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 彼がいるのは大広間を見下ろせる観覧席だった。特等席である。まるで小さなアパートの一室のように整えられており、居心地のいい椅子と低いテーブル、部屋の隅には蛇口つきの洗面台、使用人が控える小部屋があった。


 だがこの部屋の存在は大広間からは見つけられないだろう。張り出した観覧席は下から見ると分厚いカーテンや壁面の装飾、シャンデリアの灯りに巧妙に隠されている。ここは身を隠しながら大広間を物色できるよう設えられた場所なのだ。

 アレクシオンは深いため息をついた。眼前に広がるのは、大広間に大仰に設置された舞台の上で上映される劇である。


「おおお、世界の歯車が狂ってしまった! 弟が兄を弑逆し、その妻を殺し、その子を家から追い出すとは! なんと呪われた運命なのだ、私がその狂いを正すために生まれたのだとは!」


 舞台の華やかさに負けないほど朗々とした声で俳優が叫ぶ。観客たちは固唾を飲んで劇の続きを見守っている。上演されているのは新大公アレクシオンの半生を都合よく脚色した劇だった。

 大公主催の花嫁選びの夜会、その初日であった。アレクシオンが集まった貴族たちの前に姿を現すのは一週間後に設定されている。その間、貴族たちには新旧の友情を確認し、新たな縁を結んでもらわねばならなかった。


 この夜会、大公の花嫁選びというのは建前にすぎない。長い間戦乱の中にあったこの国において、貴族たちは破産し破滅し歴史から消え、また新しい顔ぶれが叙爵されて貴族名簿に名を連ねた。名誉も財力も兼ね備えた大貴族はともかく、小貴族であればあるほど入れ替わりも激しかった。

 一方、昼は通常の公務に加えてあらゆる名前を冠した会議がある。昼に男たちの奏上を聞き、夜は麗しき令嬢と賢く逞しい令息に出会いの場を提供し、大公様ありがとう! と思ってもらおうというわけである。

 アレクシオンは煩わしい前髪をかき上げる。石炭のような黒髪に、血のような赤い目。日焼けした肌、運動ではなく命のやり取りに適した筋肉の発達した身体。顔立ちは男らしく整っていたが、表情は精悍というよりは粗野に近い荒々しさがある。肩書を知らずに彼と接したら、大公ではなく下級官僚付きの荷役だと思う者が続出するに違いない。


 彼は苛々と足を組みかえ、手にしたワインを飲んだ。上等なものだとはかろうじてわかるが、十二歳から世間の最下層を這いずり回った舌にそれ以上のことはわからなかった。

 と、扉が不躾に開いてニコラが現れた。アレクシオンの乳兄弟で、叔父に宮殿を追い出されたときさえともに従った腹心の部下だった。

 ニコラは鳶色の髪を後ろに撫でつけ、夜会服を着こんでいた。即位して数か月が経過した今、アレクシオンはすでに軍服姿の彼が懐かしい。


「ニコラ、ずいぶんめかし込んでいるな」

「ふふん、どうです、俺も捨てたもんじゃないでしょう」

 灰色の目をいたずらっ子のように輝かせて、幼馴染はにやにや笑って胸を張る。

「食うもの持ってきましたよ。毒見済み」

「助かる」


 コトリと小机に置かれた銀の盆の上の冷肉とチーズ、塩漬けの魚とオリーブの実。それから新しいワインの瓶が一本。二人は勝手知ったる手つきで乾杯した。

「どうだった、階下は」

「マカリオス殿が駆けずり回ってましたよ。陛下を一番よい演出の元送り出すのが我が最後の使命だと思っております、と叫んでました」

「相変わらず騒々しい奴だ」


 老人のぬるりと光る禿頭が目の端に見えた気がして、アレクシオンは小さく吹き出した。彼は育ての親ともいえるマカリオスが一つ所にじっとしているのを見たことがない。太鼓腹を揺らしてどたばた慌ててばかりの気のいい老神官が、新大公の後見役として宮殿の執事にまで上り詰めるとは十年前に誰が想像しただろう。

