第十五話「旅立ち」
アルベール王国の内円の東側に位置する地区は「学区」と呼ばれている。
その地区の大部分を占めるのが王立学校だ。
王国の優秀な人材を育成するために設立された学校であり、身分問わず成績が優秀であれば門をくぐることが許され、完全寮制であるこの学校で十三歳から五年間、多くの生徒が親元を離れ一人前になるべく勉学に励むのである。
俺はリチャードに連れられ初めて王立学校の敷地内に入っていた。
先日、リチャードに王立学校に入ってみないか?と尋ねられた。
特に勉学が好きなわけでもないがリチャードに畳みかけられるように「入学すれば王立図書館にある魔術書が読み放題じゃぞ」という甘言に惑わされた。
「師匠、王立学校って入学するのは確か十三歳ですよね?
私、今十歳ですよ?」
そう、この世界で俺を悩ますのが、十歳となってしまったこの身体である。
おかげで冒険者ギルドにも登録できなかった。
よくよく考えたら俺は王立学校に入学する条件を満たしていない。
……アニエスの勉強会に顔を出してはいるけど、できるのは算術くらいだ。
魔術のペーパーテストなんてあったら解けない自信がある。
しかし俺の懸念など問題ないとばかりに、リチャードは「わしにまかせろ」と告げた。
仕事をしているのか怪しいが、流石に俺もリチャードが王城内に毎日入り浸るくらいには偉い人物だというのはわかっていた。
今日も俺は昼から中庭で魔法陣を棒でかりかり描いていた。
リチャードがいつも通り訪れた。
ただリチャードは軽く散歩に行くような気軽さで俺を王城から馬車で連れ出し、着いたのが王立学校であった。
「おお!」
馬車の窓から王立学校の全容が見え、俺は目を輝かせる。
十三歳くらいから通う学校と聞き、イメージしていたのは前世の高校みたいな学び舎が立ち並ぶ風景だった。
実際は3つの大塔を背景に複数の小塔が立ち並ぶ城のようであった。
「アリスが行きたがっておる図書館は一番西側の大塔じゃな。
下の階層は全生徒にも公開されておるが、上に行くにつれて閲覧制限がかかっておる」
「閲覧制限ですか」
「そうじゃ。
上に行けば行くほど危険な魔術が書かれているものも増える。
一番上の書物を読もうとすると王立学校の校長と、図書館を管理する司書長の許可が必要じゃ」
馬車が止まる。
リチャードが馬車を降りるのに続いて俺も降りる。
「そういえば今日は突然連れてこられましたけど、図書館を見学できるのですか?」
俺は行先も目的も聞いていなかった。
突然王立学校に連れてこられたのである。
「何、アリスに王立学校への入学試験を受けてもらうだけじゃ」
「はい?」
ナニソレキイテナイ。
リチャードは建物に入っていき、俺も慌てて後についていく。
「ちょ、ちょっと待ってください!
私、勉強とか何もしてませんよ!?」
動揺する俺をよそにリチャードは歩をどんどん進めていく。
廊下を進み階段を登り廊下進み階段を登るという動作を何度繰り返しただろうか。
リチャードが扉の前に立ちノックをすると、中から「入りな」と声が聞こえた。
リチャードが中に入り、俺も続く。
「何だ、じじいか」
片眼鏡をかけた赤髪の女性が座っていた。
リチャードを見るなり顔が歪んだ。
美人な顔が台無しである。
「会うなりじじいとは……。
まぁいい。
今日は例の子を連れてきた」
「その子が……」
赤髪の女性はリチャードの言葉を聞くと、刺すような目つきが俺を捉えた。
緊張して身がすくむ。
が、ふと視線がやわらいだ。
「うん。いいよ合格だ。
私の名前はハンナ・ルシャール、こう見えてもこの学校の校長だ。
過去に十歳での入学の例はないが、才能ある子は歓迎する」
立ち上がり、俺へ手を差し出してくる。
事態を飲み込めないが、おずおずと手を差し出されたその手を握り返した。
「あ、アリスです。
よろしくお願いします」
「後見人はじじいでいいのか?」
「ああ、わしでいい」
「そうか。
なら、アリス。
今日から君はアリス・サザーランドと名乗るがいい」
え?という顔でリチャードを見る。
「はて、言うてなかったっか?
わしの名前はリチャード・サザーランド。
こう見えても王国の宮廷魔術師じゃ」
悪戯の成功した子供のようにリチャードは笑っていた。
(おかしいと思ったよ!)
◇
俺は正式にサザーランド公爵家の養子となった。
優秀な弟子を養子にすることはこの世界ではよくあるそうだ。
俺の設定は「勇者一行に助け出された災厄の生き残り。魔術の才能をサザーランド公爵に見出され、弟子となり養子として迎え入れられた」といことになった。
これはガエルも交えて三人で話し合った設定だ。
ガエルはリチャードを恨めし気に見ていた。
その時に教えてもらったがもうすぐガエルとリチャードはガーランド帝国に向けて旅立つらしい。
災厄で勇者一行として功績をあげたガエルを頭に、復興のために数年国を離れるとのことだ。
リチャードもその準備のため、最近は忙しそうだ。
午後の魔術勉強会もなくなった。
その代わりにアニエスと過ごす時間が多くなった。
アニエスも王立学校の試験に無事合格し、勉強から解放されたこともあり、俺に四六時中くっついている。
もうすぐ会えなくなるアリス分を補給しているのだとか。
(実は俺も王立学校に入るのだが、これは会うまで黙っとこ)
驚くアニエスを思い浮かべ、ほくそ笑む。
月日はあっという間に流れ、ガエル達が旅立つ日が来た。
その日の朝、ガエルがリチャードを連れて俺のもとを訪ねてきた。
「アリス、俺はこの国に暫く帰ってこられない。
借りばかり作っていて申し訳ないが、何かあった時はこの王国を守ってくれ」
「快適な衣食住を提供してくれた分は返すさ。
ガエルが十年も二十年も帰ってこないと困るけど、五年は王立学校に通うからその間は任せろ」
笑いかけると、ガエルも肩の荷が少しおりたようだ。
「勇者様とよんだほういいかのお?」
お道化た口調でリチャードも俺にしかける。
「アリスでいいですよ師匠。
それとも父上と呼んだ方がいいですか?」
リチャードはその言葉に笑い、俺もつられて笑った。
「師匠といっても元からわしより遥かにアリスのほうが優れた魔術師であったわけじゃが」
リチャードは一本の杖を差し出す。
「エルフの森にある世界樹の枝から作られた杖じゃ。
師匠から一人前になった弟子に杖を渡すのが慣例でのお。
受け取ってくれ」
「ありがとうございます、師匠」
俺は杖を受け取った。
その日、アルベール王国軍がガーランド帝国復興のために派兵した。
アーカーシャ山脈を越えると、魔物の巣窟となっていると噂されている。
彼らがいつ帰ってくるのか、無事に帰ってこられるかはわからない。
俺は北門に消えていく彼らの背中を見えなくなるまで見送った。




