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虐げられ魅了乙女は孤独な大公と恋をする  作者: 重田いの


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 リュディアははっと目を覚ました。

 身体は重たく、頭は霞がかっている。魔法の眠りから覚めたあとの感覚だ。子供の頃、扁桃腺を切ったことがあって、そのとき同じ眠りを知った……。


 ――何が起きたのだろう?

 リュディアは首を動かしてあたりを見回した。

「あっ、お妃様が……」

 と侍女の一人の声がした。わらわらと手が伸びてきて、彼女は寝台の上に助け起こされた。ぬるいお茶を飲まされ、苦い粉薬と冷たい水を飲まされ、もうたくさんだと思ったあとに冷たい氷枕の上に頭を乗せられて分厚い布団をかぶせられる。


 日の出と日の入りを繰り返し見た。徐々に体力が戻ってくると、事情も呑み込めてきた。

「どこから毒が入ったのだと思う?」

 と聞いたが、侍女たちは顔を見合わせるばかり。誰も、何も答えない。

「答えるな、って言われたのね……」

 それだけ呟いて、リュディアは再び眠りについた。

 そして彼女は炎で焼かれる夢を見た。身体は裂けるように熱く、皮膚はとろけ、目は弾けて何も見えなくなった。だが焼き崩れること自体はなにも怖くなかった。この炎はリュディアのためだけに現れたのではない。


 これはアレクシオンを焼くためにある炎だった。そしてリュディアは、とうとう彼と一緒に焼かれることができたのだった。

 もう何日眠ったかもわからなかった。深い熱い暗い眠りが彼女の心の中を決定的に変質させた。

 誰が彼女をこうしたのか? 誰が毒を盛ったのか? なぜ侍女たちは何も教えてくれなかったのか?

 答えは決まっている。一つしかない。

 最初から一つしかなかったのだ。リュディアに死んでほしいと思っている人たち……。

(お父様、お母様)

 と、心の中で呼んだ。

(マジョリーナ)

 かわいい妹の晴れやかな笑顔が浮かんだ。

(私が死んだらマジョリーナが大公妃になれると思ったの?)

 妻が死んだら妻の姉妹を娶り一族同士の関係を存続させるというのは、ロズアラドでは普通のことだ。けれど。


(私が妊娠していたらどうするつもりだった? 子供が流れてもいいと思ったの?)


 眠りの狭間に耳にする断片的な周囲の会話から、毒が相当強いものであったこと、断固とした意志を持って盛られたことはわかっていた。直接の下手人はすでに投獄されているらしい。リュディアが何度も話したことのある侍女の娘だった。

(宰相一家になれなかったことがそんなに悔しかったの? 私ではなくマジョリーナならアレクの心を変えさせられると思ったの?)


 わからない。確かに仲のいい家族ではなかった。愛し合っているわけではなかった。それでもカヴリラ伯爵家は一つの家族だったはずだ。


(殺されてしまうのよ。大公妃の身柄を狙ったのだもの。ああ――お母様が毒を盛るって決めたの? お父様が賛成したの? いつものように、マジョリーナも頷いたの? 私が死んでもいいと思ったの?)

 この身はすでにあの人たちの好き勝手にできるものではない。リュディアの命と運命はアレクシオンのものだった。彼の命と運命がリュディアのものであるのと同様に。


 改めて目覚めたときは早朝で、薄紫色の光が閉ざされた分厚いカーテンの隙間から入り込んでいる。薄明りで部屋は満たされ、あらゆる布の金の刺繡が浮かび上がって見えた。身体がいつになく軽かった。

 そしてアレクシオンは彼女の枕元に椅子を引っ張って来て、その上に足を組んで座っていた。険しい表情、全身から漲る緊張感と――これはなんだろう? 彼は何かを憐れんでいた。残念がっていた。


「まだ起き上がるな。熱がぶり返すぞ」

 とリュディアの方を見ずに言い、

「欲しいものは?」

「あ……お水を、ください」

 彼はそのようにしてくれた。てきぱき動く手足は働く男のものだ。この人はやはり大公として玉座に座して報告を待つよりも、実際に自分で動き回る方が性に合っているのだ。そうしなければ生きていられないのだ。


