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虐げられ魅了乙女は孤独な大公と恋をする  作者: 重田いの


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 この冬は実に出来事の多い冬である、と貴族たちは囁き合う。

 舞踏会、突然の大公妃の選抜、異民族の侵入、そして大公妃が倒れ、今度はその裁判があるという!

 彼らにとってみれば息つく間もなく出し物が続く演劇の中にいるようなものである。先に帰った連中はさぞ悔しがっていることだろうとまで言う者もいる。


 リリン城の東には大法廷がある。円形の古い大理石づくりの建物の中央、最上法廷と呼ばれる大公の身辺に直接関わる罪を裁くための法廷で、粛々と裁判が始まった。

 罪状は大公妃の毒殺未遂。傍聴席に詰めかけた貴族たちは使用人を押しのけ、抑えた声で口々に噂する。誰だ? 誰だ? 犯人にされるのは?


 ――大貴族は裁かれない。北方大公国ロズアラドのもっとも古い因習の一つである。

 大貴族が罪を犯すと、配下の小貴族もしくは使用人が捕らえられ裁かれるのだ。今回に関してはおそらく下手人が死罪にされ、その指揮を取った者から執事クラスまでは免職され、貴族身分で関係があったとみなされた者は罰金を支払うだろうと思われた。

 そして定刻となり、法廷の中に大公と大公妃が姿を現した。頬がこけた大公が痩せた大公妃を支えするすると歩く。やつれたような二人の姿にまた、ざわめきが起こった。


 リュディアは貴族たちの中にカヴリラ伯爵家の家族たちを見つけた。母の傍らには侍女のローズもいた。皆一様に押し黙り、リュディアが生きているのを眺めている。彼女は顔を背けて彼らに背を向けた。

 罪を読み上げられた被告人が連れてこられ、尋問され、罪が言い渡され、退出する。その退屈な繰り返しが始まった、と思われた。


 下手人の侍女は、命令されたのだと泣いた。命令者の家は実家に多額の資金融資をしている。家族に何をされるかわからなかったから、と。判決は追放と決まった。これは、宮廷に仕官できるくらいの貴族家出身の娘なのだから当然のことである。家は二度と浮かび上がれないだろうが、自業自得というものだった。


 毒を運ぶ手助けをした使用人たちは皆、追放と決まった。貴族も平民も変わらない罰を受けるというのは珍しい判決だったから、人々はざわめいた。

 次に引き出されたのは、毒を調達した神官長マカリオス付き書記官の青年だった。よほど抵抗したのだろう、腫れた頬をして歩き方もおかしかった。だがそれでも、彼は強い目で大公を睨みつけた。

 何故? とアレクシオンは問うた。


「お前は長くマカリオスに仕えたのに、何故彼を裏切り我が妻に毒を盛ることにしたのか?」

「何故なんの名誉もない家に生まれた女を大公妃として崇めねばならない? 私は大公の後見人の書記官だ。正しいお血筋の大公を支持せねばならない」

 彼は捨て鉢になってリュディアを指さした。

「正しい血筋は正しく継承されねばならないのだ。なんの実績もないくせに女の色香を使って高みの地位に昇った女をのさばらせてはならない! それは国が傾く前兆だ!」

 アレクシオンは立ち上がろうとしたが、リュディアがそれを制した。彼らは法律の範囲内で犯人を罰し、大公の正統性を示さねばならなかった。


 それに――リュディアにとって、言われたことはおおむね事実だ。彼の罰が処刑と決まったあとも、心は思ったより静かだった。少なくとも、次に引き出された少年を見たときほどざわめかなかったと言っていい。

 ジアと呼ばれた少年だった。お茶会でメンパルロ公爵家の令嬢がお茶を数滴零した彼を侍従たちに折檻させたので、リュディアが彼を引き取ったのだ。宮廷の侍従たちともうまくやれていると思っていた。馴染んでいるように見えたのに。


