第三十三話「英雄の一人」
一撃で白い敵を葬った小さな後ろ姿をエリーヌは凝視する。
(一体なにが……?)
目の前で起きた出来事が信じられない。
「大丈夫ですか?」
振り向き、エリーヌを心配してくれる少女は間違いなくアリスであった。
「う、うん。ありがとう」
目を二度、三度、瞬かせた後にようやく声を発することができた。
(でも、なんでアリスちゃんが?)
年端も行かない少女。
特徴もないごくごく一般的な服を身に纏ってはいるが、握っていたのは、身長よりも長い剣。
遅れて少女の相棒である魔物がバサバサと両翼を羽ばたかせ、アリスの頭にのっかる。
「今のは何なの?」
アリスは上目遣いで問う。
誰に対する問いかけなのかと咄嗟に思うが、すぐにその疑問は解決した。
問われた相手が答える。
「さぁ。僕にも分からないよ」
一瞬、どこから声が発せられているのかがエリーヌにはわからながったが、それが青い身体から発せられていることに気付く。
そう、アリスの頭上に座る魔物がしゃべったのだ!
驚くエリーヌ。
だが、アリスの魔物が話すのは当然のことであるかのように一人と一匹は会話を続けている。
恐る恐る会話に加わろうかと思ってると、再び後方から戦闘音が聞こえ、はっとする。
「まだ、いるっぽいね。加勢したほうがいいのかな?」
落ち着いた口調で、戦況を見定めるようにアリスは音のする方へと視線を向けた。
「どうもこの霧、魔力を帯びてて気配も察知しにくいね。
僕も状況がよくわからないや」
「取り敢えず……」
アリスは先程、白い敵によって吹き飛ばされたフロストの側へと駆け寄ると、右手でフロストに触れる。
淡い光がフロストを包んだ。
エリーヌにはそれが治癒魔術であることがわかった。
少し苦悶の表情を浮かべるが、すぐに表情が落ちつく。
強烈な一撃を受けたフロストは骨が折れ、声を上げることも、起き上がることもできなかった容態であったはずであったが、アリスの治癒魔術により一瞬の間に回復したようである。
エリーヌでも驚くべき効果であったが、治癒魔術師であるフロストの驚きはそれ以上のものであった。
地面に転がっていた体勢からゆっくりと起き上がる。
信じられないといった様子で自身の身体を触り、再確認し、ようやくアリスへと礼を述べねばというところまで思考が至る。
「たすかりました……」
「どういたしまして。
ちょっと情報が欲しいんだけど、さっきの白い魔物がどういったのか知ってますか?」
驚くべき治癒魔術であったが少女にとっては、どうということはないのだろう。
誇ることもなく、淡々と会話を進める。
暫し思案し、フロストは口を開く。
「いや、あんな魔物は聞いたことがない。エリーヌもそうだろう?」
話を振られた、エリーヌもコクコクと頷く。
「うん、知らない。それに矢も効かなかったし……。
あれ? でも、アリスちゃんの剣では普通に斬れてた?」
質問に答えていた筈がいつのまにか疑問形に変わる。
「僕の推測だけど、あの白い奴らは精霊に近い存在に思える。
だとすれば単純な物理攻撃が効かないというのも納得がいく。
アリスの剣は火精霊の加護が付いてるから通用したんじゃない?」
「なるほど」
アリスと青が会話を繰り広げていると、ラフィも遅れてこの場へ登場した。
開口一番、
「ここは私が見るから、前に加勢したほうがいい」
「うん、そうだな。ここはラフィに任せた」
「ン。任せて」
短いやり取り。
一度、アリスはエリーヌの方へと向き直る。
「エリーヌさん、矢筒貸してください」
「は、はい」
まだ半ば放心状態のエリーヌは、言われるがままに矢筒を差し出す。
受け取ったアリスは小声で「えと、どうやるんだったかな」と一瞬難しい顔をするが、
「えい」
可愛らしい掛け声と共に矢筒が赤い光に包まれた。
「うん。成功かな?
