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30 最終話 祈りのかたち


 エドガーは裁定院の中庭で、本を閉じた。

 トマスに半ば押しつけられた、初代国王アーサー・ヴァレンタイン一世の伝承に関する本。

 その一節には、王の右腕と呼ばれた騎士――アラステア・クロウの名があった。


 ――左利きの白銀の騎士。王の理を守る者。

 王の死後、霧の中で消息を絶ち、伝承では“理の守護者”と呼ばれる。


 エドガーは小さく息を吐いた。白い吐息がふわりと空に溶けていく。

 見上げた空は薄曇り。

 ウエストコートのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確かめる。


 そして、静かに立ち上がり、法務官室へと歩き出した。



 窓の向こうでは、冷たい霧が街を包み込んでいる。

 ガラスには細かな水滴がつき、やがてそれがゆっくりと流れ落ちていく。


 エドガーは裁定済みの書類に判を押した。赤い印がじわりと滲む。

 続けて、リンデル家への通達書に封蝋を落とす。

 あとはこれを上級法務官へ提出し、急報便に渡せば、リンデル家の遺産相続案件は完了だ。


 書類を脇に抱え、エドガーは立ち上がる。

 廊下に出ると、三階にはもうほとんど人の気配がなかった。

 ランプの明かりが揺れ、冷たい木の床に反射する。

 彼のブーツの音だけが、静かに廊下に響いた。


 ――その時、頬をかすめるような柔らかな風。

 エドガーはそっと振り返る。


 風が渦を巻き、白銀の霧の中から騎士の姿が現れる。


 彼は静かに一礼し、顔を上げた。

 霧の向こうの瞳には、誇りと理知の光が宿っている。


 ――“理の守護者”。


「……貴方は」


 その名を呼ぼうとした瞬間、霧は音もなくほどけ、消えた。

 伸ばした手は空を掴み、そっと降ろされる。


 窓の外で、雪がパチリと音を立てて落ちた。


 エドガーは踵を返す。

 長い黒髪が静かに揺れ、彼は淡い笑みを浮かべた。

 

 法務官エドガー・レイブンズは、静かに歩き出した。


 ――王都オルドンにも、雪が降り始めたようだ。


---


Ad Alastair, fidelem meum.

Ego Arturus, rex primus Valentiniensis, loquor per lumen rationis.

In luto et sanguine solem occidere vidimus, pulchrum et triste fuit.

Tu vitam tuam fregisti propter me, et ego peccatum tuum porto.

Sed veniam non dabo, nec petam.

Nam qui rationem quaerit, dolorem oportet amare.

Disce veritatem, noli timere lucem mentis.

Via est in nebula sine fine.

Ambula, Alastair. Dum spiritus meus tecum est.



---


忠義の者アラステアへ。

我、アーサー・ヴァレンタイン一世、理の光により語る。

泥と血の中で沈む夕陽を共に見た――それは悲しくも美しかった。

お前は我のために人生を壊し、我はその罪を背負う。

だが赦しは与えぬ、求めぬ。

理を求める者は、痛みを愛さねばならぬからだ。

誠を学べ、理の光を恐れるな。

道は果てなき霧の中にある。

歩め、アラステア。

我が魂は、常にお前と共にある。


(白陶の杯にかかれた碑文より。現代アルストリア語訳:エドガー・レイブンズ)




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