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日常 地域 こんなことあんなことそんなこと

歌は友だち 音楽は心!合唱団とカラオケのこと

作者: 池畑瑠七

 市民合唱団てやつに所属してた事がある。


 物心ついたころから、いつも傍らに音楽があった。

 日本の歌謡曲、洋楽、唱歌に讃美歌、オーケストラのクラシック、映画音楽にアニソンにTVドラマの主題歌。ノンジャンル。昔から聴くのも歌うのも大好きだった。

 幼稚園ごろに近所の芝畑で杉の枝のきれっぱしをもって流行りの歌を大声で歌ってたのが、歌好き最初の記憶かもしれない。


 特に好きだったのは合唱。

 みんなで歌声を重ね、息合わせ心合わせて一つのハーモニーを作り出す。必ずしも誰かが突出して巧いことがいいって訳じゃなくて、みんなが耳を澄ませて仲間の声を聴きあい思い遣り合って、それぞれが精一杯頑張り自分たちにしか出来ないハーモニーをよりよく産み出すことに、力を注ぎ合う。

 そしてうまく音が響き合った時、体と心がその調和に共鳴していく感覚が、自分にはとても心地よかった。


 コーラスの楽しさを知ったのは小学校4年で、近隣の小学校が競い合う合唱コンクールに初めて出場したときだった。5年、6年、そして中学でも同様のコンクールがあったので、毎年その時期は学友たちと懸命に練習に励んだものだ。


 絵を描くのも大好きだったから高校では美術部か軽音部かで悩んだ。

 入学後の部活案内で、音楽室で開催されてたミニコンサートを観に行った。先輩方の演奏やボーカルが滅茶苦茶上手でカッコ良く見えて、憧れた。バンドと合唱の両方をやれる部だった、てことが一番の決め手となって、軽音部を選んだ。

 欲張りが勝った 笑。


 その先輩方にギターやドラムを教えてもらって一緒にバンドをやらせて貰ったり、音大を目指すようなピアノの達者な先輩が歌謡曲を合唱用にアレンジしたものを、部員全員で4部合唱にしたり。

 不定期開催のミニコンサートや文化祭のステージに向けて毎日毎日、音楽室に入り浸って練習していた。


 元来人見知りが強くて、大勢とワイワイやるのも苦手だったからクラスメイトとは余り交流を持たなかったが、部活の仲間と居る時間は大好きだった。

  友達に話を振られても気のきいた事もあまり喋れず、テレビや流行にも疎いから仲間達の賑やかなおしゃべりの輪をいつも少し離れて見ていた。でもそれを羨ましいとか感じた事は無く、愉しげな仲間を側で見てるだけで充分に楽しかった。部活をやりたくて学校に通っていたようなものだった。


 卒業後は音楽から離れ実務系学校に進んだためそれ以後は機会が無かったけれど、家庭を持ってからもやっぱり歌うのが好きで「コーラスいつかやりたいな」ってずっと思っていた。


 我が子達が小学校に入ってから共に参加するようになった青少年活動に関連して、自分も大人の役割として歌を歌う機会は案外多くあった。それはそれで好きだったし楽しいことも沢山あった。

 キャンプやハイキング、野外活動で子供たちを前に。一緒に歌って、踊って、演じて、ゲームして。歌は友だち。歌は心、歌は学び。


 ただ、楽曲自体が教育的目的のための特別なモノやゲームソングが主だったから、自分が好きな曲を好きなように歌う、というわけにもいかず。

 確かにそうやってみんなと歌う事はとても楽しいことだったけど、本当に自分が好きな音楽はそれらとは別にあったから、いつもどこか不完全燃焼気味だったかもしれない。

 ほんの時たま、その仲間たちで出かける飲み会のカラオケくらいが、好きな歌を歌える数少ない機会だった。


 あー、学生だったあのころみたいに好きなコーラスやポップソングを思いっきり、お腹の底から声出して歌いたいなあ~~!という欲求は、増え続ける日々のストレスを発散したい想いと共に増しこそすれ、減ることはなかった。

 それで、下の子が小学校とサッカーチームを卒業したとき、このタイミングを逃す手はないかも!と意を決しコーラスが出来る場所を探すことにした。


 でも、小さな我が町には思ったよりも選択肢が少なかった。


 練習日が自分の都合と合致する事が第一条件だったから、しばらく探してもヒットしたのは市民合唱団の1か所だけ。予備知識も無ければ知り合いもいない。ただ、誰も自分を知らない、ってことに逆に気楽さも感じた。


