第二十八話「仕事開始」
「いってらっしゃいませ」
屋敷の玄関。
アニエス一行が馬車に乗り、正門を出ていくのを俺はメイドの一人として見送る。
他の者にならって、礼をしていると隣からおしゃべりしている声が耳に聞こえてきた。
(ねえねえ、姫様と一緒に来ていた人がお客様?)
(そうみたい。さっきラフィ様って姫様が呼んでたから、災厄から王国を救った英雄の一人である、あのラフィ様で間違いないと思う)
(ええ! 超有名人じゃん! 何でこんなところに)
(長耳族の方だから、こっちが地元なんじゃない?)
(あっ、そっかそっか)
ローラの部下と聞いていたので、すごくピリっとした職場を想像していた。
ちょっと肩透かし。
ただ、思ったより気楽にメイドとして働くことができそうだと感じる。
内心少しホッとした。
「あなた達おしゃべりはおしまいよ」
馬車が見えなくなったところで顔をあげ、エマが手を叩きながら言う。
「さて、アリス。仕事に取り掛かる前に簡単な自己紹介をしておきましょう。私の名前はエマ、今日からよろしくね」
三人の中では最も背が高い少女。
身体は成長し、少女から大人へと変わった年頃に見える。
エマは他の二人に比べて二つ、三つ年が上であろうと予想した。
今も自然と、この場を仕切り始めたことからもローラの不在時はこのエマという名の少女がローラの代役をこなしているのであろう。
「よろしくお願いします」
お世話になる先輩に対して俺はぺこりとお辞儀をする。
顔をあげると、何故だか不思議な生き物を見るような目を三人から向けられていることに気づく。
(何かまずかったか……?)
首をかしげながら思考を巡らせるが、短い動作の中で何が悪かったのか皆目見当もつかない。
「……あ、えっと一応アリスの方が家柄も上だけど、ここでは皆同等の立場であることを忘れないように」
「はい」
この屋敷内で新人である俺は色々と教えてもらう立場であり先輩の言うことはしっかりと聞くつもりだ。
俺は素直に返事をした。
(何だか凄く良い子そうだよ)
(フィオナ、まだ油断しちゃダメよ)
ヒソヒソとこちらを見ながら小声での会話。
俺にも聞こえているが。
会話から察するに、
(警戒されてる……?)
勇者として召喚された時は不審者を見るような視線を向けられたことがあったが、この姿になってからはあまり経験のないことであった。
(もしかして愛想が悪かったかな……)
先程の挨拶を思い出してみると、羞恥心からいささか表情が硬かったかもしれない。
ローラなどは常に微笑んでおり、俺からすると何を考えているか読めないその表情に若干の苦手意識を持ってはいるが、対話する時に限れば、非常に話しやすい。
アニエスにしても普段の振舞いを見ていると、基本笑顔。
様々な人物と接せる機会の多い二人だ。
きっと初対面でも親しみやすさを感じられるように笑顔で接することは処世術なのだろう。
そういう意味では俺の初顔合わせの時は失敗だったのかもしれないと反省する。
子供らしくにこやかに自己紹介していれば状況は変わったかもしれない。
ただ、今更にっこり微笑むというのもおかしい気がしてしまい、結局今は素の表情で接するしかなさそうだ。
エマによる紹介が続く。
「こちらがシンディ」
「シンディだよ、よろしくね」
手をこちらに振りながら挨拶してくれた。
フランクな性格の少女のようだ。
警戒されているかと思ったが、シンディの瞳には好奇心というものが滲み出ている。
小さく礼をして応じる。
「で、こちらがフィオナ」
「フィオナです。よろしくお願いします」
シンディとは対照的に、メイドのお手本のような礼と共に名乗った少女。
大人しそうな性格で、こちらは先程と変わらず俺のことを警戒しているように見えた。
(警戒というよりも緊張してる……?)
