19 白い森の中の声
朽ちた壁と割れた石床の残る場所へと、三人はもと来た道を戻っていた。
先頭のシェイドがランプを掲げ、橙の光が雪煙の中に揺れる。
粉雪だったものはいつしか湿りを帯び、風が木々を鳴らし始めていた。
エドガーは歩きながらも、手にした陶器の杯を離さない。
内側に刻まれた文字を、薄暗い灯の下で目を凝らして追っていた。
「……読めそう?」
トマスがランプを掲げながら小さく尋ねる。
エドガーは首を横に振った。
「さっきの碑文よりずっと難しい。辞書がないと正確には訳せない」
「おい、遅れるぞ」
シェイドの声が前方から飛ぶ。
エドガーは杯を胸に抱え、足早に追いついた。
トマスの持つランプの光が頼りなく揺れ、雪の粒がその中で舞っている。
その光に照らされながら、エドガーは杯の文を心の中で繰り返した。
◇◇◇
Ole du colta landeef shu sohf, Ole coltern tamuy shu stun.
Ur Alarstier, Ur colend ola ema joya.
Glasia fluie shu bomir wikus, Ole strye exion ur.
Glasia exion dripii, Ole deay morevty shu wiik , nenn.
Ole wicko ur stunrie, Ole ryokee tei wiko.
Cos wik ien.
Strye shu kik, ur colee shu stun.
Cos ory stun. Cos meu diaon.
Shu stryeie, shu gorrim.
Wik cos strye, Alastier.
Ole tasoil shu ur stun.
Arturus, rex mastun Valentiniensis.
◇
エドガーの群青の瞳がかすかに揺れた。
――“Alastair”。人の名前?
――“Arturus, rex mastun Valentiniensis”……初代国王の名だ。
口の中でそっとつぶやこうとしたその瞬間、シェイドがぴたりと足を止めた。
「どうしたの?」
トマスが息を詰めて尋ねる。
シェイドは振り返らず、低く言った。
「……誰か、いる」
風が止まり、雪の音が遠のく。
その静寂の奥――朽ちた建物の陰で、ランプの光がひとつ、ゆらりと揺れるのが見えた。
三人が息を呑んだまま見つめていると、その光の主が声を発する。
「早くこちらへ来なさい!」
しわがれながらも、よく通る声。
「……学校長だ」
エドガーが低く呟く。
「やっべ、完全にバレた」
シェイドが頭をかき、トマスが情けない声をあげる。
「あちゃー……」
三人はしぶしぶ足を動かした。
雪の中に立つ学校長は、深い茶のマフラーを巻き、白い息を吐いている。
痩せた体に似合わず、瞳だけは鋭く光っていた。
「君たち……寄宿舎を抜け出すとは、いい度胸だね」
張りのある声が雪の中に響く。
「しかし、これは看過できない。戻り次第、一週間、部屋から出ることを禁ずる」
「はい……」
三人は揃って項垂れ、小さく返事をした。
――その時、エドガーは気づいた。
学校長の視線が、自分の手にある杯に釘付けになっていることに。
慌てて背中に隠す。
学校長は一歩近づき、黒革の手袋を嵌めた手を差し出した。
「それを渡しなさい」
「……嫌です」
エドガーは反射的に後ずさる。
「渡しなさい」
静かな声。
だが、氷のように冷たい。
「なぜですか?」
問い返す声が、思わず震えてしまう。
学校長は答えず、無言のままエドガーの腕を掴む。
力が強い。
エドガーの指から杯がこぼれ落ちそうになる。
「これはね――」
学校長は杯を奪い取ると、薄く笑った。
「私が若い頃に作った、しがない作品だよ。
まさか君たちに見つかるとはね。……恥ずかしい話だ」
「え……」
エドガーは空になった手を宙に浮かせたまま、呆然と立ち尽くす。
トマスとシェイドは驚いてエドガーの手と学校長を見比べた。
学校長は鼻を鳴らし、背を向ける。
そして、歩き出した。
「学校に戻りますよ」
雪が強くなる。
風が森を震わせる。
三人は顔を見合わせ、互いに眉を寄せると、黙ってその背を追った。
足跡がすぐに雪に覆われ、少年たちと学校長の持つランプの明かりだけが、白い闇の中でゆらゆらと揺れていた。




