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第3章48話 風前の灯

 一番初めに現れた母胎樹が討伐された報せが風詠み全員に行き渡った頃だ。


 会議室に集った風詠み全員が顔色を良くして、隣にいる同僚と肩を叩き合っていた。これまでで最も苛烈な戦争になると、かねてから言われており、実際に母胎樹三体という例を見ない規模の戦いになると、全員が覚悟をしていた。

 しかし、開戦後ものの数分で、最大の脅威の三分の一を削ることができたのだ。幸先のいい出だしに、誰もがこの先も着実に勝利に近づけると確信し、シャナレアでさえ表情を和らげていた。


 ほんの少し緩んだ緊張をすぐに引き締めた風詠みたちが、またすぐに情報のやり取りに集中し始めた時だ。

 会議室の唯一の扉が、ゆっくりと開いた。

 大半の風詠みは、部屋に訪れた人物を気にすることはなく、シャナレアを含めた数名だけが、そちらの方向に目をやった。


 誰も見覚えのない女性だった。そしてほぼ全員の風詠みがその正体を知ることなく焼死した。


「やあやあ、こんなところに隠れていたんだねぇ」


 炎が起こったのは、本当に唐突だった。

 脱力して立っている女性の背後に、唐突に炎の柱があがった。炎はそのまま三つに分裂し、それぞれの方向に飛び上がると、並んでいた風詠みたちを悉く燃やして行った。


 次々に風読みたちの悲鳴が上がり、会議室の中にこだまする。

 それが炎の体をもった魔獣であると即座に見抜いたシャナレアは、同時に気づいた。自分の胸が背後から透明な刃で貫かれている。


「かはっ……」


 口から血が溢れかえると同時に、背後に風の刃を展開すると、バラバラになった緑色の魔獣が地面に落下した。

 体を透明にする魔獣の残骸が灰になるのを横目で見て、顔を上げる。その視線の先にはこの惨状のきっかけとなった者が笑みを浮かべて立っている。

 一度発した声から、その正体に見当はついていた。


「『契約』の魔人クォーツ……!」


「ああ、怖い怖い。死に体なんだから、もっとゆっくり走馬灯でも見ていればいいものを。よくもそんな恐ろしい顔ができるね。流石はシャナレア・ワンズ局長だ。……ああ、今は情報本部長だったね」


 つんざくような悲鳴の雨の中、禍々しく人間らしさを感じない爬虫類のような笑みの魔人を前に、シャナレアは強く奥歯を噛んだ。外見を見るのは初めてだったが、その邪悪さに満ちた声は何度も聞いた。

 全ての元凶であり、シャナレアの愛する人を奪った憎き仇。そして、全人類の敵。そんな魔人を前にしたシャナレアは、怒りに任せて魔力を絞り出し、風が唸るように空間もろともクォーツを引き裂かんとする。

 しかしクォーツはこちらを見下しきった顔を変えずに、手を軽く払う素振りをすると、シャナレアの風魔法が跡形もなくなった。


「シャナレア本部長ともあろうものが怒りに身を任せては、みっともないとは思わないの?」


「どうして、この場所を……!?」


 懐に忍ばせていた神聖属性の魔石と、風魔法を組み合わせた応急処置を施したシャナレアが、細々と口にする。 

 悲鳴が収まった室内には、代わりに肉の焦げ付く匂いが充満していた。


 騎士庁本部は、その所在を公には明かしていなかった。それは王都の有事や他国からのスパイへの対策であり、警備兵もこの場所が重要施設ではあることしか知らされていない。だというのにクォーツは当然のような顔で本部に立ち入ったのだ。


 その異常事態に、シャナレアは会話で気を引きつつ外に出向いている風詠みとの情報共有を試みる。

 既に保存してある自分の声の振動パターンを組み合わせ、実際に口に出さなくても音を相手側に伝えるというシャナレアの離れ業を用いた隠密時の伝達方法。しかし、他の風詠みと音が接続したときに、更なる異変が起きていることに気づく。