「夜会が終わったら隠居しろって言ったんですって?」

 口をもぐもぐ動かしながらニコラは尋ねた。アレクシオンは頷く。


「ああ。ここは老人には危険すぎる。今でも俺の命を狙う貴族は多いし、下手に大々的に叔父を討ってしまったからな。武力により後釜に成り代われると勘違いした血族も多い」

「やれやれ。『大公が命じ、貴族が実行する』時代はどこにいったことやら。今は昔ということですかね……」


 かつて大公が貴族たちを手足のごとく支配していた専制の時代のことである。少なくともアルクルの時代は逆だった。大貴族たちが会議で決めたことに、偽大公がのろのろと承認を出していた。

「叔父貴の時代には大貴族会議が実権を握っていた。奴らは一度手に入れた権力を手放そうとはしない」


 父を殺した簒奪者アルクルは理想主義者だった。理想を追い求めすぎて大貴族にまるめ込まれ、政治を滅茶苦茶にした。無能なアルクルを操り、政治を牛耳った大貴族たちはアレクシオンをも同じような操り人形にできると踏んでいるようだが、彼はそうなるつもりなどない。


「まあいいさ。侮っていられるのも今のうちだ。そのうち完璧に首輪をつけ鎖で縛ってやる」

「おお怖い。――最後までお供しますよ、俺は」


 二人は銀の串に刺したチーズをぶつけ合い、乾杯の代わりとした。

 そのごくささやかな一幕がアレクシオンの目に着いたのは、いったいどうしてだったろう。

 劇は佳境にさしかかったところだった。俳優が演じるアレクシオンが主神官マカリオスの手助けで傭兵団を手懐け、叔父に対して宣戦布告する場面である。


 しわぶきひとつ聞こえない張り詰めた雰囲気の中、一人の女がそろりそろりと大広間を抜け出そうとしていた。白っぽいドレスの形と髪が長いのでそれとわかった。

 女は家族から離れ、人々の間を縫うようにこそこそと人垣を抜け出そうとし、やがて抜け出した。アレクシオンは眉を寄せた。


「――秘密の恋人と逢引でもするつもりか?」

「はい?」


 彼は少し考えて、やがて億劫そうに立ち上がる。大公の証である緋色のマントはもちろん置いたまま、剣だけ腰に下げて。実のところ、恰好は大尉の軍服姿である。汚れが目立たない黒い肋骨服に白いズボン。勲章もなく、ただそれだけ。貴族へのお披露目の前なので、大公の仰々しい服を着なくていいことに感謝しているところだった。


「どうしたんです、陛下」

「アレクと呼べ」

「アレク。あんたらしくないですよ。どこに行くんです?」

「馬鹿な女が抜け出そうとしている」


 見ろ、とアレクシオンは後ろ手に指を差した。ほんとだ、とニコラは呟いた。

 二人は廊下に出た。秘密の二階席に通じる通路は、やはり秘密である。大公自身であるアレクシオンと従者のニコラの他、使用人でも限られた者しか知らず、貴族でも知っているのは主だった家の当主くらいだろう。

 誰もいない、かがり火も限られた廊下を二人は突き進む。


「助けてやるんですか?」

「仕方がない。騎士の務めだ。貴族の女がふらふら出歩いていては、この宮殿で何が起こるやらわからんぞ」

「あんたがねえ。はあ。次は何をたくらんでます?」

「俺だってたまには紳士的なことをする」


 確かに女の一人や二人、いなくなってもなんの影響もないだろう。だが今ここには北方大公国ロズアラドじゅうの貴族と、その使用人、このあたりまでは身元もしっかりしているからいいとして、護衛として雇われた傭兵の中には犯罪者崩れの荒くれ者もいる。名の知れた傭兵だって一皮剥けば貴族に仕官できぬ何らかの問題を抱えた男であることが多い。

 加えて、この宮殿は貴族たちを出迎えるため急な改装や増築が行われ複雑に入り組んでいる。一度迷って質の悪い輩に目をつけられたら終わりである。


「アレク、あんた楽しんでますね?」

 ニコラは呆れた声を出した。だがその中に嬉しそうな童心が覗くのを、アレクシオンは咎めることはない。彼だって同じ顔と声をしているだろうとわかっているから。


「久しぶりに暴れられるかもしれんぞ、ニコラ」

「ははっ。大公様の顔が知れてないのは、今だけですもんね」

 二人は顔を見合わせ、走り出した。

 

 

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