第五話 野宿
真新しい草履を又五郎の前に差し出して、スエは言った。
「よく眠られましたか」
「ここに来てから、よく眠ることが出来ている。ありがたいことだ」
富太がそんな又五郎の包帯を手際よく取り替え、薬草や膏薬、着替えなどの入った荷物をアンブロージョに手渡すと、アンブロージョが言った。
『夏のみ使える北の道を使う。セキガハラ、オオガキ、ミノを通って、南下すればキヨスだ』
「関ヶ原、大垣、美濃を通って清洲ですね」
「心得た」
「南の街道を通るよりは、人目につかなさそうじゃなあ。そのほうがよかろう」
旅仕度の整った藤左衛門がやってきて言う。
「あのあたりは国友といって、火縄銃の工房もある。銃を担いでいても、問題はあるまいよ」
又五郎が布に包まれた火縄銃を背負い、腰から刀を下げて、深い傘を目深に被り直す。
「しかしなんかこう、荒須殿はただの護衛にしてはなんかこう、独特の威厳みたいなものがあるのう………」
「少々背が高いだけである。この顔の包帯ならば、知己にあっても気付かれまい。その方が何かと、都合が良いのでな」
小柄のファビオと大柄のアンブロージョというバテレン二人組も、並んで立っているとなかなかに目立つ。
「それに、これだけ目立つ一団に、目立つ者が一人いたところで、気にもされなかろう」
「うむ、そうじゃな。では、参ろうぞ。皆の者、わし達が留守の間、庭を宜しく頼むぞ!」
『デウスのご加護在らんことを!』
庭に残るバテレン達一同が、一斉に祈りの声を上げて、一同を見送った。
スエ、又五郎、富太、藤左衛門、ファビオ、アンブロージョの六人が、列を成して伊吹山の薬草園を、後にする。
いつも通りの、薬草の香りに満ちた六月の朝。桔梗の花が、彼ら一行を見送るように、静かに揺れていた。
伊吹山を下りた場所に、朽ちかけた館があった。
「あの館は?」
又五郎が問う。
「もう何年も何年も前、このあたりを治めていた名門の京極殿の一族が住んでいたという話じゃよ。わしがここに赴任するよりもずっと昔のことゆえ、仔細はわからぬが」
「京極殿が、か」
「京極殿といえば、織田家でもお家再興の為に頑張っておられた記憶があったが……此度はどうなったんじゃろうなあ。そういえば、どこぞに美しい妹御がいるという噂じゃったが……」
「京極高次殿は明智軍に付いて下さったが、その後は、どうなったのか……」
「そうじゃったか……」
アンブロージョが差し出した水筒を皆で回し飲みしながら、歩いていく。荷車に家財を乗せた一団ともすれ違う。
「安土から脱出してきた者達じゃろうなあ」
「安土から? 町は焼けていなかったと思うのですが……」
スエが聞く。
「あそこは信長公あっての町じゃからなあ。古の和歌のように、あるじなしとてなんとやら、というわけにはいかぬよ。特に、商人あたりはそうじゃろうな……」
藤左衛門が答える。そんなこんなで、この一同は街道を歩んでいった。
そして夜。
「いや、その、お泊めするのは……少々……」
と、宿での宿泊を断られて、これで五軒目だった。とっくに日は落ちている。バテレン二人に、顔に包帯を巻いた護衛がついた一団。危ぶまれて当然である。
「もしかして、そうなるような気はしておったんじゃが、本当にそうなるとはのう……」
藤左衛門が頭をかいて、ため息をついた。
「どこか、館の軒先で良いのでなんとかしましょうか」
思わずつられてスエもため息をつく。バテレン達がいる以上、寺院の軒などを頼ることもできなかった。富太が
「どっかにあのおんぼろな館みたいなのが転がってりゃいいんだけどなぁ」
思わず呟く。
「拙者らは平気だが、スエ殿はゆっくり休ませてやりたい」
スエが思わず真っ赤になって、
「わ、私も平気でございますから!」
というが、灯りを手にした又五郎は首を振る。
「年若い女子をこんな道端で苦労させるわけにはなるまい」
自分の姪が『年若い女子』と呼ばれて真っ赤になっている様を見て、藤左衛門が目を丸くする。
「お、女子と思わず、旅のお供と思ってくださいませ!!」
「そ、そうか」
「足手まといはいやでございます。この時期ならば野宿でも構いませぬ」
又五郎が藤左衛門に言う。
「ほんにしっかりした姪御じゃ」
「男であったら跡取りにしておったわい」
藤左衛門も笑い返し、
「では、野宿にするかね」
二人のバテレン達に振り返る。
『今宵は野宿にございます』
『我々のせいで、すまぬな』
ファビオとアンブロージョが同事にため息を漏らす。
『大丈夫ですよ。野外で寝ることになりますが、皆で何とかしましょう』
スエは言ってやった。
アンブロージョが荷物の中から大きめの布を出す。
『これは使えるだろうか』
礼拝堂でかつて使っていた、使い古したテーブルクロスだった。大きさも十分である。
「さすが、旅慣れておるなあ」
藤左衛門が、アンブロージョの荷物を見つめて言う。
「ふむ………縄もあるとは流石アンブロージョじゃ。さて、足軽の幕舎を作るのは何年ぶりじゃったかのう。長い棒を二本と、短い棒を二本、調達してくれるかね?」
「足軽の幕舎、か」
「それがし、足軽の時代が長うございましてな。昔取った杵柄というやつで。富太はどこぞの農家から筵を借りてきてはくれぬか」
