祈りの言葉 アールヤ
――ダナよ、憐れな私にどうか加護をお与えください。アールヤ……! ――
こんな時ばかり祈ってみてもきっと意味はない。
そう分かっていながら、馬が暴れる度に馬上のリアンは心の中でアールヤと唱えていた。
それはダナに捧げる祈りの結びだった筈だが、いつからか人はその言葉自体に様々な祈りを乗せる様になった。
「さぁ、良い子にしててよ……! 絶対うまくやらなきゃいけないの、大一番なのよ」
アールヤと繰り返しながらリアンは、馬に乗るのは剣術よりも得意だと嘘を吐いてしまった事を後悔していたのだった。せめて普通に乗れますくらいにしておけば良かったものを、何故わざわざ剣術よりもなんて付け加えてしまったのだろうと。そう、付け加えるなら魔術よりも、だ。それなら嘘ではない。一切魔術は使えないのだから。
「うわあああ……とっ……ととっ……どうどう!」
これでは本当に得意な剣術が、かなりお粗末なものだと思われてしまう。そうなっては元も子もないと、リアンは一生懸命手綱を引きながらなんとか馬を落ち着かせた。
単身田舎から中央都市へやって来て早三年。ようやく世界最高権力ダナ教の一員になれたのだ。何とか手柄を立ててダナの加護をもらいたい、そして田舎の妹達の将来を安泰にしたい、その一心だった。
騎馬隊の最後尾に並び、その時を待つ。胸は高鳴り、呼吸は浅くなっていた。
「お嬢さん大丈夫かい? 崖上の悪魔捕獲作戦に参加するのは初めてか?」
緊張状態のリアンに気付いた中年の騎馬隊員が話し掛ける。リアンはお嬢さんなどと呼ばれた事に少しムッとしながらも応えた。
「まぁね」
「そりゃ怖いだろうが……、そうだ、良い事を教えてやる。本当か嘘か、崖上の悪魔捕獲作戦に参加した兵士は大した怪我もなく全員無事に帰って来るんだ」
「はぁ? 結局作戦に失敗してるからこうやって何度も捕獲作戦が実行されるんでしょ。怪我がなくて良かったねなんて、それでもダナ教の兵士なの?」
まだ年若い娘が緊張している様子だったのでせっかく声を掛けてやったと言うのに、リアンから返って来た生意気な言い草に男は肩を竦めた。
「……やれやれ勇ましい事だ。せいぜい前のめりになって転ぶなよ?」
「余計なお世話よっ……うあっ……どうどう!」
度々落ち着きを失う馬を宥めながら、とうとうリアンは出撃の合図を受ける。
「勇敢にして聡明なダナ教の子らよ! 魔女ダナの神命により、これより崖上の悪魔捕獲作戦を遂行する! アールヤ!」
そう言って指揮官は黒い翼の描かれた団旗を翻す。そのエンブレムは騎馬隊員全員の胸にも描かれていて、リアンは胸元のエンブレムを握りしめると、号令におおと応えた。
だが、勇ましいのはその掛け声だけで、早々にリアンは隊から大きく後れを取ってしまう。
「えぇい! 良い子だから真っ直ぐ進みなさい! ご飯あげないわよ?! あっ……あっあっ……そっちじゃないってぇの!」
前方の土煙はすでに目標の森の中へと入って行く。これ以上は遅れるわけにはいかないと、リアンは必死に馬を走らせた。
なんとか隊を見失わない様に喰らい付き、森の中をしばらく進むと前方にむき出しの崖がそびえ立っているのが確認出来た。あの上に悪魔が居るのだ。
とは言え、それがどんな姿で、どんな悪さをするのか、リアンは分かっていなかった。
ただ自分の仕えるダナ教の魔女がそれを悪とするのなら考える必要はない。殺せと言われれば殺す。それだけだ。
これは別にリアンだけが特別な考えを持っているわけではない。
二百年前、清浄の雷と呼ばれる災厄で世界が半壊し、その災厄を起こした魔女ダナを崇拝するダナ教が世界最高権力となった。
ダナを否定する者には災いがある。それを疑う者は居ない。清浄の雷は、二百年変わらず民の心を支配しているのだ。
ダナの象徴である黒い翼は高尚な物としてあらゆる物に施され、敬虔な民は朝晩の祈りを忘れない。それは畏怖だ。それから少しでも逃れる為にもリアンはダナの加護が欲しい。
「なに?」
不意に、不自然な風の流れを感じた。その違和感に前を走る騎馬隊を注意深く見てみたが特に変化はない。気のせいかと臆病になっている自分に失笑する。
以前の失敗を踏まえ、崖上の悪魔が仕掛けてくるであろう魔法攻撃の耐性はリアンにも施してもらっているのだ。そう慎重になる事はない。
そう自分を落ち着かせた刹那だった。目の前に火の海が広がったのは。
「なっ……!!」
ゴッ! と言う音と共に眼前が赤く染まる。
前を行っていた騎馬隊からは馬の嘶きや男達の悲鳴。それに驚いたリアンの馬もおおいに暴れ、今までどうにか乗りこなしていただけのリアンはとうとう落馬してしまった。
「うっ……!」
何とか受け身は取ったものの、その衝撃にしばらく蹲る。馬はそんなリアンを待っていてくれる筈もなく颯爽と来た道を駆けて行ってしまった。
それに続くかのように、前の騎馬隊の馬も次々とこちらに駆けて来る。踏んでくれるなとリアンは身体を丸めてそれをやり過ごすが、その次にはリアン同様、馬から落ちた兵士達だ。
「悪魔……!」
「悪魔だ……!」
口々にそう喚き散らしながら性懲りもなく逃げ帰って来るではないか。しかも馬の様に器用にリアンを避けてはくれない。踏まれ、蹴られ、リアンになす術はなかった。
最小限に身体を丸めながら、その火の海を睨む。そしてリアンは気が付いた。そこからわらわらと湧き出る兵士達も、周りの木々さえも燃えてはいないではないか。
「何が……何が怖いってぇのよ!!」
リアンは立ち上がり兵士達の波に逆らって前へ進もうとした。と、そこへひと際大きな身体の兵士が思い切りぶつかり、リアンは吹っ飛ばされ、運悪く落ちていた大き目の石に後頭部を強打。
何としても手柄を立ててやると意気込んだ初めての任務は、何も出来ないままに気絶して終了してしまったのだった。




