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第八話 真っ黒いお人

 廃寺で一夜を明かし、一同は美濃路を行く。すると、百姓の一団が何やら誰かを取り囲んでいるのが見えた。

「何かあったのでしょうか」

「追っ手ではなさそうだが……」

 スエと又五郎が思わず足を止める。

「俺、見てくるよぉ」

 富太が駆けだした。そして、しばらくしてあわあわと駆け戻ってくる。

「ま、ままま真っ黒いお人じゃ! 俺ぁ、はじめて見た!!」

「真っ黒いお人?」

 又五郎が思わず、顎に手を当てて呟く。

「よもや、彌助か」

「なんと、知己であると?」

 藤左衛門が目を丸くする。

「……いや、名前しか知らぬが、信長公の供回りにおったのでな。あの本能寺にも、もちろんいたはず。……黒坊主、と呼ばれておって、バテレン達の下働きだったのを、信長公が貰い受けたという話よ」

 すると、それをスエから訳し聞いたファビオが言った。

『フロイスからそんな話を聞いたことがある。巡察師のヴァリニャーノ師の下僕を、信長公が気に入って引き取っていったとのことだ』

 バテレンのファビオやアンブロージョと共に歩いていても、すれ違う者達からは珍奇な目で見られるというのに、黒人となれば更に大変なことだろう。よく見ると、農民達は皆、刀や鍬、鋤や竹槍などを持っている。

「た、助けてやったほうが、良いのかね?」

 彌助は自分の顔を知っているはずだが、この風体でも気付くだろうか。又五郎は一瞬考え込むが、

「……そうだな。知りたいこともある」

 そう答えて、藤左衛門へ耳打ちしてから、群衆の方へと歩き出した。


「こら皆の者、控えおろう。これなるは彌助、亡き信長公直々の家臣であるぞ」

 藤左衛門が、普段は一寸たりとも発揮することのない『威厳』なるものを出そうとして、少し裏返った声で農民達にこう呼ばわった。

「つまり肌の色は黒くとも、この者はまごうことなき信長公の遺臣である」

 又五郎が、彌助の前に平伏して

「彌助殿。これなるは我が主、中泉藤左衛門。我らこれより清洲の大評定に参るところである。よければ貴殿からも話を聞きたい。宜しいだろうか」

 と問いかけた。

 アンブロージョほどに背の高い、黒い肌の異国の男が、答える。

「いいよ、いいよ。彌助、たすかるね」

 農民と彌助の間に、ファビオとアンブロージョが割って入る。思わず後ずさる農民達の前で、彼らはことさらゆっくりと、大仰に聞く。

『ポルトガル語は使えるか?』

『少し。でも、だいぶわすれた。にほんごは、できる』

『ならばついてくると良い』

『たすかる、とても』

 出来るだけ彌助に顔を見せないように、笠を被り直しながら又五郎が立ち上がり、腰の刀に手を置いて、言った。

「それでは彌助殿。拙者、これより護衛を務めさせていただく、荒須又五郎と申す。……さあ、皆の者、道を空けよ。信長公遺臣のお通りであるぞ」

 輪の中から彌助を連れ出して、一同はぽかんとする農民達を尻目に、悠々と歩き出した。


 街道脇の林の中へと入りこみ、そっと一同は身を潜める。慣れぬ『威厳』から開放された藤左衛門が、息を吐いて言った。

「どうせ泊まれる場所もないでな。清洲の町ではゆっくりできればよいのだがなあ……」

「彌助、たすかった。でも、はらへった……それで、湧き水、のんでいたら、囲まれた、こまった……」

 スエが荷物の中から乾し飯を出して、おそるおそる差し出した。

「ゆっくり、食べてくださいましね」

「彌助、たすかるね……」

 なんとも愛嬌のある笑い顔を見せて、ポリポリと乾し飯を食べ、彌助は息を吐いた。

『茶もあったほうがいい。疲れているだろう。マテ茶といって、海の向こうでは頻繁に飲まれているものだ。スペイン生まれの同胞から分けて貰ってな。この国では採れない貴重なものだ。精が付く』

