10 秀才の怒り
懲罰部屋を出た朝も、変わらず礼拝を済ませた二人は、教室にいた。
眠れぬ夜を過ごしたエドガーは、うつらうつらとしながら肘をつき、ぼんやりと机の木目をなぞっていた。
オークの長机には、かつての生徒たちが残した無数の傷が刻まれている。
そのひとつに指先で触れながら、彼は昨夜の礼拝堂の違和感を思い出していた。
――何が違った? 昼と夜で、何が決定的に違っていた?
考えれば考えるほど、答えが霧のように逃げていく。
エドガーは小さく息を吐いた。
「まだ持ってたのか!」
「あっ、やめてよ!」
突然の声に、思考を引き戻される。
振り向くと、シェイド・カーマインがトマスのノートを取り上げ、得意げに掲げていた。
「お前の頭の中、妄想だらけで気持ち悪いな!」
「返せ! それは僕の大事なノートだ!」
シェイドの下品な笑い声が、寝不足の頭に響く。
「見ろよ、この汚い字!」
そう言ってシェイドはノートを床に叩きつけ、その上から靴で踏みつけた。
仲間の少年たちは笑い声を上げ、トマスの顔は青ざめ、涙が滲んでいる。
その瞬間、エドガーは静かに立ち上がった。
言葉もなく、シェイドのもとへ歩み寄る。
「お、おい、秀才が何の用だよ」
シェイドの嘲りを無視して、エドガーは床に落ちたノートを拾い上げ、そっと泥を払った。
「トマス。汚れてしまったけど……」
差し出されたノートを、トマスは手の甲で涙を拭いながら受け取る。
「……ありがとう」
エドガーは振り返り、黒髪を揺らしてシェイドに向き合った。
「シェイド・カーマイン。君に聞くけど、トマスが君に何をした?」
「は?」
「彼は静かに夢をノートに書いていただけだ。
人のものを奪って踏みつける君のほうが、よほどみっともない」
その声音は静かだったが、怒気が確かに滲んでいた。
「トマスが変人? なら、君はただの――つまらない人間だよ」
「なっ……何を偉そうに!」
「偉そう? 普段の君のほうがずっと偉そうだ」
エドガーは腕を組み、群青の瞳で真っすぐに睨みつける。
「シェイド・カーマイン。ノートを奪い、踏みにじったことを謝罪しなさい」
「な、なんで俺が……」
「君がやったからだ。――謝れ!」
普段穏やかなエドガーの声が教室に響き渡り、生徒たちの肩が一斉に跳ねた。
シェイドは顔を背けて呟く。
「……いやだよ。なんで謝らなきゃ」
「謝れ! シェイド・カーマイン!」
怒声がもう一度響いたそのとき、教室の奥から声が上がった。
「そうだ、謝れよ!」
「いつもやりすぎなんだ!」
「人のことばかり笑って!」
それまで沈黙していた生徒たちが、次々に声を重ねた。
教室の空気が、一瞬で変わる。
シェイドの青い瞳が揺れた。
エドガーは小さく口角を上げて彼を見上げる。
「……聞こえただろう」
シェイドは唇を震わせ、舌打ちをして逃げるように教室を出た。
取り巻きたちも慌ててその後を追う。
「謝ればよかったのに」
エドガーはその背中を見送りながら、静かに呟いた。
気づけば、周囲の生徒たちが二人を取り囲んでいた。
「トマス、今まで庇えなくてごめんな」
「エドガー、君って大人しい奴だと思ってたけど……やる時はやるな!」
次々に飛ぶ声に、二人は目を丸くして見合わせる。
そして、同時に吹き出した。
少年たちの笑い声が、朝の淡い霧の中に軽やかに溶けていった。




