第二十二話「ラルフロイの泉」
ラルフロイの泉。
王国の南部、ハーバー砦の手前に小さく記された泉である。
少し気まずい沈黙の中、アリスちゃんは、兄さんの死については言及せず、変わらぬ様子で私に話しかけてくれた。
「ラルフロイの泉って有名なの?」
アリスちゃんの疑問は最もであった。
周囲には大きな街もなく、主要な街道を逸れ、少し森の中を進む必要がある場所にひっそりと記された場所。
そこにわざわざ私は「行きたい」と言ったのだ。
有名な場所と思うのが自然な流れだろう。
そんなアリスちゃんの疑問に、人差し指を顎にあて、首を傾げながら否定する。
「んー、そんなに有名ではないかな」
多分、王都の人に「ラルフロイの泉って知ってますか?」と尋ねれば、ほとんどの人は首を横に振るだろう。
「泉を中心にした地図がわざわざあるのに?」
「それは兄さんが創ったものだから」
苦笑しながら答える。
「あっ、そっか。あまりにも出来がいいから、さっき聞いたばっかなのに忘れてた。
んー、でも有名ではないけど、わざわざミシェルちゃんが行きたいって言った理由はあるんでしょう?」
「それは秘密」
私は悪戯気な笑みを浮かべ、付け加える。
「すぐに分かるから」
◇
誰が建てたのか。
道の終点。
”ラルフロイの泉”と書かれた木の標識が建てられていた。
「ここだ……」
私はそれを確認すると《光明》の魔術を解除する。
光球は暗闇に溶けて消える。
「こっち」
アリスちゃんの手を引きながら更に進んでいく。
自然と無言になる。
歩く足音と、虫の音色だけが耳に届く。
頼りない星明りも、進むにつれ木々に遮られ、より一層闇を深める。
そして目的地に着いた。
立ち止まる。
そこが私が見たかった場所であることを疑いようがなかった。
「――っ」
隣のアリスちゃんから息をのむ音が聞こえてきた。
暗闇の先、現れたのは地上の星空であった。
ほわほわと舞う色とりどりの光。
私が見てみたいと思った、兄さんから聞いた通り、うんうん、想像を上回る景色がそこには広がっていた。
「精霊……?」
「あははは、アリスちゃんはロマンチストね!」
「むっ」
なるほど。
精霊という表現は的確かもしれないと私は感心する。
しかし、普段の澄ました表情とのギャップ。
可愛らしい表現に思わず笑ってしまった。
「ごめんごめん、ちょっと思わず笑っちゃった。うん、精霊って表現は素敵ね」
「むー、何だか納得いかない」
「拗ねないで、ごめんってば」
私は兄さんからラルフロイの泉で「地上に最も近い星」が見られると教わった。
そして星の正体も。
「この光はね、ニジホタルって生き物が発している光なんだって」
「ニジホタル?」
「そう。他の綺麗な水が流れる川とか泉でもニジホタルは生息しているけど、この数が見れるのはこの場所だけみたいよ。
兄さんが昔、たまたまこの辺りに住む人に教えてもらったとか。
知る人ぞ知る場所ね。
でもほんと、アリスちゃんの言う通り、精霊って言われたら信じちゃいそう」
泉の上で舞うニジホタルの光は、水面にも映り込み、幻想的な光景を創り出す。
二人で泉のほとりに並んで座り、ひと時として同じ光景を描かない星空を眺める。
今回の目的、
「やっと兄さんが誕生日プレゼントに見せてくれるって約束してくれたものを受け取ることができた」
本当は二年前に貰うはずだったプレゼント。
一緒に見に来るという約束は破られたけど。
「……アリスちゃん、連れてきてくれてありがとう」
「んっ」
アリスちゃんは短く返事をする。
「あれっ、誕生日プレゼントってことはミシェルちゃんの誕生日はいつなの?」
「今日よ」
「えっ、今日なの?」
私の発言にアリスちゃんは驚く。
そう、偶然にも今日は私の誕生日であった。
例年通り、王都にいれば父さんが盛大に誕生日パーティーを催していたことだろう。
だが今年は商人見習いとして隊商に同行することを選んだ。
今朝起きた時にテオは「おめでとうございます」と一言祝ってくれたが、それだけ。