 届く声の向こう側で、別の場所にいる風詠みたちが皆同じような悲鳴を上げている。


「一体、どうして……?」


「それは私がこの場所を突き止めたことに対して? それとも、全ての風詠みが同時に襲撃されていることに対して?」


 クォーツの言葉に、シャナレアは背筋が粟立った。

 全ての風詠みが同時に襲撃を受けている。想定をあまりに凌駕した最悪の事態は、地獄絵図とかしたこの場所に騎士が救援に来てくれる可能性がなくなったことを意味した。

 いたぶる様に質問を質問で返す様は、シャナレアをいたぶるようだった。クォーツは唇に指を添えて「どちらにせよ、答えは同じだけどね」と口にした。


「フフフ、私とリベリオの逢瀬に水を差したんだ。その報いだよ」


「まさか……、あのときの私の風魔法に気づいていたの?!」


 関係のないと思えるクォーツの言葉に、シャナレアはすぐにそこにあった意味を拾い上げた。

 それは、三カ月前の戦争において、幕引きとなった戦いだ。テルとティヴァを戦線から逃がしたリベリオとクォーツの一騎打ちの戦いだった。結果はリベリオの毒死で決着となったが、その間に交わされた会話は、リベリオについていた『風印』で傍聴されており、今後の対魔獣・魔人において大きな価値があった。


 当然それらは、敵に知られているはずがなかった。死を悟ったリベリオの冥途の土産として話された内容もあったからだ。魔人側からしても重要な内容を、盗聴されていると知っているのに、わざわざひけらかすはずがない。


「だからわざわざ無駄話に付き合ってあげたんだよ。そうでなかったら、こちらの事情を開示するわけがない」


 火に照らされた魔人の顔が揺らめく。

 風魔法の解析時間を作るために泳がされていたのだ。全ては、風詠みの居場所を明らかにし、徹底的に抹殺するため。


 逆探知という言葉はこの世界には存在しないが、理屈としてはまさにそれだろう。


「この国の兵士は、統一感がないくせに連携が取れていた。それがほんとうに煩わしかったから、こうしてその核を潰しに来たんだよ」


「母胎樹は陽動……」


「そのとおり。あらかじめ絶対にここに配置するって決めていたんだ。そうすれば予見も確定するでしょ。まあ、今代の予見の巫女はかなりの愚図のようだけどね」


 肩を竦めるとクォーツの目は、シャナレアの視線と交わらない。先ほどから一度もクォーツから視線がぶれていなかったシャナレアだったが、今視界にあるのは底のない(うろ)だった。


 全てが無駄だった。

 妙に過去の出来事が脳裏をフラッシュバックし、現状がそれらを悉く否定していく。あの日、尊厳のために逃げ出したことも、老人を殺したことも、リベリオとの再会も、今日までの頑張りが、人生全てが、意味を無くしていく。


「じゃ、お疲れ様」


 ゆっくりと歩み寄ったクォーツとシャナレアの間に、邪魔をするものは何もない。

 もはや生きる気力が尽きかけていたシャナレアは、傷を塞いでいた風魔法もほつれ、口からじわりと血が溢れている。そんな消えかけの命を確実に奪うために、クォーツはその手をシャナレアに向けた。


 複数の魔獣を掌で圧縮、反発させて、意志を持った質量を高速で打ち出す単純かつ殺傷力の高い、異能の応用。


「『混沌浄土(カオスフレーム)』」

 

 掌に乗るサイズの玉は、魔獣の核のようだったが、その密度は比べ物にならないほど高い。凝縮された球体は、直後、指向性をもって爆発的に膨張した。花のように開いた魔獣の肉が、鉤爪、牙、鱗、角、鋏、禍々さで彩られた凶器たちが一斉にシャナレアに向けられる。


 細切れになった肉片が辺りに飛び散った。


「ぇ……」


 飛び散った体液の飛沫が頬についたシャナレアは、思わず口を引きつらせ、短い悲鳴を出した。

 シャナレアの前に飛び込んだ人物が、圧縮された魔獣を全て切り伏せたのだ。


「生き残りがいたんだ。でも君、誰?」


 声の調子を変えず、しかし表情の冷酷さを増したクォーツが尋ねた。

 剣に付いた血と体液を、一振りで振り落とすと、その切っ先を魔人に向ける。


「上位騎士セレス・アメリッド。それ以上、語る言葉はないわ」


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