「戦争、は?」

「ニコラに任せてきた」

 彼が十二歳のとき、物事のすべては彼抜きで始まり、終わってしまった。彼は住み慣れた都リリンを追われ、流浪の大公子となった。愛は消えた。戦うしか取り戻す方法はなかった。

 その彼が、戦いを放棄して戻ってきた。

 不甲斐なさにリュディアの眦から涙が零れた。

「おい、泣くな。大丈夫だから。あー、何が悲しい? 身体が痛いか?」


 リュディアはひたすら首を横に振る。彼と対等の、信頼される大公妃になりたかったのになれなかった。悲しかった。申し訳なさで身が縮んだ。

 身体を支えられながら白湯で喉を潤すと、彼は目に見えてほっとした様子である。

 リュディアのことをまるで今にも死にかけの小鳥か、ヒビが入ったガラスの像を見るようにしていた。沈黙は、何を言えばいいかわからないからだ。


 リュディアは涙を拭い、安心させるように微笑んだ。

「もう、大丈夫ですよ。心配いりません」

「顔が青白く見える」

「でも大丈夫なんですもの。冷や汗も止まりましたし、熱も下がりました」

「動くなよ。動くな」

「わかっています……」

 アレクシオンは押さえつけるようにリュディアを寝台に横たわらせ、じいっと彼女の顔に見入った。

「君が死ぬと思った」

 とだけ、彼は言った。見えない涙がその頬を伝っていた。大公が泣くことは許されないのだとでも言うように、食いしばった顎も震える指先も彼の頑なさの現れだった。

 リュディアはあえて明るい声を出した。手を伸ばして彼の耳をつんとひっぱった。


「マカリオス様があんなに気を付けて、お付きの間諜に見張らせてくださったんですのにね。侍女たちも心配させてしまいました」

「毒を運んだのはその間諜だった。実際に毒を盛ったのはその侍女の内の一人だ。どうしてそんなことが言える?」

「でも発起人は、私の家族だと思います」

 アレクシオンははっとリュディアの顔を見つめる。ふたつの視線が交錯して、悲しみが交わされた。純粋な。

「……違うよ」

「いいえ。私を殺したいほど憎んでいるのは、今のところあの人たちだけ。大貴族に付け込まれたのでしょう」


 大貴族たち、とくにメンパルロ公爵令嬢はリュディアを蔑み、いつか排除したいだろう。だがそれは今ではないはずだった。彼らの利権はいまだ脅かされていないからだ。

 大公アレクシオンが布告したのは平民の所有権を大公にうつすということだけ。肝心の領地からの実入りはいまだ貴族たちの手にある。ならば若い大公の動静を静かに監視して、行き過ぎたと思った時点で正義を振りかざし止めに入るのが一番賢い――かつてそうしたように。


 偽大公アルクルはアレクシオンの母エレーナを止めるために。アレクシオンは偽大公アルクルを操る大貴族の専横を止めるために。その背後には常に、金と兵力を出す貴族の存在があった。

「なんでそんなことを言う? なんで認めているんだ? なんで、自分が親に殺されかけてそんなに冷静でいられる?」

 彼はぎろりとリュディアをねめつける。心配のあまり愛情が敵意に反転しそうに見えた。

 アレクシオンは悔しそうにリュディアの頭を抱え込んで、布団に拳を打ち付けた。


「しくじった。わかっていたのに。宮廷において毒はよくある攻撃手段だ。わかっていたはずなのに君に敵の手を届かせた。許しはしない。敵は全部殺す。もう二度と俺の宝に手を伸ばそうとも思わなくなるように」

「アレク。アレクシオン。お願い、やめて。それでは歴代の大公と同じだわ。過去の人たちは虐殺と暴政で国土を疲弊させながら栄華を極めたけれど、あなたはそうならずにすむはず。平民たちはあなたの味方なんだもの」