 ジアは書記官が手配した毒を指定の場所まで取りに行き、下手人の次女に手渡したのだという。毒殺未遂において重要な役割を担っていた彼は、堂々とこのように証言した。

「命を助けてくださった大公妃様には感謝していました。でも、俺からメンパルロ公爵家の奴隷という名誉を取り上げるなんて!」

 まだ丸さを残した頬で、目を潤ませて続けた。


「俺はメンパルロ公爵様のおうちで綺麗なお仕着せを着て、大事にされていました。確かにお嬢様はお厳しい方だったけれど、高貴な貴族の方なら当然のことです。大公妃様はお優しいけれど、そのお優しさは俺たちと同じような目線からくるもので高貴な人のじゃありません! 俺は――俺は、宮廷で他の侍従と同列に扱われて不幸でした!」

 リュディアはぐらりと、地面が揺れた気がした。実際には彼女は夫の手に手を重ねて、前を向いて座っていた。間近に感じるアレクシオンの体温がリュディアを地上に繋ぎとめた。


「それが大公妃を殺す理由足りえると?」

「はいっ」

 ジアはまっすぐな目でリュディアを見つめる。自分の言っていることに何一つ間違いなどないのだと信じていることが、誰でもわかる。

「俺はまだ十四歳でお姫様にお仕えできた誇りある奴隷だったのに、その名誉を奪われたのですから。ロズアラドの民は、名誉のために生きているのですから!」


 判決は処刑と決まった。

 リュディアは前を見て、動かなかった。夫婦の手はいつの間にか握り合わされていた。

 実行犯以上の者たち、黒幕である貴族たちは姿を現さないだろうということが、すでにわかっていた。カヴリラ伯爵家の面々も含め、貴族は罰されないのだ。それが法律であり、アレクシオンが法に従うと明言している以上、それが限界だった。


 だが。

 たっと走り出した人影があった。リュディアは心臓が止まった、気がした。

 何もしなくても渦巻く巻き毛の金髪、決意を秘めた青い目。美しいマジョリーナ。続いて、メンパルロ公爵令嬢とあのお茶会において彼女に従った大貴族の令嬢、夫人たちがとことことあとに続く。

「ああ」

 彼女は目元を抑え、アレクシオンに寄りかかった。


 木柵ごしに目の前に集まったレースとフリルのかたまりのような一団に、アレクシオンは冷たい目を向ける。

「何事だ?――誰か、彼女たちを母親の元へ返せ」

「いいえ、大公様っ! 大公様は騙されています! あたしたち、あなたをお救い申し上げるために来ました」

 肩を怒らせてマジョリーナは叫んだ。妹はちらっと濃い睫毛の下からリュディアを眺めると、フンと小さく鼻を鳴らす。

(これは現実?)

 嘘でしょう。


 こんな――こんなことが、本当にありうるのだろうか? 子供たちが、女の子たちが、法廷をお遊戯発表会と勘違いして躍り出てくるなんてことが?

 リュディアは思わず父母を見た。彼らは満足気にマジョリーナを見つめ、ぽうっと上気した頬で夢想していた。何を見ているのだろう?――宰相一家となって大公妃マジョリーナとともに栄華を極める夢?

 アレクシオンは立ち上がった。お開きの雰囲気に浸っていた貴族たちはこぞって大公の顔を見ようと身を乗り出した。

 かつてない見世物を楽しむ空気がそこにあり、リュディアは耐えられない。彼女は一拍遅れて夫と共に立ち上がり、貴族たちはしんと静まり返って話の行方を追おうとした。

「マジョリーナ、お願いだから――」


「ここにいる姉は、いいえ、あたしこんなの姉なんて思いたくないんですけどっ。でもしょうがないから姉なんですけども、大公様を魔法で惑わして大公妃になったんです! あたしたちはそれを暴きに来ました。直訴ですの」

