第三話 疑念
「ダイオウ、ジオウ、あとシャクヤクに……キンセンカもいいなぁ………少し膿みかけている傷もあるしよぉ、キキョウもいるかなぁ」
礼拝堂の一室の壁一面に設えられている薬箱の引き出しを、富太が手際よく開けていく。
「桔梗、か」
又五郎が呟く。
「こりゃあ、きちんとした医師に診て貰った方が絶対に良いけど………このキンセンカの膏薬、バテレン達の故郷では良く使われてるってさぁ。結構よく効くんだぁ。なんだったっけ、そうそう、『かれんでゅら』って言うんだってよぉ」
抗菌作用に優れたダイオウ。止血作用があるジオウ。そして、鎮痛作用で知られるシャクヤク。戦場でも使われる薬の原料の数々である。
この富太という少年は的確だな、と又五郎はそっと目を細める。少しばかり系統は違うが、自分もかつては薬や医療に携わっていたことがあった。
「富太殿、薬の知識はどこで?」
「俺ぁ、薬種問屋で奉公しててさぁ。伊吹山に来る前に、うちの殿がわざわざ小使に取り立ててくれたんだよぉ。薬草のことが分かる者を、って。……あっ、それと、俺に『殿』はつけなくていいってもんよぉ。俺、百姓の六男でよ。荒須様みたいな立派なお侍さんじゃないさねぇ。うちの殿がたまたま引き立ててくれたってだけさぁ」
そして暢気に笑う。
「殿もあんな感じでのんびりしてるからさぁ、小使にって言われたときゃ、正直ちょっとびっくらこいたんだけど、この庭で働くのが決まって………だから俺、戦場に行ったこともねえんだよなぁ」
又五郎が言ってやる。
「戦場など、ないに越したことはない」
富太が目を丸くする。
「そげな立派な刀と火縄銃を持ってても?」
「ああ。それでも、恐ろしい場所であるからな。拙者はこの世が、戦場などない、この庭のように穏やかな世であればと思っておってな……」
わらわらと湯やら何やらを携えてやってきたバテレン達が、自分の顔の傷を見ては驚いたり、痛ましげな顔をしたりと様々な表情を見せる。
「バテレンの言葉は未だにちっともわかんねぇけどよぉ、スエがいるからなんとかなっとる」
「スエ殿は……バテレン達の言葉が?」
「なんだか、難しいことが色々あったらしくってさぁ、なんでかは、俺、わかんねぇけど……」
又五郎が言う。
「……拙者の娘は、熱心なキリシタンでな」
富太が目を丸くする。
「じゃあ、荒須様は……」
「拙者はそうではないが、そうだな……こうして父が負け戦に巻き込まれたことはもう、伝わっていよう。嫁ぎ先で難儀しておらねばよいが……」
そんな又五郎の顔の傷に膏薬を塗り、白い清潔な布をまき直してやる。
「負け戦……そういやぁ、荒須様は明智光秀公のご家臣、って聞いたような……」
「……ああ、そうだ」
「俺達ぁずっとこの山の庭にいたから、よくわかんねえんだけどよぉ、信長公を討ったのが、荒須様のご主君の光秀公で、その後……」
又五郎が目を閉じる。
「……中国の毛利の元にいたはずの羽柴の軍勢が、突如現れてな」
そこに、藤左衛門がやってくる。
「つ、つまり、信長公を討った光秀公を、羽柴筑前殿が討ったと言うことか……荒須殿、聞いてしまって申し訳ないが、そういうことかね?」
「そうだ」
そんな又五郎を労るように、後ろからやってきたスエが、朝餉の膳を手に言った。
「叔父上、積もる話は、食事の後になさいませ」
「そうじゃなあ。さあ、荒須殿。いっぱい食べて今はとにかく精を付けてくだされ。後でわしの服をお貸ししましょうぞ。わしは背が低いゆえ、ちょっと丈が寸詰まりかもしれませぬがな」
アンブロージョが、富太が開け閉めした引き出しを見ながら、隣にいたファビオに囁いた。
『目が』
『どうかしたのか』
『あの男は、目が昏い』
口数は多くないが、暗愚ではない大男を前に、ファビオが目を細める。
『危険だと思うか』
『いや、あれは夕暮れの目だ。まだ、闇の中ではない』
『夕暮れ、か』
いずれ、今は九州にいるはずの同郷のバテレン、本来ならば信長公に最も近いところにいたルイス・フロイスからも手紙が届くだろう。
京で起きたらしいノブナガ公の横死、その顛末について、何時ものように長々と、ややまとまりには欠けるが精緻な文章で、書き認めてくれるはずだ。
『アヅチに建てかけていた神学校はどうなるだろうか。建設が中止になどならなければよいが』