 ポルトガルの隣国、スペインのイエズス会のバテレン達の間ではよく飲まれているという茶を、火をたいて沸かしたお湯で淹れてやる。

 独特の芳ばしい香りのする飲み物の入った碗を、アンブロージョから手渡され、彌助は思わず鼻を啜る。

「……本能寺からここまで、ずっと一人でおられたのか」

 又五郎が問う。

「彌助、なかま、いなくて、こまってた。ことば、ちょっとしか、つうじない、みんな、彌助、こわがる……」

 よく見ると服もぼろぼろになっている。アンブロージョが、荷物の中から替えの服を取り出した。

『これを着れば、多少は立派に見えよう。イエズス会の助けも得られるかもしれない』

「ありがと、ありがと……」

 彌助の目頭に熱いものが浮かぶ。ごしごしとそれを拭い、まだ熱い茶を一気に飲み干した。


 背負っていたほんの僅かな荷物の中から一つ、布に包まれていた木箱を、彌助はアンブロージョに手渡す。

「いつか、やくにたつ」

『これは……』

 布を解いて木箱を開けると、そこには炮烙玉がひとつ、蝋引きの紙に包まれて収められていた。木箱には『堺』とだけ記されている。

「彌助殿はあの夜、本能寺にいたはずだが……信長公は、どのような最期であったのか、聞いても良いだろうか」

 思わず又五郎が問いかける。そんな又五郎を何度も瞬きしてから見つめ、問われた内容を咀嚼するように、彌助はゆっくり、ゆっくりと答える。

「ほんのうじは、てっぽう、かやく、堺から、てにはいる。……ノブナガさま、朱印状、だした。あの寺で、交易、した。あの夜、ノブナガさま、火薬、かかえて、しんだ。こっぱみじん」

 あの本能寺の焼け跡で必死で信長公の首を探したが、何も見つからなかったわけだ、と思わず又五郎が小さく息を吐いた。

「彌助、たたかおうとした。明智、みのがした。彌助、生きている……」


 本能寺の日を思い出す。

 まだ一人京の路地で戦い続けている異人の男がいるがどうするか、と家来に問われて、あの慌ただしい中、それでも、

「もしやあの彌助であろうか。殺す必要はない。近くのバテレン達の寺にでも預けておくがよいだろう」

 と答えた記憶が蘇る。


 笠を深く被り直し、又五郎こと『明智光秀』は息を押し殺す。彌助は自分の顔を知っているはずだ。ここで気付かれてしまっては元も子もない。

「彌助様は、これからどこに行かれるのです」

 スエが聞く。

「オオガキ、すぐそこ。しばらく、お城に、かくれる。そのあと、国へ……帰りたい」

 ぽつりと、彌助が呟いた。

「うむ……行き先が同じなら同行しても良かったんじゃがなあ。今誰がどうなっているか、わしにはわからぬが、大垣の城なら誰ぞ信長公に近かった者が治めておるはず。きっと、良くしてくれるだろう」

 アンブロージョが、膏薬を渡す。

『きっと、長い旅になるだろう。ささやかだが、これを』

「これは色々な傷に良く聞きますゆえ、長旅にはお役に立つことでしょう。それと、乾し飯と水をお分け致しますゆえ……」

 スエが布に乾し飯と水の入った竹筒を包んで渡しながら言った。

「ありがと、ありがと。だいじに、つかう」

 彌助が嬉しげに笑う。そして、一同を見る。そして、笠を目深に被った又五郎を見て、少し黙ったあと、問いかけるように、言った。


「……なぜ、あのとき、彌助は、ころされなかったのか、わからない」

 又五郎が、静かに、答えるように言葉を返す。

「きっと、五月の雨も、時にはやむことがあるゆえに」


 彌助が、にっと笑う。

「彌助の国、晴れている、いつも」

 そして、付け加える。

「雨、もう降らない。彌助、げんきになった」

 そして、きちんと地面に座りなおし、武士のそれと同じように、深々と頭を下げる。

「彌助、オオガキ、行ける。国に、帰れる」

 そして、すっくと立ち上がり、ぼろの服の上からバテレンの服をまとい、荷物の中に大事そうにスエから貰った乾し飯と水を布で包んで背負うと、何度も何度も手を振りながら歩き去っていった。


「たとえどんなに遠くとも、帰る国があるというのは、良いことであるな」

 又五郎が、ぽつりと呟く。スエが思わずそんな男の手を取った。そして、取ってしまった後に、慌てて言葉を探す。

「かたじけない」

「い、いいえ、その………」

 そんな二人のやり取りを、目を丸くした後に少し眩しげに見つめて、藤左衛門が言った。

「うむ、やはり荒須殿は、薬草園の行く末が決まり次第、うちにくると良い。今はまだ何も決まらぬゆえ、なんとも言えぬがのう」

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