雪深い、山の麓の小さな村まで
護衛が言った様に、教会が開くまでまだ時間があったので、リアンは兵士の控室でしばらく待つ覚悟であったが、思いがけない早さでその控室に使いが現れた。
「今すぐ来い、司祭様が会われるとおっしゃっている」
「しっ……司祭様が?! まっ……待って、せめて着替えとか……」
「良い。そのままですぐに来い」
「えええっ!」
ダナ教最高権力者、フロディ・スラ司祭。彼の言葉は、魔女ダナの言葉だ。
「わっ……分かったわ……」
粗相のないようにと散々使いの者に言われ、リアンは司祭の部屋へと通された。
天井の高い、明るい部屋だった。真っ白な壁には魔女ダナの像が彫り込まれていて、その背中から生える大きな翼にだけ黒く染色が施されている。
魔女ダナの、黒い翼。ダナが生み出す雷は世に清浄をもたらす。幼い頃から誰もが知っている事だ。
壁のダナを眺めていた司祭はくるりと振り返り、リアンはまるでその翼が司祭から生えている様に見えた。
何度か壇上で説を教えている姿を見た事はあったが、やはりまだ若いと思う。そうは言っても四十代半ばくらいだろうが、田舎に居た頃のリアンの司祭のイメージは白い髭をたくわえた様なお爺さんだったのだ。
「おっ……おは……ようございます? あっ、えと、朝早くに、すみません……!」
粗相のないようにと言われ過ぎて何から喋れば良いか迷うリアン。挨拶は朝の挨拶で大丈夫な時間だが、その前に時間外の面会の非礼を詫びるべきか。
「膝を付かないかリアン・アミット」
はっと隣を見ると使いが膝を付いている。ダナ教司祭は王族と同等とされているこの国では司祭の許可が下りるまで膝を付き、頭を下げるのが礼儀だ。
「あっ! すっ……すみませ……うっ……!」
リアンは慌てて膝を付こうとしたが、石膏が取れたばかりの膝に痛みが走る。入室時から足を引きずっているのに気付いていた司祭はリアンを手で制してこう言った。
「良い、軽くはなさそうな怪我だ。お前は下がりなさい」
「はっ!」
使いは下がり、司祭の言葉に助けられたリアンは何となくその背中を見送ってから改めて司祭に向き直る。
「ありがとうございます」
「先の捕獲作戦での負傷であろう? 勇敢なるリアン・アミットよ」
勇敢なる……。褒められる事に慣れていないリアンは、大概の褒め言葉に対して下らないお世辞だとしか思わないのだが……司祭にそう言われるのは悪くなかった。
「あ……、そんな……ありがとうございます」
分かりやすく照れるリアンに目を細めてから、司祭は早速切り出した。
「……して、私に見せたいものがあると聞いたが」
「はい! こっ……これ、です!」
ひざ掛けに包んだ本やノートを取り出して見せる。
「それは……?」
両手に本を抱え足も不自由なリアンに、司祭は自ら近付いてその内の一冊を手に取った。それは一番最後までハルが何かを記していたノートだ。
「出来れば崖上の悪魔を仕留めたかったのですが、いかんせん強力な魔術を扱う……まさに悪魔でしたので、隙を見て怪しげな悪魔の持ち物を持ち帰る事しか……」
本当は……、悪魔に足の怪我を介抱してもらい、夜中にこっそり盗んで持ち帰ったわけだが、そんなのは勇敢なるリアン・アミットにふさわしい行動ではない。
なのでリアンはそれっぽい言葉を並べ立てたが、ふと見ると、肝心の司祭はあまり聞いていない様だ……。
目をむいて、震える手でページを捲り、それを夢中で読み漁っている。目に見えて心拍数が上がっているようである。尋常ではない。
「司祭様……?」
「っ……」
小さく息を吸って、司祭が名残惜しそうに、ゆっくりとそのノートから目を離す。
「あっ……あの……」
「勇敢なるリアン・アミット……!」
「……はい」
「大儀であったな。今後の生活は一生保障されるであろう、そなたにダナの加護を」
「っ……!」
リアンが欲しかった言葉。 少しは期待していたが、まさか本当にダナの加護をもらえるとは……! 思いがけず顔が綻ぶ。
「ありっ……! ありがとうございます! あのっ! あた……私! 生まれはコルトです!」
「ええ、きっとダナの加護は届くでしょう」
加護は届く……! あの雪深い、山の麓の小さな村まで……!
「やった!」
思わずそう漏らしてしまい、しまったと口元を抑えるがそんなリアンを見る司祭もまた、顔が綻んでいた。安心したリアンはこう続ける。
「それであのっ、私には妹が居まして! 一番下の妹は三つの時にダナの加護をもらいました。今はダナ教の特別強化兵士として訓練を受けているのですが……」
「それは素晴らしい、姉妹でその様な……。それで?」
嬉しさのあまり、タイミングも考えずに始めた話しを、司祭はにこやかに聞いては続きを促してくれた。
「また一緒に、暮らせるでしょうか?」
リアンの一番の目的はこれだった。
ダナ教は優秀な人材を集めるのに非常に積極的だ。三年に一度、各所を調査団が巡り、相応しい人材には幼いうちからダナの加護が与えられる。それは天才的な頭脳だったり、潜在的な魔力量だったり様々だ。
ダナによって統一され、戦争のないこの世界でダナの加護を受けるには、何年もダナ教に尽くし、認められるか、調査団に見込まれるかのどちらかしかない。それにリアンの妹は選ばれ、あの立派な馬車に乗ってその日のうちにダナ教へ連れて行かれた。それはもちろん喜ぶべき事なのだが……、どうしてもリアンはあの馬車が好きにはなれない。
「妹が特別強化兵士に選ばれて田舎を離れてから一度も会ってないんです。妹には特別な才能が有り、一緒に暮らすのは難しいのであれば、そのっ、たまに会うだけでも……」
ダナの加護を受けるタイミングや本人の希望、状況などで加護の内容も変わる。貧しかったリアン達家族は一番下の妹をダナ教に預ける代わりに、生活を支えてもらっているのだった。
「あなたが望むのなら、その様に」
「……! あっ……ありがとうございます!!」
勢いよく頭を下げて、もう一度上げて、キラキラした表情でリアンは司祭を見詰めた。
「残りもすべて預かりましょう」
そう言って司祭は懐から銀色のベルを取り出すとリンと鳴らせた。扉の向こうで待っていたであろう使いがすぐにやって来て膝を付く。
「お呼びで」
「リアン・アミットにダナの加護を。彼女の故郷、コルトの家族にも祝福を」
さっきまで散々リアンに偉そうな態度を取っていた使いが、その言葉に目を見開いて恐縮した。無理もない。一体どれほどの功績を上げたと言うのか、使いは戸惑い、もう一度フロディを見たが、ゆっくり頷く様子に納得し、ようやく頭を下げてこう言った。
「……はっ! ではリアン様、こちらへ」
「……りっ……リアン様……?!」
生まれて初めての言葉にきょとんとしていると司祭が言った。
「当然だ、ダナの子、リアン」
「……! あはっ!」
リアンはとうとう、白い歯を見せて笑った。ダナ教司祭が即決でダナの加護を与えるに相応しい働きをしたのだ。




