真夜中の訪問者
「糧に感謝を! アールヤ!」
いつも通り略式で食前の祈りを済ませ早速スープを流し込んだリアンだったが、そう言えば二人はアールヤとは言わなかった。
長々と祈りを捧げる者も居れば、胸の前で両手を組み、心の中で済ませる者も居る。つまり言わなくても不自然な事ではないのだが、リアンにはもう、それはそう言う事なのだとしか思えない。
だがそれはそれとして……。
「美味しい……!」
二人が用意してくれた夕食はとても美味しかった。
「ふふ、良かった!」
ルシェが嬉しそうにそう言って、嫌いなものがあれば食べてあげると続けたがとんでもない。どの食材もリアンの疲れた身体に優しく染み込んでいく。
胃がビックリするという理由で初めはスープだけしか貰えなかったが、ハルのパンをじろじろ見ていたら結局パンもくれた。
二日も寝ていたというのに、お腹がいっぱいになるとまた眠くなって、早々にベッドへ戻った。ベッドのシーツは変えられていて、とても清潔な香りがする。
誰かにご飯を作ってもらって、こんな清潔なベッドで眠るなんて、もう何年なかっただろうか。
特にダナ教の本部がある中央都市に来てからは自分をこんなに甘やかした事はない。
朝から晩まで働いて、空いた時間で勉強して、独学で剣術を磨いた。借りていた部屋は隙間だらけ湿気だらけの日の当たらない……人間よりもネズミやカビ菌が喜ぶ部屋だった。そうしてとうとう、髪の手入れさえ煩わしくなって、顎のラインよりも短く切った。
それで構わないと思っていたし、その甲斐あってダナ教の兵士になれたばかりだったのだ。こんなところでダナ教に背く悪魔に甘やかされて良いわけがない。良いわけがないのに、清潔なベッドの心地良さにすっかり負けそうになった時だった。
キィ……と木のきしむ音が聞こえて、リアンは目を覚ます。
足音を立てない様に誰かがそっとこちらへ近付いてくる。ナイトテーブルの上のランプはまだ灯っていて、うっすら目を開けるとそれはハルだった。
心臓が跳ねあがり、ともすれば荒くなる呼吸を気付かれない様に何とか調節する。
大人しく寝たふりを続けるべきか、やられる前にやるべきか、悩んだのは一瞬だけだ。
とうとう自分のベッドの脇まで歩いて来たハルに向かってリアンは素早く掛けてあった毛布をまくり上げ、ハルに投げ付けた。
「わぁっ!」
とハルが情けない声を出したが、リアンは流れる様に次のアクションを起こす。
毛布で前が見えなくなっているところに上半身を思い切りぶつけ、バランスを崩したハルの上にそのまま馬乗りになった。少々足に衝撃が走ったが思ったよりあっさりハルが倒れてくれたので大したことはない。
「とうとう本性を現したわね! こんな夜中にこっそり入って来て、あたしを手籠めにするつもり?! こちとら! どんなに貧しくても身体だけは売った事ないのよ! 守り通した純潔をあんたなんかに……いっ?! 何これ!」
馬乗りになったまま喚き散らしたリアンだったが、毛布に何かぬるぬるした物が染み出て来たのに気付いて押さえ付けていた両腕を離した。その隙にハルは毛布から顔だけを出して言う。
「油だよ……。ランプに油を継ぎ足そうと思って来たんだ。驚かせちゃった?」
「へっ? ランプの油?」
毛布をめくってみると、ハルが持って来たガラス製の油差しから中身がこぼれて、ハルと毛布がベトベトになっていた。
「今日は雲が多いから……。夜中に目が覚めて真っ暗だったら怖いだろう?」
「……はぁ? 暗くて怖いなんて、そんなお上品な育ち方してないわよ」
「そうか、ルシェが怖がるから、つい君もそうなんじゃないかって。余計な事をしたね」
「い……良いわよ別に……」
自分の勘違いでハルに襲い掛かったリアンは気まずそうに、また胸元まで下がってしまっていた丸襟をたくし上げながらハルの上から身体をどかせた。
「あいたた……。でもビックリしたお陰で少し自分の記憶が戻ったんじゃないのかい?」
ずれた眼鏡を直しながらハルも起き上がる。そう言えばリアンは、純潔は守って来たとか、お上品な育ちではないとか、つい色々と喋ってしまったではないか。
「えっ……それは……まぁ……?」
「それにね、僕はもう二十九歳なんだ。君はどう見てもまだ十代じゃないか、そんな下衆な事考えるわけないよ」
夜這いに来られるのも嫌だが、完全に対象外とされるのはそれはそれでプライドが傷付く。リアンには十分大人の女性だという自覚があった。実際、貧しいリアンの足元を見てそんな提案をしてくる大人も居たのだ。
「子供扱いしないでちょうだいっ! あんたはどうか知らないけどあたしとそういう事になりたいと思う大人なんて山ほど居るんだから!」
勢いでそう言ってしまい、ハルのポカンとした顔を見て慌てて付け加えるリアン。
「まぁ、記憶がないからたぶんだけど!」
しかし、ハルがポカンとしたのはリアンの記憶が戻っていそうだからではなかった。
「ぷっ……! ははっ、そんな馬鹿な! ははははっ! あはははは……!」
まるで壊れてしまったかの様に、ハルは腹を抱えて大いに笑った。とても静かな崖上の夜がハルの笑い声で満ちて行く。
「……え……、ちょっと……笑い過ぎなんですけど……」
目に涙さえ浮かべて大笑いをするハルに、リアンは怒るどころではない。暗いと怖いだろうとランプの油を足しに来たり、自分を襲うのは下衆な事だと言ったり、どうやら本当に、ハルの中ではルシェもリアンも同じらしい。そう思うと、さっきまでの自分の言動がとても恥ずかしく感じた。
「ハル……? お姉ちゃんと二人だけで楽しそうにしててずるいです……」
「ああ……」
何事かとやって来たルシェを見て、そりゃそうだろうとリアンは溜息を吐いた。大きな物音もしただろうし、その後でこんな大声で笑い続けていたら起きてしまって当然だ。
「ははははは! だってルシェ聞いてよ、リアンったら……!」
「良いのよ余計な事言わなくて!」
収まるどころか、ルシェとこの愉快な話しを共有しようとしたハルに思わず手が上がる。
「あいたっ! はははっ! 痛いよリアン! はははは!」
「スイッチ入っちゃってますね。ハルは時々良く分からない事でこうやって大笑いするんです。少し変なんですよ。ふぁぁ~あ……」
いつもの事だと、たいして興味もなさそうに、あくび混じりでルシェがそう言った。リアンは少し救われた気持ちになる。
「そっ……そうよね! この人変よね! ほらぁ! もう笑わないでよ!」
「そんな事言ったって……! はははは! リアン! 君の冗談最高だよ! あははは!」
「だぁぁ~! もぉ~~!!」
こうして、リアンが目覚めてからの初日の晩は、ハルにおおいに笑われて過ぎて行ったのだった。




