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第六話 関ヶ原

 目の前が突如大きく開けて、一行は思わず息を吐く。

「ここが関ヶ原……」

「へぇ、良い薬草が採れそうだなぁ」

 何の変哲もない見晴らしの良い平原が、山と山の間に広がっている。

「まるで合戦場のようじゃなあ」

 藤左衛門が呟いたとき、どこからか、本当に刀と刀の打ち合う音が聞こえてきた。思わず刀を抜き、又五郎が囁く。

「そこの藪へ!」

 慌てて皆が藪の奥へ飛び込んで身を潜めると同時に、広い草地にやや西国訛りの言葉が響く。


「知らぬ! 吾輩はそのようなこと、知らぬと申しておる!!」

「秀吉公に送られたあの首は偽物だった。どこかの誰かが匿っているとしか思えぬ」

「わ、吾輩は日向殿とはあの合戦で負けて以来、会ってもおらぬ」

 そっとスエが藪の隙間から目を凝らす。先日見た覚えのある、あの黒装束の男達が、誰かの一団を取り囲んでいた。

「あれは……」

「京極殿か! 山崎合戦の折には今浜城にいたはず……ここまで、落ち延びてこられたのか」

 又五郎が唇を噛む。

「あ、あれはあの時の……あの面妖な連中が、まさかこんなところにいようとは」

 藤左衛門も藪の中で身を竦めながら、何かを逡巡しているように視線を泳がせる又五郎に、おそるおそる言った。

「し、しかし、どうする、荒須殿。放っておくわけには………い、いくまい。わ、わしは刀ではこれっぽっちも役には立たぬが、あの黒装束は、よ、良くない者達じゃろ。どの道、あの者らがうろつくこの場を、ただで抜けられはしなかろう」

