誘われる、ゲームの世界へ
近場のダンジョン――「忘却の森」。
ゲーム内では初心者向けの低レベルダンジョンだが、優子は何度も通った思い出の場所だ。
洞窟の入口に降り立つと、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
「本当に……冷たい」
優子は洞窟の壁に手を触れた。
ゴツゴツとした岩肌の感触。湿った苔の匂い。
VRでは再現できなかった、リアルな感覚。
「中に入ってみよう」
優子は深呼吸をして、ダンジョンへ足を踏み入れた。
※ ※ ※
薄暗い通路を進むと、床に光る石が転がっていた。
「魔石……」
優子はそれを拾い上げた。
ずっしりとした重さ。表面のザラザラとした質感。
ゲーム内では「アイテム取得」と表示されるだけだったのに、今は確かに手の中にある。
「本当に、現実になってる……」
そう呟いた時だった。
グルルルル――。
低い唸り声が響いた。
優子が振り返ると、通路の奥から複数の影が現れた。
灰色の毛並みをした狼型のモンスター――グレイウルフ。
ゲーム内では序盤の雑魚敵だ。
「来た……」
優子は身構えた。
狼たちが一斉に飛びかかってくる。
優子は咄嗟に横へ跳んだ。
――速い。
体が軽い。VRとは比べ物にならないほど、反応速度が速い。
「フレア!」
優子は手をかざし、魔法を放った。
手のひらから、扇状に炎が噴き出す。
ゴオオオッ!
炎が狼たちを飲み込んだ。
悲鳴を上げ、狼たちは次々と倒れていく。
やがて、モンスターの体は黒い霧となって消えた。
優子の視界に、リザルト画面が浮かび上がる。
『経験値 +120』
『ドロップアイテム:狼の牙 x3』
「経験値も……入るんだ」
優子は呆然と呟いた。
本当に、ゲームと同じシステムが機能している。
「もっと……奥に行ってみよう」
優子は通路を進んだ。
※ ※ ※
次々と現れるモンスターたち。
ゴブリン、スライム、コボルト――。
しかし、優子の敵ではなかった。
「ウィンドカッター!」
風の刃がゴブリンの群れを一掃する。
「アイスランス!」
氷の槍がスライムを貫く。
「サンダーボルト!」
雷がコボルトを焼き尽くす。
圧倒的な力。
ゲーム内でランキング一位を取り続けた優子のステータスは、このダンジョンのモンスターには強すぎた。
「これじゃ……ゲームと同じだ」
優子は少し拍子抜けした。
緊張感はあったが、危険は感じなかった。
そして――。
優子はダンジョンの最深部にたどり着いた。
巨大な扉が立ちはだかる。
扉には古代文字で「守護者の間」と刻まれていた。
「ボス部屋……」
優子はゴクリと唾を飲み込んだ。
ゲーム内では何度も倒したボス。
でも今は、リアルだ。
「……行こう」
優子は両手で扉を押した。
ギギギ……と重い音を立てて、扉が開く。
※ ※ ※
ボス部屋は、広大な空間だった。
天井は高く、壁には古代の壁画が描かれている。
そして、部屋の奥には――。
巨大な影が蠢いていた。
ズシン、ズシンと地響きを立てながら、その影が姿を現す。
全身が黒い鱗に覆われた、四足歩行の魔獣。
背中には三対の翼。
口からは緑色の毒液が滴り落ちている。
**ポイズンドレイク** ――毒を操る中級ボスモンスター。
「……デカい」
VRで見るより、遥かに大きい。
優子の全身に、冷たい汗が流れた。
ドレイクが咆哮を上げる。
ガアアアアアアッ!!
空気が震える。
耳が痛い。
心臓が激しく鳴る。
「これが……リアルの戦闘」
優子は拳を握りしめた。
ドレイクが口を開き、緑色の液体を吐き出してきた。
「危ない!」
優子は翼を広げ、空中へ飛び上がった。
毒液が床に着弾し、ジュウウウと音を立てて床を溶かす。
「毒か……!」
優子は空中で体勢を立て直し、手を前に突き出した。
「サンダーボルト!」
雷がドレイクに直撃する。
バチィッ!