「無理だよ。平民が味方しているだけでは、貴族は止まらない」

 吐息だけでアレクシオンは囁き、赤い目はじろりと己の拳を眺める。

「毒も軍も使わずロズアラドを治めることなどできない。結局、俺の人生にそんな甘ったるい明るい未来はありえなかったということだ」

「アレク――」


 彼は頭を持ち上げて、リュディアのそれと鼻先を擦り合わせた。髭が顎に当たって少しだけ痛い。汗のにおいがする。馬と埃と薄くなった太陽と風のにおいも。

「君は俺の僥倖だ。決して失いたくはない。君に迫る手は何もかも全部叩き落す」

 リュディアは目を閉じる。……あの庭にいる気持ちがする。魔法の結界に包まれて、大理石のベンチと放棄された東屋と、溢れんばかりの植物に満たされた秘密の庭。


 あのままあそこで暮らせたらどんなにかいいだろうとリュディアは思ったのだった。星を眺めて、彼と二人だけ。強制されたことは何もせず、互いを傷つけることは何も言わない。けれど。

 嫌なことから逃げて逃げて逃げ続けて、それでは生きていられないのだ。

 家族に従順にしていれば幸せになれるなどと、思ってはいけなかったのだ。

 彼女は目を開けた。


「それでは、ひとつだけお願いを聞いてください」

「何だ?」

「あなたが歩むその血みどろの人生を私に共有させて。何もかも。私はあなたとロズアラドを一緒に背負いたいの。もしそうでないなら、私たちはいずれ離れてしまうでしょう」

 彼は珍しく狼狽した。

「それはダメだ」

「どうして?」

「どうしてって――決まっているだろう。君は綺麗だ。俺は血で汚れている。これからも汚れ続ける。俺は君にドレスを着せたい。真珠と金で飾りたい。綺麗なままでいてほしい。男なら誰だってそう思うはずだ。君はこんな簡単なこともわからないのか?」


 血を吐くような声だった。どうしてわかってくれないのだと彼は混乱していた。そう、かつてリュディアもこうだった。家族にわかってもらいたかった。

 だが今、リュディアの家族はアレクシオンただ一人だった。


「いいえ。それではいけないの。それではきっと、私はまた毒を盛られ今度は死んでしまうでしょう」

「リュディア――」

「あなたが戦争をやめられないのなら、私はこれからも宮廷で一人になることがある。絶対にその瞬間は訪れるのよ。あなたがあれほど信じたマカリオス様の配下でさえ私たちを裏切ったというのなら、私が私を守れなくていったいどうするというの?」


 アレクシオンは絶望的に呻いた。リュディアは身を起こそうとして、彼の大きな手がそれをまだ押しとどめようとするのを感じた。彼女はむっとした。

「アレク、どうして信じてくれないの?」

「俺は……」

「大公アレクシオン!」


 夫がびくりと肩を揺らすさまなど、初めて見た。リュディアはもたもたと寝台の上に身を起こす。部屋を満たす光は薄紫色から白い朝日に変わり、彼女の髪は燃えるような赤毛に見えた。

「あなたは私の夫です。大公妃リュディアの望みを叶えてください」

 二人は静かに手を握り合う。指先がじんと痺れて、彼に触れたところから順番に熱が血管に入ってきて、身体を巡る気がした。

「あなたが血みどろになるなら私もなります。私が持っているものはすべてあなたにあげるわ。私はあなたの手足にも部下にも妻にもなる。だって――もう私たち、ここで生き残るしかないんだから」

 父母も妹ももういない。とっくの昔に、リュディアの傍には誰もいなかったのだ。


 リュディアにはアレクシオンしかいなかった。アレクシオンにリュディアしかいないように。彼と共に生きることが毒と破壊と戦争と炎にまみれた人生を歩むことと同義なら、リュディアはそれを受け入れる。

「答えて、アレク。私をあなたの隣に並ばせて」


 アレクシオンは奇妙な顔をした。泣き出しそうな、迷子の子供が親ではなく受け入れてくれる新しい家族を見つけたというような。ごくり、と喉を鳴らし彼はふらふらする彼女の身体を抱き寄せる。


「――わかった」

 二人、明るくなる寝室で抱き合いながら互いの鼓動を聞いた。

 この朝から自分と夫は本当の意味で夫婦となり、同じ時間を生きることになったのだと、のちにリュディアは振り返る。

 


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