 又五郎が思わず、藤左衛門を見る。

「良いのか」

「う、うむ。その様子、貴殿の知己なのじゃろ? ならば、助けるのが筋なのではないか」

「ありがたい。では……」

 背負っていた火縄銃を素早く降ろし、刀を地面に突き刺すと、火縄銃に弾と火薬を素早く込めて、刀の鍔の上に銃身を載せて銃架代わりにする。

「……皆、少しの間、耳を塞いでくれぬか」

「は、はい!」

 数秒の後、耳をつんざくような爆音が響き渡る。黒装束の男の一人が肩を押さえて振り返る。

「どこだ! どこから撃った……」

 藪の後ろで伏せている又五郎は向こうから見えていないらしい。火縄銃に再度弾と火薬を込め、藪の前から離れると、低い体勢で素早く移動し、しばらくして再び発砲する。

 銃声が山に囲まれた平原に響き渡り、反射して大きく響く。

「ここは、音がとてもよく響くのですね……」

 スエが思わず息を呑む。ファビオが

『やはり、随分手慣れているな……』

 ぽつりと呟いて、アンブロージョを見る。アンブロージョが答えた。

『ゴローは傭兵出身なのだろう。良い腕だ』 

 そして、

「複数か!?」

「何奴ぞ!!」

 黒装束が慌てふためく瞬間を逃さず、京極殿、と呼ばれた一団が、彼らの輪を崩して逃げだした。又五郎はほっと息を吐いてから、更に移動し身を潜め、目を細める。


「……『又五郎』の首が偽物である、と露見したか」


 かの山崎での合戦の出来事は、一日たりとも忘れたことはなかった。

 落ち延びて、また落ち延びて、供回りひとりもいない雨の中、腹を切る前に、自分の顔に短刀で傷を入れた。いつかこの首も取られることだろう。

 しかしながら、己の首をあの『猿』に検分され、『これこそ間違いなくあの明智光秀の首よ!』と嘲られるのを、自分は良しとしなかった。

 そこにたったひとり駆けてきたのが、あの『本物の』荒須又五郎だった。背丈も歳もよく似た供回りの男が、泥塗れで平伏する。


「………生きていれば、ご運もまた開けましょうぞ!! それがしが……それがしが、身代わりになり、最期のご奉公をしとう存じます! 何卒、何卒!!」


 又五郎に剥ぎ取られるように、服と鎧を交換した。あれからまだ数日もたっていないような、もう何年も経っているような、そんな気さえする。


 そして優しく薫る庭に、親切な人々、異国の言葉を解する美しい娘。夢のような一時。息を、ようやく吹き返した気さえする。

 それと同時に、昏く燃える復讐の炎もまた。


 自分が死んだら、きっと藤左衛門やスエ達は深く悲しむことだろう。彼らはそういう人物である。

 この復讐劇、それはきっと己の死で幕を閉じるはずだが、まかり間違っても彼らをそこに連座させぬよう、それだけは深く注意せねばならない。


 息を吐いて、吸って、ぐっと止める。そして標的を見定める。

 若い頃より慣れ親しんだ火縄銃。腕前は年老いた今もなお、信長公の家臣達の中でも随一であると自負していた。


 黒装束のうちの指揮官らしき男に狙いを定め、爆音と共に発射した弾が、男の脇腹を貫通した。振り向いていなければ完全に仕留めたはずだったが、これで良い。


「お頭!!」

「一旦、引け……!!」


 黒装束達が山の方へと撤退していく。急いで元の藪へと戻り、藤左衛門達に言った。


「我々も急がねば! あの黒装束達は山へ登った。我らを上から探すつもりであろう。だが、棟梁らしき男には深手を負わせておる。すぐに追ってはこなかろう」

「この平原、早く抜けるが吉のようじゃな!」


 藪から飛び出し、一同は平原を走り出した。全員で走ると少し遅れがちなスエの手を、又五郎は反射的に握りしめて走る。


 男の手から硝煙の匂いがする。あの薬草園にいたら知らなかったはずの、物騒な匂い。しかし、この男を象徴するかのような香りは、スエにとっては少しばかり、心地よくもあった。


(今、考えている場合ではないのに)


 よく見ると細かい刀傷も多い手。戦国を長く生きた証である。荒須又五郎。一体本当は、どういう男なのだろう。

 どうしてもそれを知りたい、という気持ちが、スエの胸の奥に小さな火をつける。このままだと、この小さな火が身体中に燃え広がって、大きな炎になってしまいそうだ。


 関ヶ原の平原を走る脚に、力が入る。今はこうしてただただ守られているこの身ではあるが、いつかは、この人を守りたい。


 なぜ自分よりもずっと強く、頼もしいこの男を『守りたい』などと感じているのかは、自分でもわからないが、この男には、守ってやらねばならぬところがある。そのような気がするのだ。

 欠落している何かが。


 男の欠落を埋めることのできる女になるには一体、どうすれば良いのだろうか。

 きっと数多の薬草でも効くことはなく、ましてや自分の知る異国の言葉の中にも答えがないものなのだろう。


(ならば、どうすれば良いのです)


 答えの出ない問いを頭に巡らせ、身体の奥には熱い炎を巡らせながら、又五郎と手をしっかりと握り合ったスエと、その後ろを走る一行は、関ヶ原の平原を駆け抜けていった。



 清洲のとある寺。どことなく愛嬌のある顔の、背の低い男が、堂の一室から首桶を庭へ蹴り飛ばして大きく息を吐く。


「あの金柑頭に替えがあるとは聞いとらんわ。この儂をちょうらかしおってからに……」


 人のいないところでは故郷の訛りが出やすい男だった。

「……大評定までに、あやつの本物の首を手に入れにゃああかんでな……」

 この自分、羽柴筑前守秀吉が『討ち果たした』ということになっている男が、もしもまだ生きているとしたら、それは大問題である。

 何としてでも確たる証拠を手に入れたかったが、清洲の大評定はもう数日後に迫っている。

 いつの間にか、近習の一人が縁側に控えていた。

「殿。柴田殿が清洲入りしたそうにございます」

「ふん、北国からようよう戻ってきて、明智を討ってもいないのに、あのでかい面をさらにでかくしてふんぞり返るのじゃろうな。目に見えるようじゃわい。……お市様は?」

「岐阜城より参られるとのこと」

「よく接待するようにのう。粗相のないように」

「かしこまって存じまする」

 言われる前に、地面に転がっていた首桶と偽の首を、至極『事務的に』拾い上げてから、速やかに去っていく。

「相変わらず佐吉は気が利く奴じゃなあ」

 普段は『佐吉』と呼ばれる、今年で二十二になる近習。最近ぐんと秀吉の信用を上げてきたこの家臣の名は、石田三成と言った。

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