しかし、ドレイクは怯まない。
鱗が雷を弾いたのだ。
「効かない……?」
ドレイクが翼を広げ、空中へ飛び上がってきた。
巨体が迫る。
「くっ!」
優子は横へ回避した。
ドレイクの爪が空を切る。
間一髪だった。
「もっと強い魔法を……!」
優子は距離を取り、詠唱を始めた。
「炎よ集え、灼熱の渦となりて敵を焼き尽くせ――ファイアストーム!」
優子の周囲に、炎の竜巻が発生する。
それは巨大な渦となり、ドレイクを飲み込んだ。
ゴオオオオオッ!
炎がドレイクを焼く。
ドレイクが苦しそうに吠える。
しかし――。
炎が消えた後も、ドレイクは立っていた。
HPゲージが半分ほど減っているが、まだ倒れない。
「まだ……!」
ドレイクが再び毒液を吐き出してくる。
今度は広範囲だ。
「翼で防ぐ!」
優子は翼を前に展開し、毒液を防いだ。
翼が毒で焼ける感覚――痛みはないが、HPが少し減った。
「これ以上は……危ない」
優子は空高く飛び上がり、ドレイクを見下ろした。
そして――決意を固めた。
「最強の魔法で……終わらせる!」
優子は両手を天に掲げた。
黒い雷が、手のひらに集まる。
バチバチと音を立て、雷が膨れ上がっていく。
「不滅の雷よ――」
空気が震える。
ダンジョン全体が、雷の力に呼応するように振動した。
「愚かなる者に裁きを――」
ドレイクが咆哮を上げ、優子に向かって飛び上がってくる。
しかし、優子は動じない。
詠唱を続ける。
「紫電黒雷!!」
次の瞬間――。
巨大な黒い雷槍が、天から降り注いだ。
ズガアアアアアンッ!!
轟音と共に、雷がドレイクを貫く。
一撃。
ドレイクの巨体が地面に叩きつけられ、動かなくなった。
やがて、その体は黒い霧となって消えていった。
※ ※ ※
静寂が戻る。
優子はゆっくりと地面に降り立った。
息が荒い。
心臓が激しく鳴っている。
「勝った……」
優子は呟いた。
視界に、リザルト画面が浮かび上がる。
『ボス撃破!』
『経験値 +5000』
『レベルアップ! Lv.87 → Lv.88』
『ドロップアイテム:ポイズンドレイクの鱗 x10、毒牙 x2、魔石(中級) x5』
「本当に……ゲームと同じだ」
優子はその場に座り込んだ。
疲労感はないが、精神的に疲れた。
リアルな戦闘は、想像以上に緊張した。
「でも……」
優子は自分の手を見つめた。
魔法が使える。
空が飛べる。
強大なモンスターを倒せる。
ゲームの中では、優子は最強だった。
そして今――。
その力が、現実でも使えるようになった。
「私……強いんだ」
優子は小さく笑った。
現実では、誰にも注目されない地味な女子高生。
でもこの世界では、誰よりも強い。
「もっと……強くなりたい」
優子はゆっくりと立ち上がった。
そして、アイテム欄から赤黒いボタンを取り出した。
「もう一度……ダンジョンに挑戦しよう」
優子はボタンを押し、一度現実世界に戻った。
※ ※ ※
自室。
時計を見ると、三十分ほど経過していた。
あちらの世界と、この世界の時間は同じように進んでいる。
「じゃあ……」
優子は呟いた。
「しばらく、あっちの世界で過ごそうかな」
現実では、注目されて息苦しい。
でもゲームの世界では、優子は自由だ。
強くて、誰にも文句を言われない。
「そうだ。それがいい」
優子は再びボタンを押した。
視界が切り替わり、黒龍の居城に戻る。
優子は窓の外を見た。
広大な世界が広がっている。
「さあ……次はどこに行こうかな」
優子は小さく笑い、翼を広げた。
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