第16話 ヒーローは突然やってくる 後編
我に返った助手は、探偵と勇者風不審者を追いかけようとしていた。
しかし、すでに彼女たちの姿は見えない。
わかっているのは方角ぐらい。それもあまり当てにならないだろう。
(くそっ! スマホのひとつでも持たせておけばよかった)
とりあえず走っているものの、助手の顔は非常に険しい。
むやみに探しても意味がないと知りながらも、冷静に止まれない自分に嫌気が差しているのだ。
カシャカシャ、と。
ふと、音が聞こえて、助手は振り向いた。
裏路地に目をやると、そこには小さな白い塊があった。
それが無造作に投げ出された骨の塊であることは、すぐに理解できた。
徐々に形を成していき、人型へと変わっていく。
(お、あれはスケルトンか?)
ねずみのように小さいが、バーベキューの時のスケルトンと瓜二つだ。
彼は助手に手招きしながら、駆け出していった。
(なるほど探偵さんが操っているのか)
そして20分ほど走っただろうか。
助手は息を荒げていた。
いくら運動不足でも、いくらおっさんに片足突っ込んでいても、普段はこれくらいで苦しむことはない。
しかし、今はバーベキュー後なのだ。
走るたびに、胃の中で暴れまわるイノシシ肉。まるで生前の勇敢さを体験している気分になり、助手は口元を手でおさえた。
わき腹に痛みが走り、吐き気がせりあがり、呼吸するのも辛い。
(サイアクだっ!)
勇者風不審者に殺意を覚えながらも、スケルトンについていき、ビルの階段を登っていく。
「探偵さん、でえじょうぶですか!?」
疲れのあまり噛んでしまった助手。
しかし、そんなことがどうでもよくなるような光景が、目の前に広がっていた。
「…………」
勇者風不審者が、床に伸びていたのだ。
その前に立っているのは、犯人と思われる探偵。頬を膨らませながら仁王立ちしている。
「えっと、なにがあったんですか?」
「ぶっ、た」
「おー、それはそれは。随分派手にやりましたね。生きてはいそうですが」
「きす、されそう、だった、から」
助手が「あー」と声をあげた。
「それは仕方ないですね。オレも経験があります」
「え、きす、された、の?」
「いや、小学生の時、好きな女の子に対して多少強引にキスをしようとしたことがあるんです。いやー、あの時のビンタはかなり痛烈でしたよ。あまりもの衝撃でビターンでしたよ、ビターン。まあ、幼い頃の話ですから。今ではいい思い出です」
武勇伝のように語り終えると、助手はゾワゾワと身を震わせた。
まるで冷凍庫に入れられたような寒気を感じとって、おそるおそる振り向くと――
「…………ふぁっ、く」
探偵からジト目を向けられて、助手は思わず背筋を伸ばした。
「じゃあ、かえ、ろう?」
「そ、そうですねっ!」
探偵のご機嫌を取るように、ドアを開ける助手。
これで一件落着だと思った矢先、勇者風不審者がスクッと立ち上がった。
「いや、君たち、ずっと放置しないでくれないかい?」
「……ふぁっ、く」
これでもかと顔をしかめて、中指を立てる探偵。
(異世界にもそのジェスチャーあるんだ)
助手はどうでもいいことを考えながら、まだ調子の悪い胃をさすった。
「マイリトルプリンセス。その男はどこの馬の骨だい?」
「じょ、しゅ」
「じょしゅ? 変な名前だ。しかし、いやはや、4文字も使われているなんて、文字がかわいそうだね」
とてもさわやかな声音だったが、口調は明らかに挑発している。
ただでさえ胃もたれで機嫌の悪い助手は、ビキビキと青筋を立てた。
「いきなり出てきて、随分失礼な人ですね。礼儀ってものを学んでこなかったんですか?」
「おっと失敬失敬。これが失礼だと思える知性があるとは驚きだ」
さらなる煽りに、助手はヤンキーのような顔へと変貌していく。
「あなたは何者ですかぁ!? 突然出てきて、ゴキブリの一種かと思いましたよ」
「おや、この姿を見てわからないとは、君の目は節穴どころか、枯れた井戸にも劣るようだ」
「いやー。自己紹介もできないような品性がない人間のことなんて、知るわけないじゃないですか。それとも、さっきの言葉が自己紹介だったんですかぁ???」
バチバチとにらみ合う助手と勇者。
その横で、探偵は呆れた顔をしていた。
「ゆうしゃ、やめ、て」
「どうして!? こいつはあなたについている悪い虫ではないのかい!?」
「じょしゅ、いっしょに、くらして、る」
「……いっしょに……? くら……? はああああぁぁぁ!?」
勇者はしばらく探偵の言葉が咀嚼できなかったのか、宇宙を見たような間抜けな顔をした後、目玉が飛び出るほどに驚いた。
