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第3章46話 シャナレア・ワンズ③

 シャナレアの貼り紙が王都中に張られてから三日が経った。

 張り紙は肖像付きで、大衆に顔が知られてしまったシャナレアは、あの日以降家の外を一歩も出ることができなくなっていた。


 リベリオとアンドレアは、正体を知ったときシャナレアの思っていたほど驚くことはなかった。家出の事情を大まかに話すと、それ以上追及することはなく、リベリオは「追い出しやしねえよ」と言ってくれた。


 一カ月以上経った今になって、あんな張り紙が出た理由には見当がついていた。

 親たちが勝手に取り決めた婚姻の日が近づいているか、老人貴族に事態がバレて、こそこそ探す理由を失ったかのどちらかだろう。

 どちらにせよ、一定の期間逃げ切れば、シャナレアは事実上自由になれるのだろうと踏んでいた。


 老人の関心が、シャナレアから逸れてしまえば、それ以上逃げ回る必要はなくなるのだ。今大きく関心を示している分、火が弱まるのも早いはずだ。

 シャナレアは恐怖と焦りでどうにかなりそうな心を、気丈に振る舞った理性でなんとか誤魔化していた。


 

 少しの間、家から出られないだけ。そう心の中で何度も唱えた。しかし、事態は悪い方向に転がっていた。

 先日の、リベリオたちと酒場に行ったとき、店主がそのときいたシャナレアの顔を覚えていたのだ。

 子供が酒屋にいるという珍しい状況で印象づいていたのだろう。また、リベリオも若くして準特位騎士になった有名人であった結果、その店主が情報の源流となり、多くの人が金貨三枚欲しさにリベリオの家に迫るようになった。


 初めの頃は、不埒な連中を鉄拳制裁をもって追い払っていたが、その過剰ともいえる対処法は、逆に噂話を勢いづけた。シャナレアが追い払った娼婦のなかにも密告者がいたのかもしれない。こうして、日に日にリベリオの家に押し掛ける人は増えて行った。



「何よ、あの耄碌ジジイ! リベリオに接近禁止ですって、どうして私が指図されなきゃいけないわけ?!」 


 捜索依頼の張り紙は、様々な場所に影響を与えていた。

 リベリオの家に頻繁に出入りするアンドレアは、そのせいで、アンドレアの娼館に、沢山の捜索者が訪れた。迷惑を被った娼館のオーナーは、そのことを理由にアンドレアに小言をぶつけたようだった。


 頑なに拒絶していたリベリオから、話を聞き出すことを諦めた者は、騎士庁や同僚に迷惑が及び、何故かリベリオが懲戒停職を食らうことになった。


『俺は、特位騎士にならなくちゃいけないんだ』


 リベリオが言っていたことを思い出す。ふとした会話のさなかに漏らした、本音に近い言葉だった。

 そのときのシャナレアは、リベリオの夢を共に叶えたいと、ひっそりと心を熱くした。しかし、今はどうだ。仕事を禁止されたリベリオは、まさしく自分のせいで夢から遠ざけられているではないか。

 

 シャナレアは、リベリオを愛していた。

 だから、自分がリベリオの足枷になっているのを見ていられなかった。


「リベリオ、私—————」


「そろそろ引っ越すか。この部屋、もともと狭かったしな」


「……え?」


 私、実家に帰るよ。そう打ち明けようとしたシャナレアを封じるように、リベリオが言った。


「引っ越すって、一体どこへ……?」


「魔獣発生の前線……そうだな、コーレル地方なんかいいかもしれない」


「……それって」


 何もない場所に何かがあるかもしれないと己への慰めのような瞳を、頬杖を突きながら、何度か黄色の瞳を瞬かせたリベリオ。シャナレアはその言葉を鵜呑みにできるほど馬鹿にはなれなかった。


「別に左遷ってわけじゃねえよ。王都の貴族や官僚どもの権力争いは、そりに合わないってだけだ」


 リベリオの言葉には嘘はなかったかもしれないが、全て真実とも思えなかった。少なからず、移転を考える要因の一つにシャナレアはあったのだと確信する。


「どうして? 庇う理由なんてないよ。今の私は足枷にしかなってない。私の事なんて放っておいて、本当に大事なものを優先するべきだよ……!」


 貴族の世界に戻るのは、心の底から嫌だった。しかし、そんな自分の好き嫌いなんてどうでもよくなってしまえるほど、リベリオを愛していたのだと、このときシャナレアは自覚した。

 リベリオには夢を叶えて欲しかった。例えそのときに自分は最悪世界にいたとしても、今日までに知った幸せを自分の心の隅に住まわせていれば、地獄のような日々も乗り越えられるのだと、そのときのシャナレアは強く信じていた。


 リベリオは泣きじゃくるシャナレアの頭にごつごつした温かい手を乗せた。 


「お前が好きになった男は、お前が思っているよりいい男だったってことだよ」


 慈愛に満ちた目で、そんな言葉を貰ってしまったシャナレアは、何も言えなくなってしまった。こんなに嬉しい気持ちになったのは生まれて初めてだった。


「一週間後にはここを発つ。アンドレアも声を掛ければ勝手についてくるだろう。ああ見えてあいつの実家は太いし、相当金を貯めこんでる。向こうで一人で生きていくだけの力はあるさ」


 リベリオはそう言って、自分の荷物を整理し始めた。リベリオが進んで片づけをする姿をこのとき初めて見た。シャナレアも、同じように自分の荷物を纏めると、それら全てがここに来てから貰ったものばかりだと気づいて、またぽつりぽつりと涙がこぼれた。


 その日のうちにやってきたアンドレアも、案の定、「リベリオの行く場所ならどこへでもついていく」と豪語した。娼館の主人との折り合いが悪く、よいきっかけになったと笑っており、徐々にコーレル地方への転居が、具体的な姿を見せていた。


 シャナレアは、当然引っ越しというものが初めてだったため、心躍るような気持ちだった。これから描かれる未来に思いを馳せると、自然と頬が緩んだ。




 ――・――・――・――


 


 翌日早朝、雨が屋根を強く叩く音で目を覚ましたリベリオは、いつも以上にすっきりとした家の中に、新鮮さと寂寥感を覚えていた。


 ふと、テーブルに置いてある紙が目についた。昨日はあんなものは置いてなかったはずだった。そんな記憶を辿りながら、紙を手に取る。


 綺麗に折りたたまれた淡い色の模様が入った紙には、美しい文字で短い文章がつづられていた。



【また逢う日を願って、これからもずっとあなただけを愛し続けます。】



 静かな部屋には、一人分の息遣いだけがあった。そんな音も、リベリオが抑えきれずにこぼした独り言も、雨は全てをかき消してしまった。


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