あなたを十年待っている
「その後しばらくして……、結局私はデュナミスの研究を止めてミゼールの慰め役を買って出たわ。ハロルドと共に過ごした事のある魔法科学者なら、ハロルド無しでデュナミスの研究をする事の虚しさが分かる筈。現に今研究所に残っている人間はてんで才能のないオジさんか、ハロルドを知らない人間ばかりよ」
ハルが銀髪のルシェと一緒に居ると聞いた時のニナの反応が少しばかり妙だったのだが、どうやらあれは研究者が示す反応だったのだろう。銀髪の少女は、デュナミスの研究者にとって必要不可欠な存在なのだから。今は研究者ではなく慰め役だと言っているが、恐らくその気質はもう変わる事はないのだ。
「そうして……その後ようやくダナ教に背く悪魔の居場所が分かり、崖上の悪魔捕獲作戦が決行されるようになると、ダナの子リアンがデュナミスのレシピを取り戻したって続くわけね。数々の失敗の挙句に」
なるほど、スマートな方法ではなかったが、自分は自分で思うよりもダナ教にとって重要な任務をこなしてしまったらしい。そう思うと今更ながら指先が震えた。
「ミゼールは……、デュナミスを使ったらダナになるって、具体的にはどうなるんです?」
「背中の黒い翼と……清浄の雷を扱える事が、ダナ教の考える魔女の条件ね。あくまで二百年前の伝説を元にしているだけだけど」
教会内にあるダナの彫像は確かにすべてに翼がある。ただの飾りではないだろうし、それで空を飛んで、強烈な雷を落とすわけだ。そうなったら確かにもう人間ではなく、魔女だ。
「ミゼールは……それで良いと……?」
「馬鹿げた質問ね。あなたならどう思うの? 自分に、伝説の魔女ダナになり得る魔力があるのだとしてそれを教団に期待されていたら」
自分ならきっと疑問にも思わないだろう。大事にされ過ぎて教団に監禁状態だとすれば、むしろ早くそうなれる様に夢を見るに違いない。
「銀髪は珍しくないのではと勘違いしたみたいだけど、かつてデュナミスの研究者であった私でさえミゼール以外に銀髪を見たのはただ一人だけよ。あなたの妹さん、どこの施設にいるのか知らないけれどきっと手厚く扱われているでしょうね」
「……」
それを聞いてリアンは胸にざわざわと不安が纏わり付いたのを感じた。
もしかしたらあの子も同じ様に、鳥かごに閉じ込められているのか……?
自分なら良い。自分が家族の為にこの身を差し出す事に疑問はない。
でも……。
「デュナミスの完成は素晴らしい事よ……ハルにはそれを可能にするだけの力がある……ミゼールだけじゃない、大勢の人を救えるわ。デュナミスに関わった研究者、ダナを愛する民……すべてを……」
そう、そうだ。素晴らしい事に違いない。
「なのにどうして……」
ついとそっぽを向いてニナが言う。ハルにされた仕打ちを思い出してふてくされている様だとリアンは思う。
ニナにはハルが逃げ出したくなる理由がさっぱり分からないのだろうか。リアンは自分の可愛い妹に黒い翼が生えるのを想像するとハルの気持ちが分かる気がした。
だけどそれでも、色々なものを比べて選んで、良く考えればダナの誕生を望むべきだ。研究者なら尚更だと思う。
「でも、あたしがデュナミスのレシピを奪ったお陰でいよいよミゼールは魔女ダナになれる……と言うわけですよね?」
そう思うのだが……、ニナの表情はそうは言っていない。ずっと曇ったままだった顔を歪ませ、自虐的に笑う。
「ふふっ、能天気な考え方をすれば、それで万事うまく行く筈よね。最近のフロディ司祭のご機嫌っぷりの理由が分かったわ」
能天気……とは、褒め言葉ではない様に思う。
「あのデブ、すっかり浮かれてあなたなんかをミゼールの慰め役にと言うんだからよっぽどよ」
デブ……とは、完全に悪口だろう。まぁ確かに多少ふくよかではあるが言い過ぎだった。もしかしなくてもニナとフロディの関係は……、少なくともニナの方は好きではないらしい。ついでに改めて自分はミゼールに相応しくないと言われてしまった。
「でもね、ミゼールはずっとハルを待っているわ」
「……それは……」
「いくらレシピがあったってダメよ。ハルでなきゃうまくいく筈ない」
「……」
きっと、そうなのだろう。
ダナ教だってハルが逃げ出した後遊んでいたわけでもあるまいし、そこにハルのレシピが渡されればきっとデュナミスは完成する。だけど、ミゼールがハルを待っているのだ。ミゼールが、ハルでなければダメだと思っているとしたら……、きっとダメなんだろう。
「ハルとミゼールって、つまり……」
と、リアンは言い掛けてやめた。どうでも良い事だ。ただ、ハルがやたらと自分を子供扱いする理由が分かった気がした。中身に関して言えば自分の方がよほど大人なんじゃないかと思えるが。
「本当に下世話な娘ね……、私にはまったく理解出来ない感情よ、分からないわ。そんな事より大事な事が山ほど有ると思わない?」
リアンが言い掛けた言葉を正しく予想してニナが鼻を鳴らす。
「はは……」
もっともだと、リアンは恥ずかしくなって可笑しくもないのに笑った。
居もしないダナを居ると偽っていた事に対しては、正直ダナ教に不信感を抱いた。しかし、世の中の清浄の為に、二百年前の奇跡が起こせるのなら……。それで世界の平和が保たれるのなら、やはりダナ教は間違っていない。リアンはそう思った。それなのにハルと来たら……。その力があるのに何故使わないのか。
「分かりました。あたし、ハルを連れて来ます」
「……は?」
伏し目がちに腕組みをしていたニナが、リアンの言葉に顔を上げる。
「色々聞かせてもらったし、どうして逃げたか気になるし、それに……魔女ダナがどこにいるかって質問に答えてやりたいし!」
「ふっ……、変な子」
リアンが本気で言っていると分かったニナは呆れた様に笑った。
「また崖上まで行くわけ? その足で……乗馬も出来ないくせに」
「どれだけかかっても行きますよ。それに乗馬は出来ます。出来るけど馬がないからやらないだけで……」
「……そうだったわね。だったら私の馬を貸してあげる。だから伝えて。ミゼールが、あなたを十年待っているって」
「はい!」




