十年前
ハロルド・ジュールとミゼール・ホワイト……ハルとミゼールの出会いは今から十年以上前だった。
十八歳と言う若さでダナ教の幹部となったハルは教団内ではちょっとした有名人である。
剣術も体術も馬術もからきし、実を言えば魔術も……潜在能力としての魔力は弱かった。だがハルには天才的な頭脳があったのだ。
古から、潜在魔力の増幅や、術そのものを強化する為に薬を用いる事はあったが、ハルのそれは今までの常識を覆した。発想や技術が飛び抜けていたのだ。ハルの存在に気付いたダナ教はすぐにハルを幹部に昇格させ、ハルの好きなように魔法科学の研究をやらせた。ハルにとっても、自分の知識欲が満たされて行くその環境は悪いものではなく、むしろありがたく研究に没頭していたのだった。
そしてハルは、魔女はどこに居るのだろうと言う幼い頃からの疑問の答えに辿り着く。魔女ダナは居なかったのだと……。何故なら次々に成果を上げるハルに最終的に与えられた任務は、魔女ダナを作り出せ……だったのだ。
正確には魔女ダナを作る為の霊薬デュナミスを作る事。
ダナ教幹部しか知り得ない……二百年前、ダナ教の支配が始まって以来ずっと隠され続けている、闇だ。
かつて魔女ダナは作られた。どんな奇跡だったのかは分からない。霊薬デュナミスの調合レシピは残されなかったからだ。
そもそも全くの偶然で生まれたものだったのかも知れないし、レシピを残しても扱える内容ではなかったのかも知れない。もしかしたら、清浄の雷を目の当たりにした当時の人間が、あまりの恐怖にレシピを処分した、なんて事も考えられる。
とにかく、デュナミスのレシピはダナ教のどこにも残されてはおらず、そんなものはなくとも教団の支配は続くと思われていた時勢も二百年の間に変わった。薄れつつあるダナの恐怖を思い出させる為には、もう一度ダナを復活させる必要があるのだ。
「僕が……魔女ダナを作る……。僕が……!」
戸惑ったのは一瞬だけで、ハルは未知の研究にすぐ没頭した。もともと気質が研究者向きだった事と、世の理に影響出来る事は、ハルにとって興奮すべき事だったのだ。
ハルの存在は同じ魔法科学者達にとっても大いに刺激となり、ほとんど夢だと思っていたデュナミスの精製が現実味を帯びれば、研究室にも活気が溢れる。ハルより数年先に研究チームに入っていたニナも例外ではなく燃えていた。
「あなたが来る前は私が一番若くて期待もされていたのにね、嫉妬も出来ないくらいに優秀なんだから嫌になるわ」
言葉と違ってニナの表情は柔らかい。ニナはこの時二十三歳でハルを除けば他の研究者より十分若かった。
「そんな……、まだまだ分からない事が山ほどあるし、試さなきゃいけない事も後から後から湧いて来る。チームがあるからこそ少しずつ前に進んで行けるんだ」
そう、ハルには嫉妬なんて下らない感情はない。目標に向かってひたむきに、ただし天才的な閃きを以って進むだけ。ニナもそれは分かっていたし、そんなハルを心の底から尊敬していた。そして時々、研究に没頭しては、何日も日の光を浴びないハルを連れ出して中庭を歩くのだが、それはニナにとっても大切な時間だった。
「ハロルド! あなたがハロルドでしょう?!」
その大切な時間の最中に、聞きなれない女性の声でそう呼ばれた。
え? と顔を見合わせてから二人で声の方を見ると、美しい銀髪の少女がその髪と瞳を輝かせながらハル達に駆け寄る。白いワンピースから伸び出た足は同じくらいに白く、何故か裸足だった。
「君は……」
「私すぐ分かったわ! だってこの大神殿にいらっしゃるのはだいたいがオジさんなんですもの! ふふっ! 背も高いって言ってたし、それにボサボサの金髪とも言ってたの。全部ピッタリじゃない?!」
「……ボサボサの金髪……はは、まいったな……。ところで君は……」
「あら? でも眼鏡の奥の瞳は灰色って聞いたのよ」
君は一体誰なのか、どうして裸足なのか、ハルは聞こうと思ったがどうもタイミングが悪いらしい。ニナ以外の女性とは話す機会もないまま、すっかり研究者になってしまったハルはその少女の勢いに圧されてしまう。
「……灰色じゃないかい?」
銀髪の少女は上目遣いで、右から左から改めて見てはこう言った。
「違う、ネズミ色よ」
「……え? 似た様なものだと思うけどな」
「全然違うわ!」
ネズミ色と言うのはやや青色寄りなのだそうだ。そして自分は灰色よりもネズミ色の方が好きだと少女は言う。出会ったばかりの少女に、自分の瞳の色が気に入られようがられまいがどうでも良い話しだが、ハルは上辺ではなく思った。
「そう、なら……良かった」
「ええ! とても知的な色よ。安心したわ」
「僕の目が知的な色だと何が安心なの?」
「まさかとは思うのだけど! もしかしてあなたもハロルドと同じお仕事をしているの?」
またタイミングが悪かったのか、ハルの質問は聞いてもらえなかった。ハルの瞳の色に何か納得して満足した少女の興味は、ハルと一緒に勢いに押されて何も言えなかったニナに向いたのだ。
「えっ……ええまぁ……、他の研究者は今や全員ハロルドの補佐の様なものですが」
「何ですって! 凄いわ! 女の子なのに! 私ハロルドの噂は良く聞いていたけど、あなたみたいに素敵な女の子が居るなんて誰も教えてくれなかったのよ! ねぇお願い! 名前を教えて?」
どう見ても年下の少女に、素敵な女の子、などと言われたニナはムズムズしてしまう。
「ニナ……。ニナ・フルール」
「ニナ! なんて素敵なのかしら! 色んな人がデュナミスを作ろうとしたけどダメだったって! でもあなた達なら大丈夫なんじゃないかって思えるわ! どうしてなのかは上手く言えないけど私そう言うの分かるのよ! しっかりハロルドを補佐して頂戴ね!」
「えっ……! じゃあ……君は……」
「はぁ……、鈍いわねハロルド」
ニナはとっくに分かっていたようだが、改めてその銀髪を見てハルはそうかと納得した。
生まれながらに強力な魔力を有する者を一目で判断する方法、それはその髪が銀色かどうかだ。もちろん黒髪でも赤髪でも、魔力に恵まれる人間も居る。だが銀髪をもちながら魔力が乏しい者は居ない。銀髪でありながらそうでない者に潜在魔力で劣る事もない。一般的には知られていないが魔法科学者にとっては周知の事実で、その存在は極めて希少である。
「そう、私はミゼール。ダナになるの」
ハルが自分の髪を見ている事に気付いて、ミゼールは自分の胸のあたりに流れているその銀髪をキュッと握り、笑顔でそう言った。
「ああ……」
一緒に自分の心臓も掴まれたみたいに、ミゼールの笑顔はハルの胸をキュッとさせた。
「会えて良かった!」
バカみたいに突っ立ってミゼールの笑顔に見惚れていたら、ミゼールはおもむろに後ろを向いて駆け出してしまう。
何か言わなければきっとこのまま走り去ってしまうのだろうと思ったが、何も言葉は出て来なかった。そのくせ、これが最初で最後だったら残念だとも感じていた。ミゼールはまるで日の光に溶けたみたいに居なくなってハルは夢から覚め、ニナはそんなハルの横顔を複雑な気持ちで眺めた。