……少し、誕生日プレゼントとしてラルフロイの泉に連れて行ってくれと頼もうかとも考えたが、そこは大人な私。
我儘を言うのはよくないと自制した。
結局、私の我儘にアリスちゃんに付き合ってもらっているので、我慢できていないが。
「ごめん、知らなかった。あぁ、どうしよう。何かあげれるものは……」
そんなつもりはなかったが、私の何気ない告白に、アリスちゃんは可愛らしい顔の眉間に皺をよせながら、うんうんと悩み始めてしまった。
私の誕生日を知らないのは当然のことなのに。
「うんうん。アリスちゃんのおかげでこの光景を見れたんだから、これ以上何もいらない……」
と言いかけたところで私の発言は止まる。
好意はありがたく受け取れ。
父さんがよく口にする言葉だ。
私の中のいけない声が囁く、「もらっとけ」と。
「ねえねえ、アリスちゃん。なら私のお願い事をもう一個だけ叶えてくれない?」
「私にできることであれば」
「本当! なら私、アリスちゃんの剣舞が見たいわ!」
「えっ?」
「私、まだアリスちゃんの剣を見たことがないなーって」
「いや、それは……」
「商会に来るお客様のここ最近の話題は『剣舞祭』ばかり。
見たことはないのに、アリスちゃんの剣がいかにすごかったのか、聞かない日はなかったくらい。
でも本当の剣舞を見たことがないの!
お願いアリスちゃん、駄目……?」
ちょっとずるいかなと心の中では懺悔しながらも、押しに弱そうなアリスちゃんに迫る。
少し困った表情をし、私のお願いには難色を見せていたが、最後には――
「……私の剣舞でいいなら」
と了承してくれた。
「でも、本当に期待しないで。
どんな風に語られているか知らないけど、すっごーい誇張表現されてるから。
がっかりしないでね」
「わーい」
私は手を叩き、アリスちゃんの言葉を歓迎する。
「うぅっ……、剣舞なんてしたことがないよ」
と小さな声で呻いていたのは聞こえなかったことにする。
アリスちゃんは渋々といった表情で、ゆっくりと立ち上がり、ほとりをそって歩く。
私と少し距離を取る。
膝を抱え、一挙動も見逃すまいと注目する。
すっと息を吸う音が一度だけ聞こえた。
何だか空気が変わったように感じる。
腰に吊るした剣がいつ抜かれたのか。
気付いた時にはアリスちゃんの正面に構えられていた。
――その先の光景を私は一生忘れることがないだろう。
◇
剣舞なんてやったことがない。
ミシェルの願いに俺はほとほと困り果てた。
最後は、「ええ、ままよ」と引き受けてしまったが。
剣舞と言われるものがどのようなものかわからない俺は、以前ジンに見せてもらった"タチバナ流"の型を思い出しながら披露することにした。
果たしてミシェルの眼にはどう映ったか。
無様なものであったかもしれないが、そこは許してほしい。
「ふう」
覚えている一通りの型を終えた俺は一息つき、刀をしまった。
そして、ミシェルの方に目をやる。
「あらら」
思わず苦笑する。
食い気味に熱弁していたミシェルであったが、疲れからか。
泉のほとり、身体は横に倒れ、静かな寝息を漏らしていた。
(夜も遅いし、さっきまでずっと歩いていたし、十一歳の女の子相手に剣の型を見せても、そりゃそうなるよな)
ミシェルの側にゆっくりと歩み寄る。
と、その時。
『マスター、違います! これは魔術によるものです!』
ヘルプの警告。
何故、ミシェルをという疑問。
同時に、
「っ……!」
閃光が迫る。
俺を狙った魔術による攻撃だ!
咄嗟に刀を振り払い、魔術を打ち消す。
「誰だ!」
奇襲攻撃をしかけるような相手。
返答を期待する問いかけではなかったが。
「さすがは剣聖殿。お見事」
声が返ってきた。
前方の樹の影から声の主が姿を現す。
「ただ、探知の方はまだまだのようですね」
現れたのは、レーレ・レヴィーと名乗った冒険者であった。
次回更新予定 10/27(土) 15:00頃




