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 乳母の墓の前にリュディアは立っていた。


「ばあや、私、都に連れていってもらえるみたい。家族で出かけるなんて初めてだわ」


 鉢植えから取ってきたランの花を花束に、綺麗な薄紙とリボンを巻いて墓に供える。

 ばあやは戦争で夫と子供たちを亡くし、カヴリラ伯爵家に保護を求めてやってきた遠縁の貴婦人だった。背が小さくて目が悪くて料理上手、寝る前に欠かさずたくさんのお話をしてくれた。彼女が全身全霊で愛してくれたので、リュディアは父母の愛を諦めても悲しくなかったし、マジョリーナのような愛らしさはなくとも自分にはそれなりにいいところもあると納得できたのだった。

 もし彼女がいなかったら、リュディアは手の付けられないひねくれた陰鬱な令嬢になっていたに違いない。


「私は幸せ者ですよ、こんないいお城でいい暮らしをさせてもらえて、って、いつも言ってたわね」


 リュディアは寂しく墓石を撫でた。一昨年、ばあやが風邪をこじらせて死んでしまったとき、彼女はどれほど泣いたかわからない。今でもたまに夜中に目を覚まして、枕元が濡れているときもある。それでも思い出すのは彼女の清らかな言葉と笑顔、たくさんのよいことばかり。


「私もそう思うわ。何もできない私が何の仕事もせずに暮らしていられるのは、お父様の子だから。領地にまだ、何も還元できてない。だから、お父様の名に恥じないよう、カヴリラの者として情けなくない振る舞いをすることを私は誓います」


 今のリュディアを作ったのは間違いなくばあやだった。身体は小さくとも凛と背筋を伸ばした彼女の立ち姿がリュディアに矜持とは何かを教えてくれた。――天の国で安らかに過ごす彼女が誇りに思えるよう、リュディアはなんでもするつもりだ。

「見ていてね、ばあや。他の貴族様の前でだって、怖気づかないわ。ちゃあんと、立派な礼をしてみせるんだから」


 彼女は墓石に抱き着くと、その一番上にキスをした。墓は冷たく、ばあやの身体とは大違いだ。

「帰ってきたらお土産を持って、また来るからね!」


 そうして彼女は城の裏手の集合墓地をあとにした。使用人のうち、出身の村や町に引き取り手がいなかった者、または放浪者で領地内で死んだ者はここに埋葬される。この二年ですっかり馴染んでしまったこの場所に、戻ってこられることを疑っていなかった。

 そのようにして、カヴリラ伯爵家は北方大公国ロズアラドの都リリンへ出発した。

 馬車の中で母は不機嫌に押し黙り、姉妹は賢く沈黙を選ぶ。四人用の馬車の座席には、母、母付きの侍女のローズ、リュディア、そしてマジョリーナ。

 気まずい沈黙に気づかないふりをしながら、リュディアは都の街並みを想像した。カヴリラとは違って、石畳が一枚ずつ大きさを揃えてあるというのは本当だろうか? 家々も丸太ではなく煉瓦造りで、貴族たちの邸宅が立ち並ぶ区画には塵一つ落ちていないというのは?


「リュディア、リュディア!」

 鋭い声に彼女は夢想から覚めた。

「はいっ」

 と居ずまいを正すと、母の扇が膝に降ってくる。痛い。

「何をぼけっとしていたの? 夜会で大公様と踊る自分でも夢見ていたの? お前のように地味な娘が呆けた顔をしていると、顔のつくりの何倍も馬鹿に見える。しゃんとおし!」


「はい、お母様。申し訳ありません」

 母は打って変わって優しい笑顔をマジョリーナに向ける。


「ジョリー。お尻は痛くない?」

「はあい。おかあさま」

「お前ならきっと大公様のお目に留まりますとも。母は信じていますからね」

「はあい」


 ローズは私は関係ありません、何もかもに、という顔をして遠くを見つめていた。

 リュディアも同じような顔をして背中を伸ばし、馬車の壁のしみを見つめる。だがどうしても、頭の中では色々考えてしまう。

(今からこれじゃ、先が思いやられるわ。お父様もお母様も都は久しぶりのはず。ご友人はいるのかしら? それとも、敵がいるのかしら……)

 カヴリラ伯爵家は父が先代大公フェリュードラの死とともに蟄居を命じられた関係で、都の邸宅を没収された。だからリュディアは都というものを絵でしか知らない。一通りの礼儀作法は習っていても、それが都の貴族たちに通用するかはわからない。