 迷うよりまずは動け!と意を決し見学願いの電話をした。少しばかり説明をきき印象も悪くなく条件も合いそうだとわかって、心はほぼ決まっていた。


 何事も、やってみなくちゃホントのところはどうせわからないんだし。やりたいと思った時にやれそうな出会いがそこにあったこと自体、何かの縁だ。

 そう思いつつ夜の練習見学に足を運んだ。


 その日のメンバーは総勢40人くらいだったろうか。還暦を越えるらしい方々が大多数、最年長の方は80代を軽く超えていた。そのなかでは ビックリ自分は最年少の部類だったのである。


 でも練習風景はかなり本格的で、歌声も痺れるくらいに素晴らしかった。最初はトリハダだった。皆さん物凄く熱心で歌が大好きで笑顔とエネルギーが溢れ、とてもあったかな雰囲気だった。

 その中に突然飛び込んできた私、何も勝手がわからない若輩モノ(相対的に)を、温かく迎え入れてくれた。

 入団を決意し、帰り際に申込書を貰ってつぎの練習から正式に参加することとなった。



 そんな具合だったので詳細は当然ながら入ってから知ったのだが、そこは毎年市民会館を借り切って定期公演を開催してる、そこそこ歴史ある合唱団だった。


 練習は基本週2回、水曜夜と土曜昼に2時間ずつ。夜は夕飯の支度を済ませて出掛けた。

 メンバーの皆さんとても和気あいあい。穏やかな方、物静かな方、愉快なかた。様々な社会的背景を持ちつつ、長いこと大好きな合唱に携わってきたという方が多かった。


 平均年齢がおそらく還暦かそれ以上だったから、毎回 練習会場の椅子を出すにしても「あらあらあら……」「よっこいしょ!」って感じの方が大勢。

 椅子を並べ終わってヤレヤレ、と座った途端に「うちの孫が…」「足が…」「腰が…」といった風でまあ、年齢相応の優しいおじいちゃまおばあちゃまの集まり、仲良しサロンのようだった。

 中には病み上がりの癌サバイバーの方や、下肢が不自由な車いすの方もいた。


 そこへ、指導の先生が譜面を持って現れ「さあ皆さん。始めましょう」と声がかかる。

 するとその途端、皆すっくと立ちあがり、サロンの様子は一変するのだ。


 タクトを真っ直ぐみつめて背筋をシャンと伸ばし、胸を張り、お腹の底から朗々と。余裕で建物の外まで響き渡るような声で、一斉に歌い出す。

 長くて難しい歌詞もしっかり身体で覚え、厳しい音程も難なくバッチリと歌いこなしてしまうのだった。


 何だよこれは…(;´∀`) 最初の頃は、そのあまりの豹変ぶりに思わず笑いが出てしまった。

 失礼ながら実年齢とは到底思えぬ若々しく熱意ある皆さんの歌声に、自分は圧倒されるばかり。ピアノも指導の先生も嫋やかで的確で笑顔が爽やかで、本当に音楽を楽しんでいる様子がとても素敵だった。

 

 重厚な4部混成合唱曲を主軸に、自主アレンジした歌謡曲とか童謡や唱歌、賛美歌など選曲は幅が広く工夫が凝らされていて、飽きることなく歌い続けることができた。

 途中参入した自分には追い付くのがタイヘンなことも多かったけど、そんな訳で練習自体はとても楽しかった。


 入ってからわかった、歌うだけじゃなく「えっこんなことも?」っていう戸惑いやカルチャーショック的なことも沢山あった。

 特にそれを感じたのは、団の運営や、独特な関係者間のお付き合いの事。


  入団前は、施設訪問とかイベントやコンクールの出場とかを予想しそれを期待もしていたんだけど、実際そういうのはほどんどなかった。

 活動の柱は年一回の定期公演。一年のうち、10カ月はそこに向けての練習に充てられていた。

 正月明けにその年のテーマを決めてメインの組曲などを選び、年間スケジュールを細かく組んで晩秋の定期公演を目指すのだった。


  最初の「えっ!」は入団して2ー3週間くらい経ってからの事。定演の衣装ドレスを作らねばならないことになったのだ。

 市販のものじゃないので、オーダーメイドのドレスだ。


 それも歌に合わせて何着か違う衣装が必要で、合わせた靴も。当然一度に全部作るなんてムリだから、まずは1着だけを作って、ほかのはお休みしている方のものを貸して貰うことになった。

