贋説・手賀の大蛇
手賀沼の畔の我孫子五郎の館には、藤姫というそれはそれは美しい娘がおった。
沼向こうの戸張弾生には若狭ノ介という凛々しい息子がおった。
父親同士仲が良く、家柄も人柄も申し分ない縁組で、村中が羨む睦まじさの婚礼は近い。
裕福な家で美しく生まれたその娘を、誰よりも妬んでいたのは他でもない我孫子五郎の妻である。
継娘の華やかな婚礼の支度に、泥でもなすりつけたいような苛立たしさに歯嚙みする。
睦まじいふたりを見るたびに腑が煮えるような心地になるのは、継娘の華やかな美しさのためだけではない。
若狭ノ介の男ぶりが恋しいからである。
あの娘になぞ、くれてやるものか――
嫉妬は妄執となり、藤姫憎しで継母は鬼と変わらんばかりになった。
夜毎に藤姫を訪なう若狭ノ介を待ち伏せし、継母は掻き口説くように藤姫との婚礼を取り止めよと言う。
―あの娘は蛇の生まれ変わりじゃ、若狭ノ介様を喰ろうてしまう。
藤姫の清らかな美しさを知っている若狭ノ介は、相手にせずに藤姫の許へ急ごうとする。
―我がものにならぬのならば、いっそのこと殺してしまおう。
継母は若狭ノ介を殺して手賀沼へ放り込んだ。
毎夜の約束が一刻を過ぎても、若狭ノ介は藤姫の許に現れない。
何かあったのだろうかと藤姫が気を揉んでいるところに、継母が今聞いてきたのだと言わんばかりに藤姫に近寄った。
―若狭乃介様が手賀沼に落ちたところを見たものがいる。
藤姫はお付き人たちが何かおかしい、不吉だと止めるのを振り切って月明かりだけの手賀沼に舟を漕ぎ出した。
後ろからついてきた継母の舟がこのあたりじゃと言ったのは、沼の中ほどだった。
落ちたのを見たものがいるのに、中ほどである筈がない。
と、藤姫の舟の底から見る間に水が入ってきた。舟底に穴をあけ、泥を詰めてあったのだ。
継母に助けを求めると、高い嘲りの笑いが戻った。
―若狭乃介様は沼底でお待ちじゃ。お前様もそこで暮らすがいいわ。
謀られた悔しさと恋しい人を殺された怨みは凄まじく、藤姫の身体は沼底につくと三丈あまりもある大蛇となった。
継母が蛇の生まれ変わりと言ったことは、図らずも嘘でなくなったのである。
大蛇は大きな水柱を立てて水面に浮かび上がると、舟を岸に着け走り逃げようとした継母を一呑みにした。
大蛇の怒りは継母を呑んだばかりではおさまらなかった。
沼に近づくと引き込まれてしまうので、漁師たちは仕事ができず、水浴みをする場所もない。
畔に住まう人々が困っていると、旅の山伏が通り掛かった。
―何やら沼から怪しげな気配がする。調伏して差し上げましょう。
大蛇が沼から現れたところで山伏は経の巻物を投げつけ、驚いて水の中に潜り込んだ大蛇の上から一本の柱を投げ入れた。
不思議なことに柱は大きなウナギに変わり、沼底へ潜っていった。
その後手賀沼に大蛇が現れることはなくなり、人々の生活は元に戻った。
―手賀沼の大ウナギは、沼の守り主様だ。捕っちゃなんね。
漁師たちはそう言い交わし、ウナギを大事にするようになったということだ。
FIN.