「ねえおかあさま、もしあたしが大公様の花嫁になれたら、あたしたち都に住める?」

 マジョリーナは身を乗り出して母に甘えた。妹が母の機嫌を取ろうと努めてくれることが、ありがたいやら情けないやら。リュディアが余計な口を挟めばどうなるかわかったものではないので、彼女はますます存在感を小さくしようと縮こまった。


「ええ、きっとそうですとも。ああ、都! 懐かしいわあ。あたくしはリリンで育ったのですよ、ジョリー」

「はあい。そう聞いてます、おかあさま。おかあさまのお父様は大臣様だったんだもんね?」

「そうですとも。逆賊アルクルがこの世に生まれるより前のこと。今よりずっとよかったあの時代を作り上げた偉大な賢者のうちの一人が、あなたのお爺様なのですよ」


 リュディアはカーテンの隙間から窓の外を盗み見た。騎乗した父の声と、その馬の蹄鉄の音がかすかに聞こえた。姿は見えない。

(お父様はどんなお気持ちで、都に上るのかしら)

 父は先の大公フェリュードラの忠臣として数々の戦に付き従った。フェリュードラの弟、今は逆賊アルクルと呼ばれている人が反乱を起こし都を占拠したとき、父は国境で敵国と戦っていた。なんとか戦線を離れて都に入ったときには、すでに忠誠を誓った主は殺されてしまったあとだった……。

 ――無念だったろう、と思う。武人にとって生涯の主とは得難いもの。父より妻より大事なものだとされているから。


 逆賊アルクルは父の武の才を惜しみ、殺すのではなく領地への蟄居を申し付けた。それ以来、父は領地を出たことはない。狩りにさえ行かず、フェリュードラの遺児アレクシオンがアルクルへ挑むときさえ静観した。

 簒奪者の叔父を殺して新大公となったアレクシオンは、果たして父をどう思うだろう? 先代に忠義を尽くした無骨な武人か、号令に歯向かって力を貸さなかった不忠者か。あるいは、父の名前すら知らず興味も持たないかもしれない。その可能性の方が高い。

 母と妹は興奮気味にあれこれと買い物の予定を話し合っていた。あ、とローズが声を上げ、慌てて黙り込む。

 リュディアは小首をかしげ、カーテンの隙間から外を覗き込んだ。ローズの見たものを見ようとして。――すぐに、見なければよかったと後悔した。


 都リリンへ続く大きな街道の道沿いに、ずらりと死体が並んでいた。穴を掘って建てられた丸太に括り付けられ、両手を縛られて縛り首にされている。脱走兵か、強盗か、命令に従わなかった兵士だろう。

 フェリュードラもアルクルもしなかったことを、新大公アレクシオンはやった。しきたりに従えば恩赦が与えられるはずの罪人を決して許さなかったのだ。脱走や略奪の罪をどこまでも追及し、犯人を捕らえ次第命で償わせる。法律ではそうなっているのだ、と言って。


 通常、新大公が即位するとその慈悲深さを示すため、罪人を牢獄から解放したり兵士の略奪の罪を許したりする。だがアレクシオンは真逆のことをした。それは彼が彼の良心と法以外の何にも束縛されないことを示す、もっとも手っ取り早い方法だった。

 リュディアはぎこちなく視線を自分の手に注ぎ、見たものを忘れようとした。母と妹は喋り続ける。リュディアとローズは黙りこくっている。


 騎馬の父を筆頭に、カヴリラの騎士たちは颯爽と進む。父が都から追放されて尚付き従った忠義の騎士たちだから、数は少なくとも一騎当千に強い。馬車は彼らに守られて、どこか胸を張って進む。都が近づいてくる。


 道中、何度か街道沿いの宿屋に泊まった。リュディアには何もかもが珍しかった。翌日、眠れなかったらしい母と妹に八つ当たりされたり、侍女のローズが二人に薬湯を差し出すのを手伝ったり。何かがあったかと言えばそのくらいである。

 そうして十日の旅路ののち、都が現れた。これほど栄えた都市は大陸広しといえどもここしかないのではないか。それは巨大で壮麗な美しい都市だった。


 都リリンの構成はこうである。中央に大公の暮らす宮殿があり、宮殿に守られるようにして国の祈りの中心地である大神殿がある。その周囲を取り巻くのが大貴族の都の邸宅である。さらにその周りには国立劇場や庶民のための役所が立ち並ぶ。その次が貴族の称号を持ちながら貧乏暮らしを余儀なくされる中小の貴族たちの慎ましやかな邸宅の区画。それから商人や外国人、貴族の元で働く豪農出身の管財人や秘書や官僚といった専門職の人々が職業事に集落をつくり点在する。そしてそれらを取り巻いて、雑多な貧民窟が地面にへばりつくようにして存在していた。


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