 

  採寸して頂き後日仕上がってきたのは。デコルテを出しオーガンジーを沢山使った、なんとも優雅な紫色のロングドレスだった。

  毎日毎日ジーパンにTシャツスタイル、常に機能優先のアウトドアウェアがほとんどだった自分だから、こんなドレスを纏ってステージに立ち、人様の前で歌うなんて日が来ようとは夢にも思ってなかった 笑。


  けれども、実際公演で揃いのドレスとタキシードで堂々と歌うメンバーの方々は、キラキラ輝いていて実に美しかった。その笑顔には自信と歓びと充実感が漲っていた。

  人間好きなことでイキイキしてる時は年齢なんて全く関係ないな、滅茶苦茶カッコいいな!

 自分もいつまでもそうでありたい!とつくづく思った。


 年に一度の定期演奏会はもう、30年くらい続けているらしかった。内容も、市民合唱団を謳っているだけあって結構本格的なものだった。

 市民会館を一日借り切り、招待状(無料)で観客を呼ぶ。3部制のステージで各1時間ほど、トータルで3時間くらいになった。


 第1部は歌謡曲や唱歌のアレンジで自由度の高い曲目が多かった。


 第2部はゲストコーナー。

 重鎮のメンバーの方々や指導の先生のつてで、本格的なソプラノ・テノール歌手やピアノ、バイオリン等プロの演奏家さんを呼んだりしていたから、とてもお得感がある音楽ステージになった。


 第3部は混成合唱組曲。たしか4部構成くらいになっていて、最初から最後まで通すと3-40分くらいになったような記憶がある。

「蔵王」や「千曲川…」などだ。第1部とは衣装も変えて、満を持して臨む。


 この第3部ステージは気力体力知力、あらゆる面でハードな真剣勝負だった。私よりもずっと人生先輩の方々が渾身の力を込め、情感たっぷりに数十分間も立ち通しで心合わせて歌い続ける姿には、一緒に混じって歌っていても非常に大きな驚きと深い感動を覚えたものだ。


 そうして無事に公演が終了すると、その年のスケジュールは終わりとなる。

 その後は招待者やゲストにお礼状を出したり、打ち上げをかねたクリスマスパーティを行うのが習わしだった。



 定期的な練習以外にも、パートごとの自主練で集まったり公演が近づくと丸一日の強化練習をしたり。正月やクリスマス、七夕とか季節のイベントの時にはお茶会、パーティ、ゲームやプレゼント交換もあった。男性コーラスチームのメンバーさんが別働で出演してる公演に応援観覧に出かけたりも、よくあった。

 思いのほか年がら年中、コーラス関係の事で外出したり雑務を行うことが増えた。


 当然ながら、自主運営の組織だから沢山の役割分担があった。

 団長、副団長、会計係、楽譜係、会場係、通信係、お茶当番、パートリーダー、衣装係、等々


 ペーペーな自分は、2年目で通信係を任ぜられた。運営に関する書類を作ったり送付したり、公演の招待状を印刷したり、結構事務仕事は沢山だった。

 先輩に色々教えて頂きながら手探りでこなしていった。

 勝手がわかってきた翌年には、人手不足から兼任で案の定というか他の係も回ってきた。


 練習の傍ら、公演と運営に関わる雑務がどんどん増えて行き、徐々に歌うこと以外の負担が増していった。休日は常に外出、夜もあちらこちらの会合やコーラス練習と、ほとんど家に居られないような日々が続いて行った。

 公演前には知り合いに「おいで下さい」とノルマ分の招待状を出さねばならず、それもプレッシャーだった。そもそも、誰も自分を知らないから気楽に歌えていたのになあ……(笑)


