第30話 ロマンに塗りつぶされる 後編
俺は、親父の息子だったんだ。
そう叫んだ西空無礼の息子は、突然駆けだして、外に飛び出した。
「あははははははははははははははは!!!」
まるで、前世からの夢を叶えたかのような高笑いだった。
夕焼けの中を飛ぶカラスの鳴き声すらもかき消し、体の全身から響いているような大音量だった。
「……はじめさん、どうしたんですか?」
「ああ、探偵の助手かっ!」
「様子がおかしいですよ?」
「感謝する。いや、お前には感謝してもしきれない」
口調すらも別人のようで、助手は辟易するしかなかった。
(これが西空無礼先生がしたかったこと? ロマン?)
あまりの衝撃にめまいがしてよろめく。
しかし、当の本人の息子は小躍りをしている。
「とても清々しい気分だ。俺は今、ついに生まれたんだ。呼吸ってこんなに爽やかだったのかっっ!」
助手は冷や汗を滲ませながら、彼に歩み寄っていく。
「あの、はじめさん」
「ん? なんだ? キスでもしてほしいのか?」
「なんでそうなるんですか!?」
「すまないすまない。なんていうか、世界の全てが愛おしいんだ」
助手は助けを求めるように、探偵の横顔に視線を映した。
すると、彼女は険しい顔をしていた。
「おか、しい」
「……ですが、本人はあんなに嬉しそうにしています」
「たま、しい、いびつ」
「…………」
(こんなの、どうすればよかったんだよ)
途方に暮れていると、ふいに助手と探偵の手が触れ合った。
自然とつなぎ合うと、心が落ち着いていく。
すると突然、パチパチパチ、と拍手の音が聞こえて、とっさに振り返った。
「素晴らしいッッッッ!!!!」
今の西空無礼の息子の姿を見つめながら、二階堂依頼人は涙を流していた。
「これこそが西空先生が描いた世界。ロマン!!! 先生の作品はついに、完成したのですっ!」
完全に自分の世界に入り込んでいた。
狂っていた。
常軌を逸していた。
瞳の光が歪んでいた。
「ああ、素晴らしい。今日は素晴らしい日です」
「そうですわね。とても素晴らしいお日柄です」
「……え?」
突如。
本当に、突如だった。
その場にいる誰もが、直前まで彼女の存在を感じ取れなかった。
金髪にサファイアの瞳。
セーラー服を身に着けているのに、上品な雰囲気を漂わせている。
そして、彼女の隣には、ゾンビのように虚ろな状態の男。
(あの時の金髪の女子高生? なんでここに……?)
助手は頭が追い付かず、全く動くことが出来なかった。
それが致命的なミスだと知らずに。
「あなた、とても魂が穢れていて、とっても素晴らしいですわね」
金髪の女子高生が、二階堂依頼人に近づいていく。
ほとんど密着しているほどまでに。
「感謝してくださいまし。あなたはこのために生まれてきたのですよ」
唇が重なり合った。
「――なっ!」
いきなり現れた少女にキスをされる。
それはかなり不可解で、衝撃的な出来事だっただろう。
しかし、二階堂依頼人の顔は徐々に蕩けていき、そして、干からびていく。
筋骨隆々だった肉体すらもしぼんでいき、肉と骨だけに変化していく。
まるで、精気や魂を吸いつくされたみたいに。
(……これって)
探偵や勇者の同類。
そう考えるのが自然だ。
助手はそう考えて、探偵に声を掛けようとして、動きを止めた。
「……探偵さん?」
探偵は驚愕に目を見開き、顔を真っ赤にしていた。
ここまで感情をあらわにしている姿を、助手は見たことがない。
一体、何が彼女の心をそこまで揺らしたのだろうか。
その答えは、薄い唇からついて出た。
「おと、うと」
おと、うと。
おとうと。
弟。
(彼が、探偵さんの弟……? 生きているのか……?)
探偵の弟らしき人物は、まるでゾンビのようになっている。
目の焦点は定まっておらず、うわごとしか呟いていない。
「おとうと!!!!!」
まるで弾丸のように、探偵が駆け出した。
焦燥。
期待。
絶望。
愛情。
憤怒。
安心。
恐怖。
彼女の顔はグチャグチャになっていて、イヤな予感がした。
さっきまで握っていた左手は弾き飛ばされていて、必死に右手を伸ばしていく。
肩が外れようとも、腕が吹き飛んでもかまわない。
このまま行かせてはいけない。
絶対に悲惨なことになる。
彼女の悲しむ顔を見たくない。
「待ってくださいっ!」
「じゃまッッッッッ!!!!!!!!」
手を弾かれて、助手は冷たい地面に倒れ込んだ。
「……………………え?」
右手首はあらぬ方向に曲がり、指もグチャグチャにひしゃげてしまっている。
しかし、そんな痛みなんてどうでもよかった。
自分の伸ばした手を、探偵が――根黒マンサが拒絶した。
森の中で突然現れた彼女を拾って、一緒に根黒探偵事務所を始めて、一年以上の時間を共有してきた。
その間、喧嘩は何度もあった。
だけど、最終的に一緒にいることを選び続けた。
そんな信頼関係があったからこそ、助手は想像すらしていなかった。
自分の手が跳ねのけられるなんて――
「あなた! 一体なんですの!?」
「かえせッッッ!!!!!!」
「ちょっ!? とりあえず逃げますわよ、あ♡な♡た♡」
「まてッッッッッッ!!!!!!!」
銀髪の美少女と、金髪の女子高生は空を飛び、不思議な力をぶつけあっている。
まるでファンタジーバトルのような攻防。
すぐ近くには干からびた依頼人の死体。
必死に呼びかける西空無礼の息子。
そんな鮮烈な光景は、助手の目に一切映っていなかった。
いや、映っていても、全く認識できていない。
「…………なんで」
金髪の女子高生は巨大な火の鳥に乗り、高速でどこかへと消え、探偵は空を飛翔し追いかけていく。
助手は誰もいなくなった夕空を、眺めることしかできなかった。
これにて第2章は完結!
次からは最終章になります!!!!
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