にかざして、薄い水の膜を展開する。
「見事」
レイは軽くパチパチと手を叩く。
「さて、どうやらご自慢の同級生は君達が学んでいることを一切覚えていない様子だが、魔術は発動した。君はこれをどう説明する?」
メリッサに言葉を投げかける。
「そ、それは、アリスさんが優秀であり無詠唱をマスターしているからですわ! 誰にでも出来る芸当ではありません!」
「私も出来るが?」
レイの目の前に一瞬のうちに《水壁》が展開される。
「ッ!! それは貴方も優秀な魔術師だからですわ!」
「なるほど。では諸君らは一生劣った魔術師であるわけだな。因みにこの程度、森国の者であれば魔術を操れるようになって2,3か月で出来るようになる、初歩中の初歩だ」
「なっ……!」
「君達が学んできたことは時間の無駄であったことを少しは理解できたかな?」
レイは淡々と告げ、メリッサは顔を真っ赤に染める。
(座っていいかな……)
俺は魔術を解き、気づかれぬようにソロリソロリと着席した。




