第三十六話「理由」
お風呂を上がると、すぐさまサチに手をひかれ、二階へと案内された。
入った部屋はサチの自室であった。
嬉しそうに最近一人部屋を貰ったと話してくれた。
部屋にはベッドが置かれており、当たり前のように枕が二つ並べられていた。
俺もサチも小柄であり、二人がベッドに並んでも十分な広さがある。
サチは部屋に入るなりベッドにダイブ。
一人で寝るという主張はきっと聞いてもらえないので素直にサチに続いてベッドに寝転がる。
「えへへ、今日はアリスちゃんとずっと一緒だね」
ニコニコと俺を見つめながらサチが呟く。
「そうだね」
見た目は俺の方が年下であるが、なんだか妹ができた感じであった。
お風呂を上がった後も、「寝るまでサチのお部屋でいっぱいお話ししましょう!」と意気ごんでいたサチであるが、ベッドに横になることで一日の疲れが一気に身体を襲ったようだ。
俺の横ではついさっきまで元気よく活動していたサチが、瞼の重みに抵抗するように、なんとか目を開こうとしていたが、やがて完全に閉じられ、穏やかな寝息が聞こえはじめる。
(寝ちゃったか)
サチを起こさないようにベッドをでると、布団をサチの身体の上にかけてやる。
(そういえば、アニエス姉さんに今日は泊るって言ってなかったな……)
もしかしたら帰ってこないのを心配しているかもしれない。
部屋にある机に勝手ではあるが座らせてもらい、収納ボックスから便箋と羽根ペンを取り出す。
今日はジンの家に泊まることを記す。
さて、手紙をどう届けるか。
俺は実際に見たことはないが、この世界では鳩や梟を使って手紙のやり取りをしていると聞いたことがある。
元世界、有名な魔法小説ハリー〇ッターでも見た光景。
梟による手紙のやり取りに俺は密かに憧れていた。
そして梟を飼ってはいないが、代替手段を持っていた。
石像召喚の魔術だ。
(梟、梟――!)
頭の中で梟をイメージする。
「《召喚》!」
明確な像が頭の中で結ばれた瞬間に、手をかざし、詠唱する。
俺の言葉に淡く青い光がどこからともなく現れ、収束する。
細い足、そこから上へと視線をやると逞しい腿が見える。
その腿が支える力強い身体、すらっと上へと伸びる尻尾。
尻尾の反対側には小ぶりな嘴。
顔を覆うトサカ。
「……」
無言で召喚した石像を見る。
どうみても鶏であった。
(なんでだよ!)
がっくりと膝を折る。
石像、鶏くんは実に鶏らしい動きでカクっカクっと首を傾げながら「何か問題でも?」と訴えるようにこちらを見る。
『ぷっ、あはははははは』
青は大笑い。
俺の心の内が読み取れるので、何をイメージしていたのか、青には明確に伝わっていた。
イメージしたものと召喚した石像のあまりのギャップに、堪らず笑い転げている。
(この召喚魔術、いっつも俺のイメージとどこか違うのが出てくるんだけど、何でだ!
というか羽は生えてるけど、鶏って。
……飛べんのか?)
