第五十九話「綻び」
(どうする……?)
逡巡する。
目の前の男が、今回の人攫い事件に何かしら関わっているのは間違いないだろう。
しかし、まだ後ろに誰かいる可能性も否定できない。
男は身体をこちらに向け、ゆらりと近づいてくる。
その様子に、助け出した少女は怯え、俺の身体に強く抱き着く。
落ち着かせるために、少女の瞳を覗き込みながら、俺は力強く言葉をかけた。
「大丈夫」
その言葉で、初めて少女は俺の顔を見た。
怯えた瞳に俺の姿が映る。
しかし、安心させようとした俺の企みは失敗した。
安心させるつもりであったが、より泣きそうな表情で俺を見つめてくる。
それもそうか。
目に映った俺の姿は、明らかに自身よりも幼い姿であったからだ。
だが、自分以外にも誰かいることに安堵したのか、先程よりは怯えが緩和されたように見える。
少女は声を絞り出す。
「に、逃げなきゃ」
その通りだ。
少女だけを連れて、この場から離脱するのは可能だろう。
しかし、この部屋にはあと四人攫われた子供がいる。
連れて帰るには、どうしても目の前の男は障害となる。
(俺が介入してしまった時点でアレクが計画していた作戦は破綻してしまった。
せめてこいつから情報を引き出さないと)
ここで子供たちを助け出すために、逃げを選択してしまうと、人攫い事件の捜索は再び闇の中。
俺も力を見せてしまえば、相手も当然警戒するはずであり、同じ作戦は実行できない。
選択肢として、この男を捕えて情報を聞き出すしかなくなっていた。
「逃げますか?
それもいいかもしれませんね。
私も狩りを久しくしていない!
だが逃がしませんよ?
特にそこの黒髪のあなた」
笑いながらも鋭い双眸を俺へと向けてくる。
少女を助け出すために、力の一部を見せてしまったのは失敗だった。
男は余裕そうな態度とは裏腹に、油断なくこちらの挙動を見ている。
更に、俺達を運んできたアンデッドもじわりじわりと距離を詰めてきていた。
(だが、今ならまだ油断している)
本当に男が俺を警戒していたのであれば、ここでの正解は攫ってきた子供を人質にとることであった。
俺は抱いていた少女を地面に下ろし、背中で隠す。
男はその様子を面白そうに眺める。
「だ、だめ……!」
少女も俺が何をしようとしているのか察し、背中の服を掴み、引き留めようとするが。
「大丈夫」
もう一度同じ言葉を微笑みながら、その手を握り返した。
「お別れの挨拶はすんだかい?」
悠然と男は鉈を持ちながら、語り掛けてきた。
「ああ、そうだ――な!」
「……!」
言い終わる前に《瞬地》を発動。
一瞬で男との距離を零にする。
意識を刈り取ることを目的に、男の顎を目掛けてアッパーカットを繰り出す。
確実に入ったと思われた一撃。
「なに……?」
今度は俺が驚く。
見えない壁に攻撃を阻まれた。
即座に魔術による障壁と理解する。
ニヤリと男の口が歪むが、何かに気付き、すぐ驚愕の表情へと変わった。
「どういうことだ!?」
その言葉と同時に、俺達を取り囲んでいたアンデッドが地面に倒れる。
俺が距離を詰めると同時に、聖魔術《セイクリッド・ディストラクション》を発動したためだ。
無詠唱により放たれた一撃。
目の前の男は何が起こったのか、状況を理解をできなかった。
その隙をつき、右に左に蹴りを入れるが、見えない壁に阻まれる。
(俺の攻撃は並大抵の防御魔術では防げないはずだが……!)
男は鉈を投げつける。
俺に向かってではない、無防備な少女に向かって投げつけた。
だが、それは囮であると分かった。
男が詠唱した様子はない。
しかし、少女の側から魔力が収束する気配を感じた。
(させるか!)
跳躍し、鉈は蹴り飛ばす。
少女の周囲に防御魔術を発動。
遅れて男の魔術が発動した。
《影牙》
初めて目にする魔術。
黒い靄が噴き出し、少女に襲い掛かる。
しかし、俺の防御魔術を突破するには威力不足だ。
企みがことごとく上手くいかず、男の顔から初めて笑みが消える。
同じ魔術が俺の側でも発動した。
全方位から黒い靄が襲い来るが脅威と感じない。
無視して、その根源である男へと再度接近する。
声を荒らげながら男は叫ぶ。
「お前は何者だ!?」
「神様の贈り物だよ!」
魔力を足に籠め、右脚を振り抜いた。
確かに捉えたはずであったが、その一撃に感触がない。
驚くことに俺の一撃を男は避けた。
一瞬の間に俺との距離を三メートルほどとっていた。
最初の攻防では俺の攻撃を魔術で防いでいたため、次も魔術で防御してくると踏んでいたが。
勘がいいのか、回避を選択したようだ。
(どういうことだ……?)
だが冷静に今の状況を振り返ると、疑問が生まれる。
男の動きは決して素早いものではない。
その為、俺の攻撃を躱せる身体能力はないと判断していた。
今の様に回避ができるのであれば、わざわざ防御魔術を使ってまでこちらの攻撃を防ぐことはしないはずだ。
不可解な回避の方法。
「魔術か」
「やれやれ、これもお見通しか。
とっておきだったんだがね」
俺の言葉を肯定する。
本来であれば発動した魔術の正体を俺は『看破』により知ることができるはずなのだが、男が使用した魔術の正体は不明のまま。
男の姿が、今度はスキルを発動し、再び掻き消える。
《影隠》
だが、俺はそれを許さなかった。
「え?」
男の呆けた声が漏れる。
スキルを発動し、男は完全に油断していた。
スキルをものともせず、俺は男を捉え、最高速で脇腹へと蹴りを叩きこんだ。
次回更新 6/19(火)




