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第十話 銃声

『メアコ(京)のイエズス会から手紙が届いた。清洲の情勢、分かり次第連絡しろと』

 又五郎を追って飛び出したスエを見送った後のファビオが、藤左衛門に日本語での簡単な訳文が添付されている書状を突き出して、読んで欲しい、という仕草をする。

「うむ? ああ、なるほど、イエズス会からか………」

 神仏は信じないが最大の保護者でもあった男、織田信長を突如失ったイエズス会も、この事態には困り果てているのだろう。

「わしは織田家の家臣でも末席の末席じゃが、イエズス会の書状があれば話は別じゃな」

 噂では、会議に出る面子が大物ばかりで、これでは中に入る余地などないかもしれない、などと呑気に考えていた藤左衛門が、手紙に大きく記されているイエズス会の紋章を見て、思わず考え込む。

 

「堂々としたアンブロージョを立たせて、それがしが付き人の顔をすればよいのか。しかしアンブロージョは朝から姿が見えぬ。荒須殿も、スエも、富太までおらぬ……」

 

 なんとも言えない不安が胸に立ち込める。自分には、皆を守る責任がある、と藤左衛門は自認していた。

 その『皆』の中には、自分達の恩人である又五郎も、いつの間にか自然に含まれていたのである。

「……急ぎ、清洲城に参ろう」

 その言葉が通じたのか、ファビオが頷いた。


 一体、何がどうなっているのだろう。

 朝一番で何とはなしに外に出た富太は、アンブロージョが緊張した面持ちで、前方遥か先を歩く又五郎の後を追っているのを目にし、思わず首を傾げてそっと駆けだした。

「……何で、荒須様を?」

 アンブロージョが、唇に人差し指を当てる。それは、祈りの時など、静けさを必要とする時の所作だった。

「ここは、お城じゃ。荒須殿は、どうして……」

 富太が首を傾げるが、又五郎はまるでよく知っている場所のように、歩き続ける。

 そして、さっと辺りを見渡してから、静かに早足で門の内側に入っていく。

『……ゴローは、警固の薄い場所を知っているのか』

 かつて鍛冶屋であったファビオが言っていた。銃も、刀も、良い鉄で作られた一級品のものである、と。そんなものを持っている男が、勝手知ったる場所のように、この城にこうしてひとり、潜入しているのである。

 

 ただならぬ予感がする。


 隣の富太もまた呟いた。

「……なんだか、変じゃなぁ」

 清洲には知り合いがいると言うことで、伊吹の山からここまで護衛してくれた親切なお侍さん、のはずである。もしかして、何か他に理由があるのかも知れない。

 頭を回転させても、薬草以外のことには使わない頭では、とんと役に立たないことは分かっていたが、伊吹山で薬草を採取する際に、熊や猪に気付かれぬように静かに歩き回るのは苦手ではなかった。足音を、思わず忍ばせる。

 アンブロージョが、そんな富太を見て無言で頷いた。そして、同じように、足音を忍ばせて、隣を歩いてゆく。

 

 故郷のポルトガルにいたころ、この男は地方を渡り歩く傭兵隊長だった。部下達の怪我の手当てを手ずから行っているときに、これこそが『自分の本分』なのではないか、と悟ったのがきっかけで、イエズス会に入信したのである。

 

 それ以来、武器を手にしたことはなかったが、そんなアンブロージョが目を細めて、背中に結びつけていた布袋から、木箱を取り出した。

 中には今彼が持っている唯一の武器、炮烙玉が入っている。

「それは……」

 再び人差し指を口元に運び、富太と共にアンブロージョは又五郎を静かに追う。そして、清洲城の本丸が見えると、又五郎が御殿と本丸を繋ぐ廊下脇の庭先で足を止め、そっとそこに一人身を隠すのが見える。しばし考えて後、

『こっちだ』

 富太を招き寄せ、清洲城の御殿側の縁の下に、アンブロージョはそっと潜り込んでいった。


「今日は重要な会議があるゆえ、通すことはまかりならぬ」

 清洲城の正面で、警固の者達に呼び止められた藤左衛門が、イエズス会の紋章の入った手紙を見せる。

 

「……これなるはファビオと申して、信長公の信任厚かったあのイエズス会バテレン、ルイス・フロイス殿の名代である。我々は、巡察使ヴァリリャーノ殿の命により、此度の大評定の行方をいち早く報告する義務がござる」

 

 城に着くまでの道中で何度も頭の中で繰り返した言葉を、すらすらと、しかし背中に脂汗をかきながら、藤左衛門は口に出す。

「イエズス会に、バテレン……?」

 困惑する警固の者に、藤左衛門は言う。

「つまり……亡き信長公の庇護厚かった者達である。無下にしては何か問題が起きること、間違いないであろう。それに、我々が命じられているのは評議の『報告』じゃ。評議そのものに加わるわけでもなし、何も問題はなかろう」

