第3章49話 特位魔獣
「こちらもお願いがあります」
「……お願い?」
遡ること十数分前、パーシィに予見の巫女の保護を頼み込んだセレスは、交換条件という名目でパーシィのお願いを聞くことになった。
「今騎士庁本部は襲撃を受けている可能性があります。シャナレア様たちを、助けてあげてください。もし戦闘になれば、僕は役に立ちません。だから適材適所です」
真剣な顔のパーシィに、セレスは首を傾げた。本拠地は秘匿され、護衛もある程度ついており、風詠み全員が最低限の戦闘はできるはずだ。パーシィは過剰な心配性なのだろうと思いつつ、秘密の本部の位置も偶然知っていたセレスはそれを快諾した。
そして、その結果が、魔人との邂逅だった。
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さきほどまで、国の精鋭といえる風詠みでいっぱいだった会議室は、燃えて熱が籠っている。代わりに詰め込まれたのは列を成す魔獣で、その列の先には、踊り舞うが如く、魔獣を切り伏せる剣士が一人。
蜥蜴型の魔獣の群れが、陣形を組んで、新たな標的となった上位騎士セレスの命を刈り取らんと舌なめずりをする。
蜥蜴たちが一斉に攻撃を仕掛ける。隙のない連携で、どれかの個体が致命的な反撃をお受けても、そのとき別の個体が背後から致命傷を与える。彼らの狩りはそういうものだった。
最小限の目の動きで、全体を見やったセレスの行動は早かった。
「そぉっ、れッ!」
正面の蜥蜴を迎え撃つために、唯一持っていた細剣を投げつけ、魔核を砕く。それとほぼ同時に振り返り、背後に迫っていた蜥蜴の横っ面を殴る。横転した蜥蜴の魔核を踵で踏み潰すと、大きな体が灰になって崩れた。たじろぐ残りの蜥蜴の脇を抜け、投げた剣を拾うと、更に次々と魔獣を切り倒していく。
「……っ」
セレスが深く息をついて顔を上げると、魔人クォーツは無表情でこちらに目を向けていた。
「そんなに見つめられても嬉しくないけど?」
「可哀想に。行儀の悪い子供は魔獣の餌になると教わらなかったみたいだね」
安い挑発を吹っ掛けたセレス。それで、少しでも顔色を変えてくれれば、向こうの調子が崩れていると知れれば、勝ち筋への一片へとなり得たかもしれない。しかし、クォーツの優位は崩れていない。それは彼女の表情が証明していた。
魔人の背後でまたしても炎が上がった。セレスの背丈より大きな翼を広げ、煌々とした死の輝きを放つ。それはこの部屋で大量虐殺を行った炎の鳥だ。
「燐鳥……」
セレスはその魔獣の名称を口にし、剣を構える。その敵意に反応した燐鳥が羽ばたいて、灼熱と火の粉を辺りに撒き散らす。
生み出された熱は室内でうねるような空気の流れを生み、無差別に爆発する火の粉を遠くへ運び、広い範囲で深刻な破壊をもたらす。
セレスは後方にいるシャナレアが、自衛と回復に務めているのを見ると、足に魔力を流した。驚異的な脚力で燐鳥との距離をあっという間に詰めると、その炎の体を素通りしてその後方に駆け抜けた。セレスが向かったのは、入り口に程近い場所だ。
「……チっ」
クォーツが小さく舌打ちをした。所詮、上位騎士。そうたかを括っていたクォーツは、セレスの評価を改めた。あの迷いのない行動は、対処法を知っているからこそできる動きだ。
燐鳥は、その被害の大きさと、討伐の難易度から準特位魔獣という位付けをされており、討伐事例も極めて少ない魔獣であった。
先ほどの熱風と火の粉の合わせ技や、自身を複数に分裂させる能力を持ち、なによりも厄介なのは、その炎の体はいかなる攻撃も通用しないことだろう。
無敵の魔獣と思える燐鳥には、明確な弱点があった。正体といったほうが適切かもしれない。燐鳥と思っていた炎の鳥は、魔獣が操る高度な火属性の魔法であり、その本体は、芋虫のように不格好なネズミなのだ。
ネズミの魔獣は炎の鳥から離れることができず、一定の距離の場所に潜伏していることが多い。そして、魔力に敏感なものが見れば、その痕跡を一発で辿ることができる。
「そこぉおッ!」
セレスの鋭い突きが石の床を貫くと「ぷぎゃっ」と奇妙な悲鳴が漏れ、背後から業火の気配が消えた。
安堵の息をつく暇はない。即座に踵を返し、クォーツの首に目掛けて一閃を放つ。クォーツは呆れたようなため息を吐きながら、軽快に躱す。
「あーあ、秘蔵っ子だったのに。あんなにあっさり殺しちゃって、可哀想な燐鳥だこと」
「憐れむんだったら、すぐに後を追ったらいいじゃない!」
「それにしても、セレスちゃんと言ったっけ。随分と魔獣に詳しいね。あれはこの国に生息していないというのに」
「お褒めに預かっても気分最悪。吐き気がしてきちゃうわ」
「君のことが気になってきたよ。殺さないで私の愛玩動物にしよう」
鋭い攻撃を翻すように避け切ったクォーツが後方に飛び退くと、禍々しい存在感を放つ何かを懐から取り出した。
「特位魔獣って知ってる?」
クォーツの出し抜けな質問にセレスは押し黙る。その手にあるものは唯の土くれのようだった。しかし、その所在を如何にするかで、セレスの命は瞬く間に蒸発する予感がしていた。
「特位魔獣。別名を指定十冠魔。」
クォーツは僅かに頬を赤らめながら、手にある土くれをじっとりとみる。
「灰より出でて灰に帰す魔獣たち。かつて、そんな魔獣の頂点に君臨した存在『石灰の王』は、神話の時代に人類を絶滅寸前まで追い詰めた。結局はソニレの祖王に滅ぼされ封印されてしまったんだけどね。だけどまだ、その神話の怪物が直接形作った魔獣がいた。それが指定十冠魔。神秘を宿した高純度の恐怖の化身であり畏怖の偶像」
「まさか、それが……」
「ご名答。後学のためだ。存分に味あわせあげよう」
そう口にしたクォーツは鷹揚な動作で、手にした土くれを放り投げた。空中で静止したそれは、瞬きの間に質量を何十倍にも増加させた。背丈は二倍を優に超えた怪物は、裂けたような巨大な口に、残酷なまでに鋭利な牙を晒している白い狼だった。
四つの足には引きちぎられた鎖を引きずり、貫くような視線はセレスを貫くようだった。
「ニアフェンリル。由緒ある神獣だ」