近くを流れる小川の脇に、屋根代わりのテーブルクロスの四隅を四本の棒に縛り付けたものを立てて、その下に筵を敷く。
「かろうじて、全員入れる感じかなぁ………」
富太が言った。
「うむ、まあ、こんなもんじゃな。昔はよくこういう場所で休んでいたものよ。大柄の者は外側になってしまうが」
藤左衛門も懐かしげに言う。
「拙者は護衛ゆえ、外側の方が良かろう」
「スエと富太が真ん中じゃな」
「かしこまりました」
又五郎とアンブロージョを一番外側にし、そしてスエと富太を挟むように藤左衛門とファビオが寝転がる。
「これはこれでなんか楽しいけどよぉ、雨や冬だったら大変だったよなぁ」
「本当に」
眠る前の祈りの言葉がファビオとアンブロージョから聞こえる。彼らもここを、眠る場所であると認識したらしい。
『布教活動ではままあることだという』
『この国はまだ気候が良いな。インドやマカオの連中は苦労が多いと聞く』
又五郎も、
「拙者も浪人だった時代が長くてな」
一番外側に腰掛けて、ゆっくり足を延ばす。
「これを使われると良い。足の裏に、こうして塗るのじゃ。疲れが取れるでな」
そんな又五郎に、藤左衛門が小瓶を渡す。あの薬草園をそのまま詰め込んだような、良い香りが漂う。
「貴重な品ではないのか」
「庭に帰ればいつだって採れる草でできておるそうじゃよ。バテレン達の国から持ち込まれた『ろすまにいにょ』だったかのう。油に浸すだけで簡単に作れるとか聞いたでな。わしは詳しくないが……」
ローズマリーから抽出されたオイルを、言われたとおり又五郎は脚に塗る。歩き通しの脚に、ほんのりと刺激のある香りのオイルが、心地よく染みわたった。
「それで、浪人時代はどこに?」
「……越前が一番長かったか。もうすぐ通る美濃にもいたことがある」
「越前の一乗谷城下は良い場所で会ったと聞く。他ならぬ信長公が燃やしてしもうたが……」
「ああ。あそこは良い場所であった」
少し懐かしげに答え、笑う。
「もちろん、あの薬草園に勝る場所はないが」
藤左衛門が微笑む。
「貴殿さえよければ、清洲での所用が終わった後、また護衛として庭に勤めてくれてもよいのじゃぞ」
スエも言う。
「それはようございます! とても、とても心強くて……」
又五郎が、思わず湧き出る複雑な思いと迷いを胸の奥に押し込めて、微笑んだ。
「拙者は一度は死んだも同然の落ち武者ゆえ、あそこで穏やかに再びの生を歩めるのならば、幾万の金銀を払ってもよいというものよ」
「清洲では知己に会うと言うておったが」
「そうじゃな。それ次第で………ああ、でも、良いのだろうか」
とうに日が落ちて、星や月が輝きだした夜。
「息子は先の戦で去んだが、娘は生きておる。いつか、父はまだ存命と伝えた方が良いだろうが……我が娘は訳あって、この身分よりずっと良き家に嫁いだ。負け戦で死んだことにしておいたほうが、良いのかもしれぬ」
スエが言う。
「いいえ、いいえ! お父上が生きていることを喜ばぬ娘などおりません。荒須様のようなご立派なお父上なら、尚更でございましょう」
「清洲についたら、文をしたためようか」
「ええ! それがよいと存じます」
きっとそれは、娘に充てた遺言になるのだろう。そのことをそっと秘め、又五郎はスエに微笑んだ。
「………バテレンの?」
一同が眠った後、まだ起きていた又五郎に、藤左衛門はそっとスエの出自を明かした。
「そうか。バテレン達の言葉がわかるのは、そういうことだったのか」
「わしが教えたのは内密にな」
「相分かった」
「……こうして、ずっと庭に留めてしまった。あの娘ももう十七。嫁ぎ先を探してやらねばならないが、とんとあてがない。情けない叔父で申し訳ないというものよ」
自分が『明智光秀』の時だったら、全国に広がっている知己の情報網を使い、あっという間に、申し分なき大名の息子などを嫁入り先の候補に幾人か挙げ、根回ししてやることもできただろうに、と又五郎は息を吐く。
「しかし、バテレン達の言葉を解すとは、本当に稀な能力であるな」
「わしのようなぼんくらな出世遅れが、仮にも奉行として、あの薬草園でのんびりと暮らせたのも、ひとえにスエのおかげじゃよ」
「いいや。そなたは心優しい。織田家中では、それもまた稀有な力であることよ。信長公亡き後、清洲の会議で天下の行く末も決まる。今少し、穏やかな世になればいいものだが……」
「ほんにそうじゃなあ……しかし、どうなんじゃろう。わしにはわからぬことだらけじゃ」
ふと、又五郎は聞く。
「羽柴筑前殿をどう思う?」
藤左衛門が、眉間にうんと皺を溜め込みながら答える。
「ああも出世されてはのう。此度一番の功労者ではあろうが、あの柴田殿とは、どうも仲が悪かった覚えがあるのじゃが……。清洲での大評定、きちんとまとまるのかのう」
そして、呟く。
「……あれほどの大出世をするのに、いったいあの信長公の元でどれだけのことをしてきたのか……あまり想像はしとうないなあ。信長公はとかく少々、荒っぽいところがあったゆえに」
そして、笑って付け加えた。
「わしは凡愚ゆえ、口の上手い人たらしにはできるだけ、近寄らないようにしておったのよ。わしの亡き妻が『口の上手い者には近づくな、お前さんは騙されやすいから』と口をすっぱくして忠告してくれてなあ。それを今でも守っている、というわけじゃ」