「そんな話は聞いてはいないが……」

 ここに来るまでに必死で考えた物言いではあったが、怪訝な顔をする警固の者に向かってファビオがポルトガル語で、何やら大声かつ早口で語りかけようとすると、

「わ、わ、わかった。通れ通れ。異国の言葉などわからん」

 あっさりと道を空けてくれる者ばかりだった。

 自分はもうすっかり慣れてしまっていたが、異国の言葉で突如語りかけられるというのは、やはり気後れしてしまうものなのだろう。

「とにかく、まずはスエを探さねばならぬが……」

 自分とてポルトガル語はまるで分からないのだ。スエがいないと話にならない。

 慣れない、そして広々とした清洲城の中を、一番大きな建物、すなわち本丸を目指して二人は歩いていった。


 清洲城の本丸へ続く廊下の脇の木立に身を隠し、廊下を歩いてきた羽柴筑前秀吉のその頭に狙いを定めようとして、火縄銃の火蓋を開いた又五郎が目を見開く。

 秀吉は、小さな子どもを肩の上に載せていた。

(三法師様か……!)

 織田信長、信忠亡き後、織田家当主として擁立するなら信忠の息子、すなわち信長の孫である。

 そういうことか、と思わず得心するが、秀吉の頭を狙って撃てば、当たりかねない。

 

 自分が討った信長の孫ではあるが、齢五歳の子供を銃で撃つことなど、又五郎にはできるわけもなかった。

 

 一瞬の逡巡。その瞬間、ぱきり、と枝を踏み折る。

「何やつぞ!?」

 肩の上に乗せた三法師が、大声にびっくりしたのか泣き出した。又五郎が静かに立ち上がる。

「お、お前は」

 三法師を床に降ろした羽柴筑前秀吉が、目を細めて、そして、又五郎の顔をまじまじと見つめてから、驚愕のあまり息を呑んだ。

 そして、腰を抜かさんばかりに後ずさる。

 

「久しいな、羽柴筑前」

 

 そんな秀吉の胴を狙い、又五郎、すなわち『明智光秀』が、銃を構え直して引き金を引いた。


 何度も聞いた覚えがある爆音が、城内に響く。スエが思わず硬直し、そして、目を見開いた。

「荒須様……!?」

 踵を返し、長い廊下を駆けだした。

(いったいどうして、何故、このような場所で)

 混乱しながら廊下を駆けていると、あちこちの部屋の襖が開き、わらわらと警固の武士達が飛び出してくる。

(この人達よりも速く、たどり着かねば。話を、話を聞かねば……!!)

 必死で、スエは清洲城御殿の長い廊下を走り続けた。


 藤左衛門とファビオが顔を見合わせる。

「い、今の音は……」

『ゴローか!!』

 どうしてこのような場所で、又五郎の火縄銃の音が響くのか。考えられることは一つ。

 『知り合い』というのは、おそらく、この会議の出席者の誰かであり、又五郎は、その者の命を狙っていた、ということに他ならない。

 そして、荒須又五郎は、明智光秀軍の落ち武者だという。

 つまり、この会議に出席しているのは、『主君』を討ったものばかりである。

「しまった」

 何故、今までそのことに気付かなかったのだろう。あまりの不覚に自分で自分を殴りたくなるが、

「荒須殿は……」

 この事をスエが知ったらどうなってしまうのだろう。

 色恋というものからは遠ざかって随分と久しい藤左衛門であっても、スエが又五郎に向けている想いには、気付いていた。

 たった一人の身内であり、生真面目だが可愛い姪である。

 又五郎とは歳が離れているとは言え、そのつつましい恋路は、応援してやりたかった。

 廊下に沿った部屋の襖が開き、警固の兵が飛び出してくる。だが、自分は、とにかく、これらの警固の兵達よりも速く又五郎の元にたどり着き、又五郎から話を聞かねばならない。

 藤左衛門が声を上げる。

「ファビオ、走れ!!」

 走るなどといったことは、あまり得意ではないはずなのに、自分でも驚くほど速く走りだす。

 すると、

「叔父上!?」

 廊下を曲がったところで、思いがけず飛び出してきたスエ本人とぶつかりそうになった。

「叔父上……叔父上! 今の、今の音は」

「間違いない」

「どうして、それに、どこに……どこにいらっしゃるのです?」

「こっちじゃ!」

 三人揃って走り出した先に、幼児の泣き声が聞こえる。そして、同時に、男の叫び声も聞こえる。

 

「曲者じゃ、出会え!! 者ども、出会え!!」

 泣いている子供を連れた、金色の豪勢な羽織を羽織った男が、わめくように叫んでいる。

 ぎょっとして、藤左衛門が声を上げる。

「は、羽柴筑前様!?」

「どこのどいつか知らんが、ぼさっとしとらんではよ刀を抜きゃあ!!」

 秀吉が声を上げ、藤左衛門が反射的に慣れぬ仕草で刀を抜いた先に立っていたのは、又五郎だった。

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