ジト目で目の前の鶏くんを見やる。
「試すだけ試すか……」
あまり気乗りしないが、目の前の鶏くんの右脚に手紙を結ぶ。
「手紙をアニエス姉さんのところに届けてくれ」
「コッコ……?」
首を傾げながら、「何言ってんだこいつ」みたいな目を俺へと向けてくる。
ダメだったらもう一度召喚し直そうと決意しつつ、鶏くんを両腕で抱え、窓を開く。
「ほら、頼むぞ」
「コッコー!」
予想外に鶏くんは力強い羽ばたきを見せ、窓の外へと飛び出していった。
「あっ、飛べるんだ……」
最初に意図した妄想をぶち壊すシュールな絵面に俺は溜息をついた。
(役目を果たしてくれるならよしとするか)
開けた窓を閉じようとした時、ヒューという口笛が耳に入る。
振り返ると気配を消していたジンが部屋に入ってきた。
「いつの間に」
「お前さんが鶏を召喚したあたりからかな」
「……やっぱり鶏に見えますか」
「他に何だっていうんだ?」
ですよねーと心の中で呟きながら、俺は窓を閉じる。
日中は汗ばむ気温になるが、夜の風はまだ肌寒い。
開けっ放しにしているとサチが風邪をひくといけないと思ったためだ。
窓を閉じると再び、ジンへと向き直る。
「で、何か用でしょうか?」
「おう。悪いが下でもいいか?」
ジンはちらっと愛娘サチの方へと視線をやる。
俺としてもサチを起こしたくはないので、ジンの提案に賛成であった。
ジンの後に続き部屋を出ると、そのまま階下へと降りる。
「何か飲むか?」
「じゃあ、お茶を」
「ちょっと待ってろ」
食器棚からポットを取り出し、茶葉を入れると、ジンは湯を注ぐ。
白い湯気が立ち上り、ほのかな香りが鼻孔をくすぐった。
「砂糖いるか?」
「いえ、大丈夫です」
俺の返事を聞き、ジンはポットからカップへとお茶を注ぐ。
「ほれ」
「ありがとうございます」
カップを受け取り、礼を述べる。
ジンは続いて自身のカップにお茶を注ぎ、棚から琥珀色の液体が入ったボトルを取り出す。
何をするのかと思ったら、お茶が入ったカップに琥珀色の液体を注ぎ入れた。
ツーンとした匂いが部屋に充満する。
琥珀色の液体が何か聞かなくてもわかる、酒だ。
ジト目でジンの行動を眺める。
酒の香りで茶葉本来の香りをぶち壊すジンの行動は、俺には冒涜的な行為に思えた。
「こいつがないとな、お嬢ちゃんもいれるか?」
「結構です。あと、お嬢ちゃんじゃなくてアリスっていう名前がありますから」
「ガハハハ、そういやまだ未成年だったな」
ジンは豪快にカップを呷る。
「で、私に何か用があったんじゃないんですか?」
「そうだった。まぁ、なんだ」
ジンはカップを机に置くと、鼻のあたりをポリポリと掻きながら口を開く。
「まだお礼を言ってなかったからな。
サチを助けてくれてありがとう。改めて感謝する」
ジンは俺に対して深々と頭を下げる。
予想外の行動に驚く。
昨日出会ってから飄々とした態度のジンだが、根は仁義に厚い人物なのかもしれない。
俺は一息つき、口を開く。
「サチちゃんが無事でよかったです。
今度は目を離しちゃ駄目ですよ?」
「肝に銘じておくよ」
ジンは真剣な表情で頷き、一拍すると、机に置いていたボトルを掴むと、そのまま直接ゴクゴクと琥珀色の液体を飲み始めた。
(お茶いらないじゃん……)
こいつ本当に反省しているのか!と内心では突っ込む。
「そういえば鍛冶区でサチちゃんが攫われたのに、どうやって人攫いの場所まで追って来たんですか?」
話を聞く限りジンがサチにいないことに気付いたのは、攫われてから時間が経ってからだ。
どうやって足取りを掴んだのか疑問に思った。
「あーそれはな」
少しジンは言葉を濁したが、俺の質問に答える。
「俺の固有能力だ」
「固有能力……」
神様から直接その単語を聞いていたが、こちらの世界の住人から固有能力という単語が出てきたことに驚く。
(一般的に普及していることだったのか)
「嬢ちゃんになら言ってもいいか。
知っての通り、個人が持っている固有能力はなるべく秘密にするもんだが、サチの命の恩人だ。