(おおー。リアクション芸人顔負けだ)
「こんな男、同じ屋根の下で暮らしたらどうなることか……。ほら、舐め回すような視線でマイリトルプリンセスを眺めているッ!」
「なにも、されて、ないよ……?」
「いいや。そんな訳はないっ! 男というのは獣だ。マイリトルプリンセスのような女の子を、押し倒したり。俺だって」
「いや、エロ猿はお前だろっ!」
図星だったのか、勇者は頬をわずかに赤らめた後「こほん」と咳ばらいをした。
そして「そういえば」と話を露骨にそらした。
「マイリトルプリンセス。まだ弟を探しているのかい?」
「うん、そうだ、よ」
「それで、この男のお世話になっていると?」
「まい、ご、だから」
「……はあ」
わざとらしい、勇者のため息。
「正直、もう諦めた方があなたのためだ。もう何年探している? もう十分だろ。かなりの日数が経っているし、生きているとは到底――」
空気が、冷えていく。
「ゆう、しゃ」
先ほどまで飄々としていた勇者が、冷や汗を流すだけで瞬きすらできていない。
「だまって」
次の瞬間、周囲が暗くなった。
いや、そう錯覚するほどに息苦しいだけだ。
まるで、地獄の底から手が伸びてきているような、死のイメージ。
プレッシャー。殺意。そういう、目に見えない強力な力。
これは探偵から勇者に向けられているものだと思われるが、助手はその余波だけで息が苦しくなっていた。
「……たんてい、さん」
助手は必死に声を絞り出しながら、探偵の手を握った。
すると、ルビーの瞳が大きく見開かれ、頬がわずかに緩んだ。
「……はぁ」
探偵が深く深呼吸すると、周囲の異変は収まっていった。
「まあ、いいだろう。今日のところはこれぐらいで失礼させてもらう」
勇者は平然としているように見えるが、手が震えている。
「ああ、そうだ。最後に、忠告だけ」
エメラルドの瞳が、真剣なものに変わった。戦士の目つきだ。
「この近くに、とても邪悪な気配を感じる」
「あく、ま?」
「悪魔だけには感じない。様々なものが混じっている。こんな存在は滅多に見かけない」
「んー。たんち、にがて、だなー」
「マイプリンセスなら相手ではないだろうが、警戒するに越したことはないでしょう」
2人だけの会話が少し不愉快で、助手が割って入る。
「つまり、お前たちの同類が近くにいるってことですか?」
「文脈で分からないのか?」
「すみませんね。勇者を騙る不審者の声だけ、頭が理解を拒んでいまして」
「おや? それはおかしいな。どうして会話できているんだい?」
助手は勇者の煽りを無視して、考えに耽っていた。
(つまり、探偵さんの弟が関係している可能性が高いんじゃないのか?)
「探偵さん」
「……なに?」
「いえ、なんでもないです」
本当は言うべきだと理解している。
だけど、どうしても口に出せなかった。
もし、この言葉を言ってしまえば、今の生活が崩れるかもしれない。壊れるかもしれない。
そんなささやかな恐怖が、助手の思考を締め付けていた。
(そう。これは彼女のためなんだ。暴走しないように、タイミングを見計らっているだけ)
そう自分に言い聞かせながら、助手は自分の心の中に秘密を閉じ込めた。
「それでは、失礼するよ」
言うや否や、勇者は空高く飛び上がり、どこかへと去っていった。
残されたのは、助手と探偵。
探偵はすぐに屋上から離れようとしたのだけど、助手は棒立ちのまま、彼女の顔を見ていた。
「探偵さん……」
「どうした、の?」
助手は自分が口にしようとしている言葉に戸惑いと恥ずかしさを覚えながら、唇を動かしていく。
「えっと、手を繋ぎませんかっ!」
「どうした、の?」
「また連れさらわれないようにですよ」
「なる、ほど」
まるで兄弟がそうするように、自然と手を握り合った。
助手はあまりにも細くて柔らかくてスベスベした感触に、一瞬ギクッとした。
「探偵さんの手って、冷たいですよね。カップラーメンばっかり食べているくせに」
「じょしゅの、て、あたたか、い」
「探偵さんが冷たすぎるんですよ。温めないと不安になってしまう」
「おとうと、も、にたこと、いってた。でも、にぎるの、すきって」
「オレも好きですよ。なんていうか、徐々に温まっていく過程が楽しいです」
「……そう?」
少し嬉しそうな探偵の顔を見て、ふいに顔をそらした助手。
「今日は色々ありましたね。バーベキューに、勇者の誘拐事件」
「でも、ちょっと、たのしかった、かも?」
「そうですか? オレは大分疲れましたよ。早く事務所に帰ってひと眠りしたいです」
「おー。ねよー」
2人は手をつないだまま、陽が沈むオフィス街を通って帰るのだった。




