旧スラム街
すみません、遅くなりました。
冬の比較的穏やかな日。エリザの心の様子が良いこともあって馬車で雪乃とエリザ。そして空を連れて旧スラム街へ足を運ぶ。
すっかり変わった街並みに感嘆の声を漏らす。
綺麗になった建物が整然と並び、あれだけ糞尿まみれの道も、とても綺麗になっていた。
歩く人並みも以前のようなボロを纏っている者は殆ど見なくなり、皆清潔な服装をしていた。
日雇い斡旋所なのだろうか。その建物の前は多くの人の笑顔で溢れていた。また、その近くには低入場料の大浴場があり、そこの前の屋台は風呂上がりの人達でとても賑わっていた。
そんな光景を膝の上に空を乗せたままエリザは食い入るように見ていた。そして薄く微笑んでいる。
まだ、表情はぎこちないし、言葉も上手く出てこないけれど、心にはきちんと見えているのだと安心した。それに以前より気が触れることもかなり少なくなった。雪乃曰く、空のおかけだと言っていた。
「綺麗になってから初めてきたけど、すっかり良くなって安心した」
「悠哉くんの最初の目標だったもんね。良かったね」
スコットさんはちゃんと下水を通してくれていた。かなりのお金は掛かっていたと思う。それを一切拒んだり否定する事なくやり遂げてくれた事に心から感謝する。
「あ、孤児院だね。みんな楽しそう」
僅か二年でここまで。本当に良かった。
ふと、自分の手のひらをじっと見つめた。
「どうしたの」
「いや。なんでもない」
路地を安心して走りまわる子供達の姿に目を細めた。そしてエリザも、俺と同じように目を細めて外を眺めている。そんなエリザの隣に座る雪乃は、俺に微笑みを向けてくれていた。
「空、おとなしいな」
「エリザと一緒の時はいつもそうだよ。きっと、ああやって静かにエリザの心を癒しているんだよ」
「そっか。空はさすがだな」
旧スラム街を一周して馬車は屋敷に戻った。
何気に此方でもまだやる事はあると思い直す。
そんな穏やかな冬の日の出来事だった。
◇
「だから、街に下水道を通せって言ってんだよ! シャルルにも言ったがなあ。臭えんだよ、この街はよ!」
「だから何度も言ってるだろうが。金が、財源が無いと!」
グレースの執務室。その机越しに叫び睨みあっていた。そしてその横の壁際に立っている補佐官と思われる老紳士はそんな状況にあきれて俺達を見ていた。
「あん。金が無い。なら、俺の宝物庫から好きなだけ持ってけや!」
売り言葉に買い言葉。まさに不要な事を口走ってしまった。
「ほう。宝物をな」
「ちっ、雪乃の許可をちゃんと取れよ」
「ユキノ殿が、駄目だと言ったらどうするのだ」
この年増女め!
歳取り過ぎて、口ばっか回りやがってよ。
「はん。お前と一緒にすんな。雪乃がそんなケチ臭いこと言うわけ無いだろうが」
「そうか。私が、私をケチ臭いと主は言うのか!」
グレースは席から立って机に両手をついて身を乗りだすと、俺を鋭く睨んだ。
そしてまた俺も対抗するように軽く腰を折って、グレースをやや上から見下ろして睨み返した。
「街の人の為に金を出さない奴がケチ臭くなくて、誰がケチ臭いんじゃあ、ボケ!」
「ボケとはなんだ! 貴様、失礼にも程があるだろう!」
グレースは俺の胸ぐらを握り込むように掴むと、少し持ち上げるように引き寄せた。
「そこまで言うなら貴様が全てやれ。設計から施行まで。その費用も何もかも、全てお前がやれ!」
「んなもん、国がやることだろうが!」
握り込んで胸ぐらを掴む手に力が増す。襟元が絞められて少し苦しくなる。
「貴様はケチではないのだろう。なら喜んで街の者達の為に、金も手間も貴様が差し出せ!」
言い終わるなり、グッと体を持ち上げられた。
「ああ、分かった。やってやるよ。その代わりお前には二度と協力しねえからな!」
乱暴に胸ぐらを掴むグレースの手を払いのけ、踵を返して執務室から立ち去った。
「子供か。お主らは」
老紳士のその言葉にグレイシアは乱暴に椅子に座り、顔を背けた。
「年寄りの説教など聞かん」
「またすぐに向になる。姫さまはこれだから駄目なのじゃ。それにあの小僧の言ってる事に間違いはない」
「私がケチ臭いというのか」
「違うわ。下水の整備は必要不可欠だ。と言ってるのだ」
さらにグレイシアは頬を膨らませて、拗ねたように机に方肘をついて頬杖をつく。
「わしは来てすぐにこの都を見て周ったが、きちんと衛生的に整備されていたのは、あの小僧が再開発を手掛けた旧スラム街だけじゃった。他はすぐ横道にそれれば糞尿だらけじゃ。こんな不衛生で汚い都が、ヴェネシーア王都として相応しいのか。それにじゃ。姫さまはあの小僧と最初に約束したのだろう。誰もが虐げられずに幸せに笑い。誰もが明日へ希望が持てる世界を。そんな美しい光景をユキノ様に見せ続けろと。とてもじゃないが、わしは糞尿まみれの汚い都で、明日に希望など待てんがな」
グレイシアは観念したように、両手を前に突き出してそのまま机にうつ伏した。
「爺さん。こちらでやると謝ってきてくれ」
「そんなもん自分でせい」
顔だけをあげて、ねだるような面差しを向ける。
「それは姫さま自身でやらぬと逆効果じゃ。それにクズクズしていると、小僧を止められなくなるぞ」
観念したグレイシアは力なく立ち上がると、ゆっくりと執務室から出ていった。
「全く手間が掛かる」
老紳士の横にいるメイドがその言葉に答える。
「無理もありません。姫さまは殿方との恋愛経験がありませんからね」
「お主、居たのか。年寄りをあまり驚かせるもんでない」
グレイシアとそう歳も変わらない美しい人形のような女性は眉一つ動かさずに淡々と答える。
「影に徹してこそのメイド。我等は姫さまの影ですから」
「戦闘メイドと言い直せ。または、仮面メイドとかのう」
「いくら姫さまのマギとはいえ、その失礼な物言いは許しませんよ」
「眉一つまともに動かしてから言え。それよりお主ら、ソフィア様のお側には居なくてもいいのか」
「我等は王の影でございます。ですが、マギであるあなた方もそれは同じではありませんか」
二人は一度も顔を向き合わせることなく話していた。だが。
「どちらが小僧の子を産むと思う」
「姫さま。と、お答えしたいのは山々なのですが、ソフィア様なのでしょうね」
「賭けるか」
「ええ。その話、お受けしましょう。私は姫さまに賭けます」
「お主、それでは賭けにならんではないか!」
ようやく二人は顔だけ向き合うと、互いに声に出して笑った。
マギと影。グレイシアへの他者があきれるほどの忠誠をそこに垣間見せていた。
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