第一章:桜の蕾と診断の日
●恵子の視点
人間は、意味を求める生き物だ。
病室の大きな窓から見える桜の老木の枝先には、冬の厳しさに耐えた小さな蕾が無数についている。まだ三月の初め。硬く閉ざされたその蕾が綻ぶまでには、あと少し時間がかかるだろう。
桜の開花は、気象学者たちが「積算温度」と呼ぶ法則に従っている。一月一日からの最高気温を累積し、それが六百度に達した時点で開花する。自然は、人間が思うよりもはるかに精密で、規則正しい。しかし同時に、毎年わずかに異なる表情を見せる。それが、桜を見る人々の心を、毎春新たに動かすのだろう。
「今年の桜、見られるかしら」
声に出すつもりはなかった。でも言葉は、乾いた唇から自然に溢れ出ていた。
私の名前は、高遠恵子。五十三歳。元高校の物理教師。十八年前に夫を事故で亡くしてから、女手一つで娘の由紀を育ててきた。学生時代は理論物理学を専攻し、特に意識と物質の相互作用について関心を持っていた。教師になってからも、休日には大学時代の恩師である田村教授の研究会に参加することがあった。
数時間前、担当医の西川先生は、私のMRI画像をモニターに映しながら、静かに、しかし残酷なほど明確に告げた。
「多形神経膠芽腫という悪性脳腫瘍です。膠芽腫の中でも最も悪性度の高いグレード4に分類されます。腫瘍は脳幹部の近くの視床下部に位置しており、この場所では外科的切除は不可能です」
西川先生の説明は続いた。化学療法、放射線療法といった治療選択肢について。しかし、どの治療法も延命効果は限定的だという。
「ただし、高遠さんのケースは少し特殊です。通常このタイプの腫瘍では認知機能や記憶に著しい障害が現れるのですが、あなたの場合、むしろ一部の脳活動が異常に活性化している領域があります。これは稀な現象で、医学的にも興味深いケースと言えるでしょう」
統計的には、このタイプの腫瘍の生存期間中央値は十二ヶ月から十五ヶ月。しかし私の場合、腫瘍の位置と進行度を考えると、もっと短い可能性が高い。
「おそらく、数ヶ月でしょう」
数ヶ月。もしかすると、あの桜が満開になる頃には、私はもうこの世界にいないのかもしれない。
三十年前、たった一人の親友だった美香が同じ病で逝った時のことを思い出していた。あの頃の医学では、今よりもさらに治療選択肢が限られていた。美香は二十三歳だった。私と同じ教員を目指し、同じ夢を語り合った。
不思議なことに、美香も最期の数ヶ月間、恵子と同じような変化を見せていた。以前の活発さとは対照的に、深く静謐な落ち着きを見せるようになり、「世界がいつもと違って見える」「すべてがつながっているような気がする」とよく口にしていた。当時の恵子には、それが病気による錯覚だと思えていた。
美香も桜を愛していた。毎年春になると、二人で手作りのお弁当を持って近所の公園へ花見に行った。彼女が逝って以来、私はひとりで桜を見上げるようになった。そしてそのたびに問い続けてきた。なぜ美香が、あの時逝かなければならなかったのか、と。
今、同じ病が同じ問いを私自身に突きつけている。そして私は、ようやく理解し始めていた。問題は「なぜ」ではなかったのかもしれない。問題は、常に「どのように」だったのかもしれないのだ。
どのように、この残された時間を過ごすか。どのように、愛する一人娘と向き合うか。どのように、この私の人生という物語を美しく締めくくるか。
●由紀の視点
由紀は病院の地下駐車場で、車のエンジンを切ったままの状態でしばらく座り込んでいた。母の診断を聞いてから三週間が過ぎた。最初の雷に打たれたような衝撃は薄れた。だが、その代わりに鉛のように重い現実が、日々の生活の隅々にまでじわりと染み込んできている。
「……どうして、お母さんなの」
無意識に呟いてから、由紀は自分のその子供じみた言葉に驚いた。三十二歳にもなって、まだ母親に甘えるようなこんな気持ちが残っていたことが恥ずかしかった。でも同時に、それが偽りのない正直な気持ちだった。
由紀は現在、都心のウェブデザイン会社でUI/UXデザイナーとして働いている。デジタル世界の最前線で、常に新しい技術と向き合い、ユーザーの体験を設計する仕事。論理的思考と創造性の両方を要求される職種だ。普段の彼女は、どんな複雑な問題も段階的に分析し、解決策を見出すことができる。
しかし、母の病気は、そんな彼女の理性的なアプローチをすべて無力化してしまった。
由紀の記憶の中で、母・恵子はいつも太陽のように強く明るい人だった。父が海外へ単身赴任で家を空けがちだった子供の頃も、母は決して弱音を吐かず、一人で由紀を育て家族を支えてくれた。
由紀が中学二年生の時、父が出張先のマレーシアで交通事故に遭い帰らぬ人となった。その時も母は、自分の悲しみを押し殺して由紀を支えてくれた。葬儀の手配から保険の手続き、その後の生活の立て直しまで、すべてを一人でこなした。
由紀がひどい反抗期で、心にもない残酷な言葉を投げつけた時でさえ、母はただ静かに悲しそうな顔で耐えてくれた。高校生の頃、「お父さんがいないせいで、私の人生は不幸よ!」と八つ当たりした夜のことを、由紀は今でも後悔している。
その母が、今は無機質な病室のベッドに横たわっている。最近、母の様子が少し変わったような気がする。以前より言葉数が少なくなり、ただ静かに窓の外を眺めていることが多くなった。でも不思議なことに、その沈黙には以前にはなかった深い静けさがあるように感じる。まるで何かとても大切で、そして巨大なことを一人静かに考え続けているような……。
由紀は深呼吸を一つして、車のドアを開けた。今日は母に聞いてみようと決めていることがあった。でも、そのあまりにも残酷な質問をする勇気が自分にあるのかどうか、自信がなかった。