プロローグ
旧帝国領――ガーランド城
ここはかつての帝国の繁栄の証であった城。
その佇まいは今なお帝国の栄華を象徴させるが、豪華絢爛であった内装は今や面影を残さない。
装飾品は取り外され、建物自体に彫られたレリーフを残すのみ。
城の中に踏み入ればどこか無骨な印象を与える。
だがそんな城を、帝国領の復興を命じられた王国の王子であるガエル・アルベールは割と気に入っていた。
従者も付けずに歩くガエルの姿は、王国を出たころよりも若干日焼けし、髪もある程度は整えられているが、赴任して3か月という期間でそれなりに伸びていた。
巷では王族であるにもかかわらず、災厄の被害で壊滅した現地へと行くことになったことに関して父である現国王が「英雄的な働きをした王子の人気を恐れ左遷したのだ」と根も葉もない噂が出回り、ガエルのことを悲運の王子とする者もいる。
また、本人は王都よりも自由の利く帝国での生活自体も悪くないと思っていた。
もちろん不便な点はあるが、それでもどちらかと言えば煩わしい貴族との付き合いがないぶん、総じて今の方がよいと断言する。
(一年前の私では、このようなことを思う暇もなかったな)
そんなことを考えながら目的の部屋へと着く。
元はダンスホールであった場所。
かつてあった入口の重厚な扉はなくなり、人が自由に、そして忙しく行き来している。
王国であれば、ガエルの姿を見掛けたら立ち止まり頭を垂れるという煩わしい一連の流れが行われていたことであろうが、ここではそのようなことに時間を割く愚か者はいない。
当然ガエルもそれを不敬と思うこともなく、「皆相変わらず忙しそうだな」程度の感想しか抱かない。
ダンスホールであった場所には所せましと、廃墟となった帝国各地から集められた、統一性のない机や本棚が並べられていた。
机や本棚により形成された通路を歩き目的地の区画へと向かう。
他よりも気持ち広めの区画。
ガエルの執務室とでもいう場所である。
何故他よりも広いのかと言うと、王族であるガエルに気を遣ったわけではなく、ガエルに回ってくる書類が他よりも多い為、実務的な点から広くなっただけである。
ガエルへの来訪者も多い為、来客用の机と椅子も置いてあるのだが、今はどちらも書類が積まれ、とても客を迎えれるような体をなしていなかったりする。
だが、そんな執務室に先客が座っていた。
「ガエル殿下、お邪魔しておりますぞ」
柔和な笑みを浮かべ、軽い挨拶をする初老の男性。
リチャード・サザーランド。
未だ王国の魔術師のトップに君臨する人物だ。
同時に公爵という地位にあり、ガエルも幼い頃は大変世話になり、実は頭の上がらない相手だったりするのだが。
「サザーランド公、今日はどのような用事で?」
毎日のように、同じ場所に座って出迎えられていたらさすがのガエルも慣れた。
勿論敬意は払うが、何気ないいつもの日常となっていた。
会話をしながら、ガエルも自身の椅子へと腰をおろし、新たに積み上げられた書類の一番上のものを手に取り目を通していく。
「今日はお主の父から手紙を受け取っての。今まさにお前さんが読んでいるやつじゃ」
「……」
無言で目を通していた書類。
確かにそれは見慣れた父の筆跡で書かれたものであった。
半分ほど読んだところで「処置済み」の書類を置くスペースへと追いやる。
「父にはこの帝国の地まで会いに来る変わり者が居ましたら、お会いするようにお伝えください」
「ふむ。ではそのように伝えておこう」
手紙の内容は国の実務に関わることではなく、どちらかというと私的なもの。
ようは早く婚約者を決めろといった内容であった。
「しかし、殿下。そろそろ相手を決められてはいかがですかな?」
「今はそれどころではありませんから。それに父上も、サザーランド公も結婚は私の年よりもだいぶ上だったと記憶しています」
「陛下は少々事情が違いましたからな……。わしの場合はガエル殿下と違いなかなか嫁に来てくれる者が見つからなかっただけですが」
ホホホと笑いながら顎髭をリチャードは触りながら答える。
嫁に来てくれる者がいなかったというよりも、リチャードは若かったころ、当時は公爵家の次男であった為各地を放浪しており、王国にいなかったのが原因というだけだ。