 マジョリーナは仁王立ちしてきゅっとリュディアを睨みつける。さあ、真実にひれ伏せと青い目が言う。母が楽しそうに両手を握り合わせているのが見えた。

 アレクシオンが口を開いたのを、リュディアは服を引っ張ってやめさせる。彼女は少女たちを見渡した。皆、お行儀よく手を前で組み、きりりっと大公妃を睨み上げている。

「あなた方も同じお気持ちですか?」

 メンパルロ公爵令嬢が進み出て、片手を胸に当て頷いた。


「その通りですわ。あたくしたちは正義を為しにきました。あなたのおぞましい血統魔法の真相を皆様に知らしめるために」

「真相とは?」

 マジョリーナと公爵令嬢は顔を見合わせて頷き、手を取り合ってアレクシオンを見つめた。

「うちの姉は魅了魔法が仕えます。それがうちの血統魔法なんです」

「大公様は魔法で恋をしたと思わされたのですわ。血統魔法を用いて心を惑わすのは、罪です」

 美しい少女たちは頬を寄せ合うと、声を揃えて叫んだ。

「この女は魔女です!」

 沈黙は、海の底のよう。誰もが静まり返る。


 少女たちはあれっ? という顔をした。アレクシオンがすぐさま激怒して、リュディアを突き飛ばすと思っていたらしかった。

 記録によれば大公夫婦は顔を見合わせ、大公妃リュディアは静かに座り込んだ、という。

 大公アレクシオンは変革者だった。北方大公国ロズアラドの雪と氷に閉ざされた古い伝統を作り変え、自分が新たな法の主となることを夢見る青年だった。

 美しい少女たちのかくも愚かな行いは、彼のその野望のお膳立てとなった。


「――ロギフ・メンパルロ! 前へ」

 アレクシオンは声を張り上げる。彼の若く澄んだ通りの良い低い声は巨石をくみ上げて作られた円形の法廷によく響き、わん……と余韻を残してすべての者の耳に届いた。

 身なりのよい壮年の男が進み出た。自分の爪より大きな宝石のついた指輪をはめた手を胸に当て、大公家より古い血筋の大公爵は優雅な礼をした。

「なんなりと、陛下」

「これを聞いたか。どう思ったか」

「さあて――」


 公爵はちろりと娘を見る。他人を見るより冷めた目だった。彼にとって公爵令嬢は愛人の産んだ娘であり、ただ正妻に女の子がいなかったので社交のため引き取っただけのこと。切り捨ても容易い。

「陛下が何をおっしゃいますのやら、見当もつきませぬ。我が家に娘はおりません。我が妻が産んでくれたのは皆、息子でございますれば」

 あんぐりと口を開けて公爵令嬢はよろけ、マジョリーナに縋りついた。


「ち、父上ぇ……」

「妻よ、そうだな?」

 父親は血のつながった娘を無視して貴族の群れの中に問いかける。ほっそりした夫人は頷いた。その周りで息子たちも同じ表情で頷いた。

「ご覧の通りでございます。我が家にこんな不始末を仕出かす娘はおりませんことを、改めて宣言いたします」

「そうか。つまりメンパルロ公爵家と関係ない娘が妻の妹とつるみ、妻を侮辱したことを認めるのだな?」

「はてさても。カヴリラ伯爵家の内情は伺い知れませぬ」

「それでは、そなたを拘束する」

 アレクシオンは端的に言った。

「娘はいないと言ったのに、娘を名乗る人物が宮廷に、その上法廷に入り込んだ。その上、大公妃を侮辱した。大逆罪だ。話を聞かねばならなぬ」


 公爵令嬢に付き従っていた少女たちが、ぱっと彼女から離れた。貴族たちの群れの中に溶け込もうと法廷の中央から走り出る。家族に迎えてもらえた少女もいれば、誰からも手を拒否された少女もいた。

 マジョリーナと二人、彼女はぽかんと口を開けてアレクシオンを見つめている。なぜ話が思うように進まないのか、全くわからない様子で呆然と。


「――マジョリーナ!」


 と声が響いた。カン高い震えたその声が、自分の口から出たことがリュディアは信じられない。かなうなら妹を抱き寄せて、この子だけは無実ですと叫びたかった。

 しかし彼女は、マジョリーナと父母に殺されかけたのだった。

 ここで許せば次が起こるだろう。

 マジョリーナはぽかんとリュディアを見つめ、おねえさま、と口が声を出さず動いた。

 あまりに身分の高い者が公式の場で発言すれば白も黒になる。メンパルロ公爵は娘の生存含むすべてを否定した。だがそれは明らかに事実と矛盾する。嘘をついたことは拘束の理由にならない。