火精霊の加護を付与したので、これで戦えると思います」
「あ、ありがとう」
「それじゃ、ラフィ、あとは任せた!」
アリスはそう言い残すと驚異的なジャンプ力で、青を頭に載せたまま霧の中へと消えていった。
「あ、アリスちゃんを一人で行かせて大丈夫なのでしょうか?」
この場にラフィが残ってくれたのはありがたいが。
今更のように、英雄の一人、ラフィへと問いかける。
剣を振り、治癒魔術を行使し、更には付与術を何気なく扱っており、駆け出し冒険者であるエリーヌでも、さすがにアリスが只者ではないとわかりはしたが、やはり見た目が幼げな少女。
心配せずにはいられない。
「心配ない。この場にいる中で一番強いのはアリスだから」
消えていった霧の方へとラフィは目を向けたまま言う。
その言葉には心配する様子は一切みられず、確かな信頼を感じた。
だが、何も知らないエリーヌはラフィの言葉を鵜呑みにはできない。
冷静に考えても、知名度のあるラフィよりもアリスの方が強いとは到底思えなかった。
ラフィはすっと視線を外しエリーヌを見る。
「私達は自分だけの心配をすべき」
「それは……」
ラフィの言葉はすぐに現実のものとなる。
白い霧から先程と同じ白い敵が、咆哮をあげることもなく、ただこちらを赤い目で凝視し、不気味に突撃してきた。
(まずい……!)
エリーヌは焦る。
貴重な存在である魔術師。
魔術師がいる際の基本戦術は魔術師が詠唱する時間を他のメンバーで稼ぎ、高威力の一撃を叩きこむというものだ。
いくら英雄に数えられる魔術師とはいえ、魔術師はあくまで後衛。
詠唱の時間がなければ、どんな優れた魔術師も本来の能力を発揮できない!
そして運の悪いことに、白い敵は立ち位置で最も近いラフィへと一目散に突撃を仕掛けていた。
「……ッ!」
咄嗟に矢筒から矢を抜き構える。
(間に合わない!)
衝突する。
凛とした声が響く。
「《氷盾》」
瞬く間にラフィの前で、氷の盾が敵の動きを遮る。
明らかに詠唱を省略した、咄嗟の魔術。
先程のフロストと同じく、防御魔術は永く保てないと思った。
だが、エリーヌの予想は間違っていた。
氷の盾は砕けない。
壁となり、白い敵の攻撃を完璧に防いでいた。
「水よ集え、凍てつき収束せよ《氷槍》!」
そして防御魔術を展開したまま、ラフィは次の一手を紡ぐ。
氷の槍が白い敵を突き穿つ。
霧散する。
だが、敵は一体ではなかった。
霧から産み落とされたかの如く、煌々と赤い目がこちらを捉えていることに気付いた。
「……っ!」
恐怖に負けそうになる自分を叱咤しながら、エリーヌは構えていた矢を放つ。
矢は狙い通り一直線に飛び、赤い目を貫いた。
それはエリーヌの想像以上に威力を秘めており、アリスが付与した術の効果に驚く。
これなら戦えると、気持ちを入れ直すが、数が多すぎる。
(この数はさすがのラフィ様でも防ぎきれない!)
心の中で悲鳴をあげる。
まだ弓術士とし未熟なエリーヌでは一射してから次の敵を狙うまでにどうしても時間がかかってしまう。
フロストもガタイはよくとも、職は治癒術師であり、前衛で戦う職ではない。
この場には時間を稼いでくれる前衛がいないのだ。
馬で逃げ出したい衝動に駆られる。
それでもエリーヌは次の矢を手に掴む。
だが巨大な敵を前にしてもラフィは一切怯むことはなかった。
ラフィが、すっと地面に手をかざす。
「《氷槍よ、突き穿て》!」
地面から複数の氷槍が出現。
殺到した白い敵を穿つ。
突き穿たれた敵は霧散し、その場にはラフィが顕現させた氷槍だけが幻想的に残るのみ。
(これが英雄と呼ばれる方の魔術……!)
今までエリーヌが見てきたどの魔術よりも綺麗で、そして圧倒的であった。




