その後の話 一
細川家という名門に嫁いで、今年で何年経ったろうか。かの本能寺の変の直後に、義理の父と夫は出家した。『無駄な戦』との関わりを避けるためだと言って。
突如として屋敷を出され、京の丹後の片隅に幽閉されたが、自分の腹の中には、夫細川忠興の子が既に宿っていた。
『無駄な戦』。あの優しく利発だった父、光秀が起こしたのはそのようなものだったのか。あっという間に山崎という地で討ち取られ、『三日天下』と揶揄される様な、無謀な戦だったのだろうか。それこそ、決して無駄な戦は好まなかったはずの父が、そんなにも無謀な戦で命を落とすとは。
目を閉じて、人伝てにようやく手に入れたロザリオを握りしめ、明智玉、年の頃は二十ほどの、娘の盛りは過ぎてもなお美しい女が、ひとり佇む。
一族の者は、幽閉されていた自分以外は皆、『逆賊』明智光秀の身内として、羽柴秀吉などの手によって誅殺されたという。生まれ育った坂本城も焼け落ち、自分にはもはや帰る場所などなかった。
障子の外に、人の気配がする。侍女達だろうか。朝の祈りの時間は近づかないよう、言いつけてあるはずだというのに。
思わず障子をそっと開けると、そこには、一輪の花が置かれていた。
「桔梗の花……」
侍女以外近づくことが叶わないはずの、この自分が幽閉された屋敷。桔梗の花は、実家明智家の家紋でもある大切な花であり、そのようなものをここに届けたことが知れれば、夫である細川忠興から打ち首にされかねない、今や危険な花でもあった。
「何故、ここに」
薄い紙に細い字で書かれた手紙が、結びつけられている。
『玉へ。御身よく労るように』
見覚えある字である。忘れもしない、父のものだ。どうして。何故。生きているのか。討たれたのでは、なかったのか。
混乱しながら、思わず障子を大きく開け放つ。誰もいない。七月の京都の初夏の風だけが、手にしていたロザリオを微かに揺らす。
思わず、花と手紙を懐に隠すように入れて、慌てて玉は障子を閉め、息を吐いた。
「……父上」
人は死ねば『ぱらいそ』なる場所へ行く、とデウス様は説いていると伝え聞いている。父は、その、ぱらいそへは行かなかったのだろうか、それとも、一度行って、帰ってきたのだろうか。
何故か、手紙の薄い紙からは、遠い異国を思わせるような不思議な香りがした。薬かなにかだろうか。心が落ち着くような、柔らかい香り。
もしかするとこれこそが、父が行って来た『ぱらいそ』の香りなのかもしれない。いつか洗礼を受け、デウス様の元に召される日まで、本当のことはきっと、わからないのだろう。
思わず玉、後に洗礼名の『ガラシャ』という名で呼ばれることになる娘は、桔梗の花と手紙を入れた懐に手を当てて、静かに目を閉じた。