次期当主でないとはいえ公爵家と縁を結びたかった貴族は多いはずであり、候補は山ほどいたはずである。
ようは今のガエルと同じく、このリチャードも婚姻からあの手この手で逃げていたのではと推測できた。
「それに、どこの貴族も飛ばされたと噂される私の元に娘を差し出したいとは思わないでしょう」
「でしたら、うちのソフィアはどうですか? 殿下より年上ではありますが」
「ソフィア様ですか……」
ソフィア・サザーランド。
リチャードの実の娘であり、歳もガエルと近く、幼い頃は一緒に過ごすことも多かったが、十を超えた頃からは公の場で挨拶を交わすくらいの関係となっていた。
「確かソフィア様は婚約されていたのでは?」
「相手が此度の災厄で戦死してのお」
「それは……。ソフィア様もだいぶ落ち込まれているのでは?」
「それがそうでもないんじゃ。元々家の都合で結んだ婚約。本人も了承はしたが、相手の顔を知ってるくらいで思い入れもなかったのか、飄々としておるわ。このままではお主と同じであの手この手で結婚から逃れようとするじゃろう」
「ははは……」
社交界でデビューしたソフィア嬢の評価は社交界の華と讃えられる令嬢の見本と称される素晴らしい方のはずである。
が、確かガエルの知るソフィア嬢は女性としては非常に活発な方であったと記憶している。
リチャードの言葉の端から何となく当時の面影が覗いた気がした。
「魅力的な話ではありますが、私とソフィア様が婚姻を結ぶとなると、他の貴族の反発は必至。今の王国は身内で争っている余裕はありませんから。残念ですが実現するのは厳しいでしょうね」
やんわりとガエルはリチャードの提案を却下する。
「めんどくさい連中じゃな」
リチャードは溜息をつきながら、自身の手元に自然な動作で魔術を行使し、ティーカップを棚から移動し、湯を沸かし、茶を注いでいく。
自身の前と、ガエルの前にも茶が注がれたティーカップが滑るように移動し、机に置かれた。
「いただきます」
婚姻の話から積み上げられた書類の精査にはいろうと切り替えるために、茶を口に含む。
「そこで儂は養子のアリスをお主の婚約者にどうかと思うんじゃが?」
「……っ!?」
リチャードの唐突な言葉にお茶を噴き出しそうになるのをなんとかガエルは堪えた。
そんなガエルの様子に気付いていないのか、リチャードはなおも言葉を続ける。
「確かにソフィアとの婚約となると貴族連中の反発は必至であるが、今や剣聖と名をはせ、国民の人気の高いアリスであれば貴族連中も承諾するしかあるまい。家柄の問題も公爵家の養子であれば問題なかろう。それにアリスと一年一緒に旅した仲じゃし、お主も嫌いではなかろう?」
(そもそもそういう問題ではないのだが……)
ガエルはアリスの元の姿を知っている。
しかし、不幸な事にリチャードはアリスが元勇者であることは見抜いたが、元の姿が男であることを知らない。
勇者ナオキという像はアリスの存在を隠すための虚像の存在と思っているのだ。
(折を見て真実は話した方が良いのであろうが……)
というより何処かで話しておかねば、ガエルの知らぬところで本当にナオキとの婚姻が成立しかねない。
ナオキが男でさえなければ、王国としても悪くない婚姻であることを理解できてしまうからだ。
故に、アリスの正体を知っている父がそれを承知の上で婚姻を認める可能性がゼロでないことがわかってしまう。
寧ろ父が余計なことをしでかす前に、そういう意味では早く婚約者を見つけなければガエルも、そして友であるナオキも不幸になる未来が見える。
(しかし、問題は……)
「そうそう。そう言えば、そのアリスから儂宛に手紙が届いたんじゃ!」
嬉しそうにどこからか一通の手紙を取り出して見せる。
どうやらリチャードは孫のような年齢のアリスを優秀な魔術師としてでだけでなく、娘として非常に可愛がっているのだ。
「それは良かったですね」
ガエルは表面上はにこやかに応じながら、自身に迫る問題についても真剣に考えねばならないなと頭を悩ますのであった。
お待たせしました、新章開始です!
次話からアリス視点に戻ります。
今回の章より、少し構成を変更し、これまで一話ごとにサブタイトルを付けていましたがある程度まとめて題名を付けさせてもらいます。