 ――大公の目の前でその妻を堂々と侮辱するという挑発行為があれば、事情は変わる。

 リュディアは項垂れる。夫はいつか大貴族の家のいくつかを取り潰し、国庫を潤すとともに反乱の首魁となる可能性を潰そうと考えていた。だがそれはいつかであって、今ではなかったはずだった。そしてアレクシオンは、好機を逃さない人である。

 メンパルロ公爵は弾かれたように笑い出した。遅れて彼の家族や公爵家を支持する貴族たちも追従した。だが笑い声の渦はそれ以上大きくならなかった。アレクシオンが受ける歓声のようにはならなかった。


「これはこれは、お若い大公陛下、よろしいですか。あなたのように若くみずみずしいお方がそのようにお考えになるのは結構ですが、――」

 彼は最後まで言い切ることができなかった。大扉を破壊せんばかりの勢いでこじ開けて、男たちが雪崩れ込んだ。槍と鎧を身に着けた荒々しい動きの彼らは瞬く間に場を席巻した。話す言葉や声の調子が、彼らが貴族階級ではないことを物語っていた。


 かつて法廷の警備は大公妃の父親の貴族が請け負うしきたりだった。アレクシオンはそのしきたりを改正した。配下の傭兵たちのうち、少貴族出身の者たちを大神殿や法廷の衛兵に当てたのである。

 あまりにささやかな改正すぎて、大貴族の視界には入らなかった。少なくともメンパルロ公爵は、それが重要な変化であると気づけなかった。数百年を持てる側として過ごした大貴族は、ときに平民の子供より愚かになる。


 宮殿のあらゆるところで目にする使用人や衛兵が、心からアレクシオンに忠誠を誓う人物にすり替わっていたこと。それに気づけていれば、何かが変わっただろうに。

 彼らの手には白刃が握られていた。メンパルロ公爵は押さえつけられ、その家族は槍の穂先によって包囲される。


 ――傭兵だ! と誰かが叫んだ。

 わあっとパニックが起こったが誰も逃げられはしなかった。いつの間にか貴族たちの間にも武具を持った衛兵たちが入り込み、騒ぐ者を脅したからである。


 なんて恐ろしい、と呻く者がいたし、不敬罪だと言う者までいた。アレクシオンはすべてを鼻で笑った。

 彼は神の祝福を受けた法廷の真ん中に躍り込んだ。その素早さ、優雅さ、そして天性の人の心を支配する力は、特に敵の注目を受けたときに輝く。


 リュディアは泣きながら息を吐き出した。父母が、マジョリーナが、男たちに槍で脅され集団から引き離され、隔離され、連れ去られていく。天窓から差し込む光が大公を照らす。彼の血のように赤い目がきらきら輝き、リュディアはおそらくこれこそが――と悟った。

 これこそが、人の心を迷わし支配する悪魔の美しい姿なのだろう。

 そして私は悪魔と共に生きて死ぬのだ。

「聞け! 俺が治めるこの国において、法の裁きを逃れられる者はいない!」


 すべての音が消えた。しんと沈黙が満ちた空間の中、アレクシオンは大公だった。神の祝福を受けた人。

「大公の名において今一度宣言する。北方大公国ロズアラドのすべての民は同一の法律と、大公の保護を受ける。この世において、その制限を逃れる者は俺以外にいない。ただ大公だけが、この国を支配し! この国に君臨する!」


 だんっ、と床が踏み鳴らされ、そんなはずはないのに建物全体が揺れた。おう、と傭兵たちが低くどよめく。貴族たちは高い悲鳴を上げる。リュディアはただ、彼を見つめる。

 最初に歓声を上げたのは、大公に近しい貴族たち。続いて、反対派がそれより大きな声を上げる。大公を讃える声の中に大公妃リュディアの名もあった。アレクシオンは声のすべてを受け止めようと両手を広げ、彫像のように静かにそこに立っている。光が彼を祝福し、人は恐れのあまり彼に服従することを誓い、美しい男はただ一人だった。

 喧噪の中、彼女は小さく呟いた。引きたてられていくカヴリラ伯爵家が目の端に映り、それでもまなざしはアレクシオンから離せなかった。


「永久に栄あれ、大公陛下――」

 その言葉は誰の耳にも届かず、消えた。


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