 やがてそういった事務や雑務に忙殺されることに大きな負担を感じるようになり、当初考えていた歌を楽しむ、ってこととはかけ離れた精神状態に陥ってしまった。

 このまま続けて行ったらますます運営に引っ張られることになるのは、高齢化していく団のメンバーの方々を考えたら火を見るよりも明らかだった。

 のっぴきならない地域役の、宮当番から始まり数年間は続く奉仕役務が輪番で、来年からやって来る。

 最近義母も長男も体調が思わしくない事が増えており、夜間にあまりにも頻繁に家を空けることにも、気掛かりが増していた。


 だから練習に出席するたびにみんなから「よろしくね、頑張ってね」「よくやってくれて有難いわ」

「期待してるわ、若い方に任せたわ」と決まって言われることが、とても苦痛になっていった。

 やがて練習の日は胃がキリキリ痛むようになった。でも楽譜を配らないと。出欠簿を管理しないと。次の練習の為に内容を把握してないと…。

 あれをしなきゃ。こっちもやらなきゃ。帰ったらあーしてこーして……。


 あんなに楽しかったはずの「歌う事」が苦の源になっていった。好きで始めた事なのに、それ以外の事に縛られて思うように楽しめなくなっていく自分が、悲しかった。

 責任を負うと、周りの期待に応えようと無意識的に頑張ってしまう、助けて、無理、って言えずに抱え背負い込んでしまう。そんな自分の悪い癖だなとわかってもいたが、と言っていま途中で無責任に投げ出すわけにもいかない。

 ただ、歌いたかっただけなのになぁ(T_T)。

 練習会場に向かう心は日に日に重く、萎れて行った。


 これは、もう無理だなー。公演本番が近づくにつれて、その思いは強くなっていった。

 残念ではあったけど、家庭事情や自分のメンタルヘルスを考えたら団にこれ以上残る事は難しかった。

 忙しかったら来れるときだけでいいのよ、とも言って貰ったけれど、籍があれば必ず責務も発生してしまう。それをないがしろにして先輩方の言葉に甘えながら、後ろめたさを感じながら都合のいい時だけ参加する、みたいなことはしたくなかった。


 自分は、そういう在り方は望んでいなかった、少なくともこの合唱団に関しては。

 やるなら精一杯心置きなく取り組みたいし、そうできないならば別の道、別の場所を探そう。ここが世界の全てじゃないんだし。


 自分が期待してたものとは違う形で展開していく合唱団だったのだから、もうこれは仕方がない。自分にとってはご縁が浅かった、のだ。

 短い期間だったけれど、とても可愛がって貰い貴重な経験を沢山させて頂いた。音楽的な学びも、社会的な学びも凄く沢山。

 何より「自分の人生、もっと好きなことを楽しんでいいんだ。始めるに遅すぎること無し!」を身をもって示し教えてもらったことが一番、有難かった。


 感謝の気持ちは溢れる程ある。

 けれども、時間も有限、身体は一つだ。自分と家庭の優先順位を考えたら、此処は今、切るよりほかない。そう決心した。


 皆さんが口々に引き留めて下さったけれども、申し訳ない想いを引きずりつつ、3年目の秋に公演を終え年内の役目を終えたあと、家庭事情により当面お休み、という形で一線を引いた。

 その翌春、更新をせず退団とさせてもらった。


 ただ合唱が好きだから好きなように歌ってればいい、って訳じゃなかったのは、自分のリサーチも見通しも甘かったと言わざるを得ないだろう。

 でも、飛び込んでやってみるまでは 実際の所はわからなかったのも事実だと思う。



 その後。歌からは大分長いこと離れていたが、最近また歌う愉しさを思い出した。カラオケである。

 早朝の時間に行くとコーヒー一杯の価格で3時間とか格安、最新曲から懐メロまで選び放題、歌い放題。

 安近短の気楽さといろんな曲にチャレンジできる楽しさで、しばしば足を運ぶようになった。

 有酸素運動になり運動不足解消、だいすきなアーティストさんの映像に向き合って歌う愉しさでストレス発散。

 コーヒーも自宅で飲む以上に美味しい(笑)。一石が何鳥にもなる。心と体が潤う。

 やっぱり歌は、音楽はいい。


 カラオケ以外にも音楽に向き合う方法は沢山ある。大好きなアーティストさんの音楽を毎日毎日聴き倒し楽しませて貰えるのは本当に幸せ。

 ギターや他の楽器などもまたチャレンジしてみたいし、動画投稿や作詞とかもちょっと憧れがあったりする。


 黒柳さんがおっしゃってたように、何を始めるにも遅すぎることはないと思うから、機会を見つけてはいつも何かに挑戦しつづけていたい。


 そして、大好きな音楽と生涯 友でありたいと思っている。







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[一言] 私も音楽が好きです。 私はどちらかというと合唱よりひとりで歌うのが好きだったので笑、ひとりカラオケによく行っていました(*´ω`*) 昔まだひとりカラオケが主流じゃなかった頃、土曜日の朝にこ…
[良い点]  新着でタイトルを目にして拝読させていただきました。  私も合唱畑の人間で。共感しながら読み進めました。  舞台にあげて観てもらうことは、片手間でしてしまえばただの自己満足ですから。時間…
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