『うむ……』
ノブナガ公は死んだ。デウスどころか自分の国の神仏さえも信じなかったという、この国の王にも等しかった男は、地獄に落ちたのだろうか。
ここに届いた知らせは、テンプロ・ホンノウジ、この国の言葉で言うところの『本能寺』にほど近い場所に建っていた教会に住まう、自分達と同じバテレン達からだった。
相当慌てていたのか、あるいは現場が混乱していたのか、詳しいことは何も書かれていない。
そして、そんな不信心な男に随分と入れ込んでいたフロイスは、今頃各所から必死でありとあらゆる情報をかき集めていることだろう。どう書いて寄越すのだろうか。
詮無きことだ、とファビオは首を振った。それよりも今考えなければならないのは、自分たちのことなのだから。
又五郎は吃驚するほどよく食べた。
三日三晩何も食べていなかった、というのは本当だったらしい。その食べっぷりに、思わずスエが言う。
「あ、あの、ゆっくり食べないと、身体に毒でございます」
「かたじけない」
そして食後に、アンブロージョが碗に並々と注いた、異国の香りのする飲み物をスエに差し出した。
『心が安まる。きっと、貴殿には必要だ、と伝えてくれるか』
思わずスエがアンブロージョを見上げて、その静かで配慮深い言葉に、言葉を詰まらせる。
『ラヴァンダ(ラベンダー)、カモミラ(カモミール)、それといくつかの、「心身の」痛みに効くものを。よく眠れば、どちらの傷も癒える』
『ありがとう存じます。そう、お伝えいたしましょう』
そして、碗を受け取って、又五郎に差し出す。
「……心身の痛みに、とても効くそうです。これを飲んで、ゆっくり眠るとようございましょう。さすれば、どちらの痛みも、消えるとのこと」
又五郎が、スエを見て、そして碗を持ってきたアンブロージョを見上げて、静かに頭を下げる。
「これがバテレンの茶か。今日は、久しぶりに……穏やかに眠れそうであるな」
茶室にいるような所作でそれを受け取り、碗を回す。
ふと、藤左衛門が目を瞬かせる。
一介の武士にしてはその所作が妙に『馴染んでいる』ような気がしたのである。
この荒須殿の主君であったという光秀公は、茶を部下にも嗜ませていたのだろうか。
もっとも、光秀公は接待役として重宝されていた覚えもあるので、彼の部下達もきっとそういうことに長けていたのだろう。そんなことをとりとめもなく考える藤左衛門の隣で、
「後で叔父上の服をお持ちいたしましょう。この礼拝堂の隣に、私達が住んでいる小さい館があります。そこでゆっくり休んでくださいまし。ただ、例の怪しい者どもがまたきたら……きたら、どうしましょう……」
又五郎が微笑む。常に険しい顔の武士だったが、落ち着いて笑うと意外に柔和な雰囲気でもあった。
「その時は遠慮なく、起こしてくれてかまわぬのでな」
◇
「……というわけで、清洲に行くことになっての。スエと富太、荒須殿、あとは道に詳しいアンブロージョ、他には……」
『私も同行しよう』
ファビオが言った。
『キヨスはここからそんなに遠くはない地だと聞いた。数日間ならば私がいなくとも、この庭は大丈夫だろう。庭の行く末を決めるのならば、私も同席したい』
「ファビオも行くと申しております。庭のことを決めるなら……」
「そうじゃな。それがよい。わしだけでは少々心許なくてなあ」
その言葉をスエが訳し、バテレン達が一斉に笑う。一見頼りない藤左衛門だったが、ここのバテレン達は、決して自分達を無下にしない彼のことを心から慕っていた。
ファビオもまたそのひとりであったが、
(トーザだけでは、少々荷が重いことになるかもしれない)
ふと、そんな気がしたのである。
(それに、あの男……)
この国の武器や階級、作法などにさほど詳しいわけではなかったが、彼の姿や立ち振る舞いには、何となく違和感があった。
同郷の友フロイスほどの観察眼を持ち合わせてはいないものの、ファビオは故郷ポルトガルでは、イエスズ会に入り世界を渡るようになる前までは、鍛冶屋を生業としていたのである。
それゆえに、今一番気にかかっていることは、この夕暮れの目をした男が、一介の武士、どうやら自分達の国で言うところの『傭兵』に近しい存在にしては、『非常に質の良い』火縄銃と刀を持っている、ということだった。




