ヒヤシンスを貴方に
半年前、私の姉が死んだ。
事故死だった。
自殺しようと線路に飛び出した人をかばって亡くなった。
昔からお人好しの姉だった。
そして、昔から優秀でもあった。
小学生の時、テストはいつも100点満点だった。
5年生の時には、夏休みに書いた作文が何かの賞に選ばれた。
私と家族は、授賞式のために、わざわざ東京まで行ったのを覚えている。
中学生の時、14歳という若さで英検2級を取得した。
周囲からの信頼も厚く、生徒会長を務めていた。
高校も、地域で1番難しい所に入った。
姉は寮に入ってしまったので、高校時代のことはよく分から無い。
ただ、私は「姉のようになりなさい」と言われることが増えた。
気が付けば、姉は大学生になっていた。
姉が進学したのは、超名門大学だった。
これには、さすがの両親も驚いていた。
そのまま、とんとん拍子で大企業に就職してしまった。
姉は実家を出てからも、こまめに両親に贈り物をしているらしかった。
大変な親孝行者である。
対して、私は平凡だった。
姉が100点を取った豆テストで、92点を取った。
姉が作文や習字、標語、ポスターなどで表彰される中、友達とゲームで遊んでいた。
資格の勉強にまで手を付ける姉に対し、私は定期テストの課題に追われていた。
姉は生徒会長や部長を務めたが、私は学級長どまりだった。
高校も、家から近い、ほどほどの所に入った。
大学は、高校からのエスカレーター式で、そのまま進学した。
悪いところではなかったが、無名の大学だった。
無事に大卒の経歴を得たまでは良かったものの、やりたい仕事も特になかった。
なんとなく地元にいたくなくて、都会の姉のアパートに居候することにした。
ここまでが、姉が命を絶ってしまう事件の5年前の出来事である。
◇◆◇
私は、1人分広くなったアパートで、大の字に寝そべっていた。
ようやく葬儀やら手続きやらが終わり、天井のシミを数えていたところであった。
・・・・・・5、6まで数えたところで、”ピーンポーン”と、玄関から音がする。
来客のようだ。
今日は特に予定もなかったので、部屋着のままだった。
このまま出ていくか否か。
非常に悩ましいところである。
一瞬悩んだ結果、パーカーを頭からかぶり、ドアスコープから外の様子を窺うことにした。
尚、ドアスコープとは、のぞき穴のことである。
重い足取りで行ってみれば、客の正体はいとこであった。
いとことは年齢も近く、昔は長期休みになると互いの家を行き来していた。
つまり、私のパジャマ姿も見慣れている人物だ。
遠慮なく、この格好のまま出迎えることにした。
「おはよう。」
「おはよ。どーしたん?急に」
「まあ、色々あったしさ。近くに寄ったから顔を見ておこうと思って」
「そっか。じゃー散らかってるけど、どうぞ上がって。それとも、忙しい感じ?」
「いや、おじゃまします」
「ん。適当に掛けといて。お茶とコーヒーどっちがいい?」
「水で」
「あ~、昔から苦いのが苦手だもんね。てか、未だに飲めないんだw」
「飲めるよ!ただ、私生活でも飲む必要は無いってだけさ」
「やっぱ苦手なんじゃん。はい。水」
「ありがとう」
会話が途切れ、数秒の間、沈黙が続く。
「・・・・・・お姉さんのことなんだけど、残念だったね」
「あ、はい。お気遣いどうもです」
「お姉さんは、本当に素晴らしい人だったよ。まだこんな所で居なくなって良い人じゃなかった」
「そうだね」
「ああ、もう聞き飽きている言葉かな?」
「いや、まあ。お姉ちゃんは色んな人から好かれていたもので。ありがたいことに」
「最近、今まで関わりのなかった人に声をかけられることが多くてさ。大抵は、お姉さんの関係者が挨拶に来てくれるんだけど。いなくなってから、その存在の大きさに気づくものだよね」
「まあ、そういうものなんじゃん?」
「それもそうか。・・・・・・ところで、最近どう?」
「お姉ちゃん関係は先週で全て片付いたよ。だから、そろそろ自分の将来について考えなきゃいけないのかなあって思い始めてるとこ」
「良いことだね。何か困ったことがあったら言って。話だけなら聞くよ」
「そこは、『手助けするよ』じゃ無いんだ?」
「いやあ、僕にできることなんてたかが知れているし、言質は取られたく無いからね」
「なにそれ」
どうやら、いとこを当てにしてはならないらしい。
まあ実際には、お願いすれば答えてくれるのだろうが。
だが、私自身、人様に迷惑はかけられないと思っている。
姉に頼り、依存してしまった結果が今の状態でもあるのだから。
「ーーーーーーじゃ、僕はそろそろおいとましようかな」
「分かった。じゃあ、またね。次に会うのは大晦日かなあ」
「もっと地元に帰ってきても良いんじゃ無い?」
私は、返事の代わりに笑みを返した。
それをどう受け取ったのか、いとこは苦笑をして帰って行った。
そして、また1人になった。
私はこれから、どう生きていくのか。
考えなければならなかった。
半年前まで、私は自分の未来についてよく考えていた。
それはもう、様々なパターンを考えた。
何度も何度も考え直した。
そして出た答えは、「もう生きられない」だった。