もしかしたら彼女がこの中で、俺を除けば一番の新参者なのかもしれない。
そう考えると緊張しているのも頷ける。
「先程ローラさんから話もありましたが、今日はフィオナがアリスの面倒を見ます。アリスはフィオナの言うことをよく聞くように」
「はい」
◇
三人での仕事は明確に役割分担がされていた。
午前中はエマが一階の掃除全般、シンディが洗濯関連、そしてフィオナは客室の掃除だ。
二階にあがり、使用している客室の掃除を開始する。
まずはシーツ替え。
シーツを二人でひっぺがして、持ってきた籠に入れる。
そして下の階で洗濯を担当しているシンディの元へ運ぶ。
使用している客室は俺の部屋、ラフィの部屋、アニエスの部屋と三室のみ。
メイドであるローラや他の三人はどこで寝泊まりしているのだろうと疑問に思いつつも手早く与えられた仕事をこなしていく。
「あ、あの、重いようなら私が運ぶから無理しないでね?」
元気よく白いシーツを籠に突っ込んで廊下を歩いて階段を降りていると、心配そうな表情でフィオナが声を掛けてくれる。
低身長の俺が腕一杯に、籠に抱きつくような姿勢で運んでいる今の姿は、確かに俺の指導役として命じられたフィオナからすれば非常に危なっかしく見える光景なのかもしれない。
ただ、見た目通り以上の力を内包しているこの身体では、シーツが幾枚積み重なったところで重さを苦にすることはないのだ。
唯一の問題は視界が非常に遮られることくらいだろう。
階段を降りるときに足元にさえ気を付ければ楽な仕事だ。
なので心配してくれたフィオナには安心させるために、笑顔を取り繕いつつ返事をする。
「はい。大丈夫です」
「そ、そう。でも無理はしないでね? 怪我とかしたら大変だし」
「はい」
本当は廊下を全力ダッシュして速攻で往復したいところだが、流石にそれは自重し、トテトテと今の姿に見合った歩幅でシーツ回収の任を終えた。
「えと、次は窓ふきをしてみようか」
この屋敷の客室、無駄に窓が多い。
「普段から掃除してるので、そんなに汚れてはないと思うけど。今日はまずこの窓をきれいにしてもらっていいかな?」
客室に供えられた机に最も近い位置の窓で、外の空気を吸いたいときにここを開け閉めすると思われる、一番使用頻度の高そうなところだ。
「もし、ここが終わったら隣の窓を。背が届く範囲でいいのでお願いできる?」
「はい。わかりました」
「もし何か困ったことがあったら、私は隣の部屋を掃除してるから」
シーツ運びの次は窓ふき。
すでに素人の俺からすればピカピカに磨かれた窓に見える。
触ってみると、そこに俺の指紋がついてしまったので慌てて汚した箇所を磨く。
ゴシゴシ、ゴシゴシと既にピカピカに見える窓を意味があるのか疑問に思いつつも真面目に磨いていたが、ふと身体を綺麗にする《浄化》の魔術を使えば窓も綺麗にできるのではと思った。
手をかざし窓に《浄化》の魔術を発動しようと試みたが不発。
ならばと手に持っているふきんに《浄化》の魔術をかけると、こちらはちゃんと発動し、淡く発光した後、少しふきんが先程よりも綺麗になった。
(ふきんに《浄化》の魔術をかけながら、そのふきんで窓を磨けばどうだろう?)
やってみたら試みは成功した。
しかも磨いても、効果がないと思った窓が、《浄化》を付与した状態のふきんで磨くと新品のような光沢を取り戻す。
欠点は《浄化》の魔術を発動し続けた状態にしておかないといけないことだが、掃除しながら魔術を発動する練習にもなって一石二鳥だ。
ついでに風魔術を並行して発動させ、背の届かない場所は魔術操作によって掃除を行うことにした。
(あ、案外難しい)
距離感やら魔力の調整を誤まるとふきんが思った位置にいかなかったりするが、時間を掛けるうちにだんだんと慣れてきた。
最終的には窓から一歩離れた位置に立ち、魔術操作で窓を磨いていった。
「あ、アリスちゃん?」
と、ちょうど最後の窓を磨き終えたところで後ろから声がかかる。
フィオナだった。
「え、ええと……」
困惑した表情のフィオナは俺が担当している部屋を見渡して言葉を続ける。
「すごく、綺麗になってるね……?」
「はい。がんばりました」
ここは素直に頑張りましたアピールをしとくのがいいだろう。
俺は笑顔で、ふふーんと胸を張りながら自分の仕事の成果を主張するのであった。