俺の持っている固有能力は『追跡』って言う。
まぁ、思い浮かべた対象がいる方角がなんとなくわかる程度の力しかない、はずれ能力だ。
今回は助けられたがな……」
ジンは肩を竦めながら答える。
てっきり固有能力というものは神様が俺にだけ与えたチート能力かと思ったが、ジンの話し方からすると個人で固有能力を持っている者は珍しくなさそうであった。
機会があれば固有能力について誰かに質問しようと、心に留める。
ひとまずはジンの答えに知ったかぶりで「なるほど」と頷いておく。
「さて、今度は俺の番だ。
昨日は剣の腕に驚いたが、今日は魔術をぽんぽん使っていたな。
そろそろ正体を教えてくれやしないか?」
「秘密です」
間髪容れずに俺は答える。
その答えに「だったな」とニヤリとジンは笑う。
元から俺が答えてくれることに期待してなかったのだろう。
「何にせよ、俺が剣舞祭で剣聖をぶっ倒せば全部聞けるわけだからな」
「余裕そうですね。勝算はあるんですか?」
「勝算なんて関係ない。勝つんだ。それだけだ」
「なにそれ。かっこいいですね」
「お。惚れたか?」
「冗談」
ジンと俺はクスリと笑う。
「そういえば、結局ジンさんは何で私を弟子にしたいんですか?」
昼間に答えを聞けなかった質問を再度投げかける。
「あー、嬢ちゃんを弟子にしたい理由か?」
もう一度手元のボトルをジンは呷る。
「何だか危なっかしく見えたからだ」
「危なっかしくですか……」
ジンの言葉を反復する。
勇者として戦っているときに、剣の扱い方を唯一知っているガエルに無茶苦茶な剣と言われたことはあったが、危なっかしいと評されたのは初めてであった。
「剣の扱いがおかしいとか、そういった話ではない。
そもそも弟子にしたとして、剣自体で俺が教えられることは多くないだろう。
……まぁ、型もくそもない無茶苦茶な剣には見えるが、対峙した俺からすれば不思議なことに隙を全く感じさせない戦い方だったから、嬢ちゃんはそのまんまの戦い方があってるんだろうが。
だが、嬢ちゃんの剣には致命的な弱点がある」
「それは?」
「相手を殺すという覚悟が足りない」
ジンは溜息を吐き「こんな小さい子に言うことじゃないかもしれないがな」と呟く。
「いつかその一歩を躊躇すると致命的な一撃となるぞ」
「……」
ジンの言葉に俺は押し黙る。
ジンの言葉は的を射ていた。
確かに俺は剣を振るうが、その剣が相手の命を奪うという意識が強くない。
人を殺す。
魔物と違い、俺は経験したことがない感覚だ。
どうしても忌避してしまう。
「それにな、相手を圧倒するだけの力を持っていながら、その力を扱いきれていない。
俺に手痛い一撃を貰ったのがその証拠だ」
「……ジンさんの弟子になれば、人を殺すことに躊躇しなくなるということですか?」
「そんなわけあるか。
俺は別に殺人鬼を生み出したいわけじゃない」
俺の言葉をジンは鼻で笑う。
「嬢ちゃんは酷く歪なんだ。
理由は分からないが、普通は技の積み重ねの上で力というものは成り立つが、嬢ちゃんは力だけを振るっている」
「……」
「順序は逆だが、嬢ちゃんは技を身に着けるべきだ。
力だけで戦っていては、いつか手ひどいしっぺ返しにあうぞ」
ジンの黒い瞳がまっすぐ俺を見つめていた。
俺はジンの指摘が正しいことはわかっていた。
(浮かれていたのかもしれないな……)
ステータスに後押しされた圧倒的な身体能力に、チートともいえる術のレパートリー。
その力を振るった先に何が起こるのか、俺は深く考えたことはなかった。
昨日の騒動でその力を初めて人に振るった。
そう、力を人相手に振るうことなど考えてこなかった。
冷静に考えると、ジンは俺の攻撃を受け流したが、致命的な一撃となり、その手で命を奪っていたかと思うとぞっとした。
「説教臭くなったな。やれやれ俺も年をとったもんだ」
ジンは最後にぐいっとボトルを呷ると、琥珀色の液体は消え、ボトルが空となる。
お茶を飲んだばかりにも関わらず喉がカラカラと乾いたように錯覚する。
俺は空になったボトルをじーっと見つめていた。