諦めてからは、生きるのが楽になった。
周囲のことに敏感にならずに済んだ。
子供の頃のように、無邪気に過ごせた。
遺言書っぽいものを、お遊びで書いてみた。
解放感が現実味を帯びてきて、今なら何でも出来るんじゃないかと思えてきた。
だから、久しぶりに外に出てみた。
近くのスーパーまで行った。
いつもお世話になっている姉に、たこ焼きを買おうと思った。
たこ焼きは、姉の好物である。
一応言っておくが、もちろん私のお金で買った。
私は引き籠りではあるが、無職ではないのだ。
パソコンだけは得意だったので、在宅ワークをして生計を成り立たせている。
家に着くと、姉はもう帰宅していた。
たこ焼きを渡すと、大変喜んでくれた。
近場とは言え、私が外に出られたことが嬉しかったらしい。
心配をかけてしまっていたのだと知った。
それから私は、ちょくちょく外出するようになった。
数年ぶりに肌で感じた外の世界は、眩しかった。
高くそびえたつビルを見上げて、ここは地元じゃ無いんだと、安心感を覚えた。
そして、運命のその日。
その日は、珍しく遠出をしようとしていた。
推しの企画展があったのだ。
”遠出”と言っても、最寄駅から6駅ほどの場所である。
時間で言えば、往復1時間もかからずに帰ってこられる。
そのため、何の心配もしていなかった。
だが、運命のいたずらなのだろうか。
その日は姉も仕事が休みで、家にいた。
そして、たまたま私の遺書もどきを発見してしまったらしかった。
姉は、私を駅のホームまで追いかけてきてくれた。
私は姉の姿を見つけて駆け寄ろうとした。
しかし、慌てていたせいだろうか。
普段なら気にも留め無いはずの、コンクリートの割れ目に足を取られてしまった。
そのまま視界は横転しかけたが、向こう側から走ってきた誰かに支えられ、転ぶことは無かった。
”ガタンゴトン””ガタンゴトン”
通過列車が走ってゆく。
気が付いた時には、姉の姿は無かった。
ただ、通過列車であるはずの電車がこの駅で停車した。
駅のホームは立ち入り禁止になった。
姉の葬儀の時、私は親戚に「お前が死ねば良かったのに」と言われている気がした。
直接そう言われた訳では無い。
だが、みんな口をそろえて、姉は素晴らしい人だったと、若くして亡くなっていい人では無かったと言った。
私もその通りだと思った。
だから、私はこれから何としてでも、生きてゆかなければなら無いと思った。
あの日から半年が過ぎた。
ようやく身辺も落ち着いてきた。
将来設計を建てなければならないと感じた。
けれど、実際には身の回りが静かになったところで、虚無感に襲われるだけだった。
何もできなかった。
食事、仕事、家事、食事、就寝、食事、仕事、仕事・・・・・・。
何日も、何か月も、行動に移せないまま過ぎてしまった。
そんな最中、”ピロン”と鳴って、携帯にメッセージが届いた。
私には、大人になってからも連絡を取り合うような友人はいない。
営業メールか何かの、とにかく自分には関係ないものだと思った。
しかし、実際に見て見れば、予想もしない相手だった。
姉からのメッセージだった。
前回トーク画面を見た時には「自殺なんかしちゃダメだよ!今そっちに行くから待っていて!!」と、あの日のまま止まっていた。
私はあり得ないと思いつつ、アプリを開いてみた。
確かにそこには新着メッセージが送信されていた。
曰く、あの日線路に飛び込んだのは、姉の意志であったと。
周囲からの重い期待が辛かったのだという内容が、原稿用紙1枚分ほどに渡って書かれていた。
そして最後に、「今は異世界にいて、楽しくやっている。私もこっちに来ないか」と、そう誘われた。
私はついに精神を病んでしまい、幻覚を見ているのかもしれないと思った。
なんとか現実を確かめようと、薄い四角の画面を指でこするが、凹凸を感じる事は出来ない。
当たり前のように、文字に干渉することは出来ない。
私からもメッセージを送ってみた。
異世界はどんなところか、と。
すぐにメッセージが帰ってきた。
返信の内容から推測するに、異世界とは、私が昔はまっていた乙女ゲームの世界。
姉が転生したのは、悪役令嬢のようだ。
一念発起で我儘娘を演じてみたようだったが、結局は従来の真面目さが表に出てしまい、皆から慕われているようである。
姉はどこまでいっても姉だったということだろうか。
しばらく携帯を観察していたのだが、故人からメッセージが届いたこと以外に不審な点はない。
また”ピロン”と鳴って、トーク画面が更新された。
今度はボタンが表示された。
このボタンを押せば、私も異世界に行けるようだった。
そんな訳あるはずがないと思った。
だが、淡い期待を込めて、1度だけ、ボタンに触れてみた。
今度は、凹凸を感じられた。
昔、姉と手をつないで家に帰った時の指の感触を思い出した。
「もうだいじょうぶだよ。また二人で生きていこう」と、そう聞こえた気がした。
◇◆◇
支えを失った携帯電話は、”カタン”と音を立て床に落ちた。
誰もいなくなったアパートに、”ミーンミーン”というセミの鳴き声が響いていた。




