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第3章45話 シャナレア・ワンズ②

 リベリオの家に連れられたシャナレアは、風呂に入れられた。拒絶すれば、無理矢理服を剥ぎ取られ、体を洗われると思い、素直に従った。

 風呂場から出ると、テーブルに食事が並んでいた。


 シャナレアは改めて、リベリオの部屋を見渡すと違和感を覚えた。部屋に着くや否や、外套を投げ捨て、荷物を玄関の上に積んでいた。

 しかし、部屋全体を見渡すと、ほとんどのものが綺麗に片付いており、洗濯物もベランダで翻っている。食事も、バランスが考えられたものが多く、風呂に入っていた間に用意できる品数ではなかった。


 先ほどの女と近しい関係の誰かが、リベリオの世話をしているのだろう。おおよそのリベリオの生活能力を測ったシャナレアが席に着くと、リベリオは祈りを済ませて食事を始めた。


「ぼおっとしてないで食えよ」


 しばらくたっても手を付けないシャナレアに、リベリオは視線を向けず、口も食べ物を含んだまま言った。


「どうして……」


「あ?」


「どうしてこんな……」


 続く言葉に迷った。

 親切なのか。気遣いなのか。はたまた、お節介なのか。何故、こんな無駄なことをするのか。

 結局、シャナレアが悩ませている間に、きっぱりとリベリオが答えた。


「俺には嫌いなガキが二種類いる。一つ目は、自分一人で生きていけますって顔してるガキだ。世の中を知らなさすぎて、見てるこっちが恥ずかしい」


 そう言って、リベリオはこちらを指さした。そして「二つ目は」といって、指をぐるりと回し、もう一度シャナレアに向けた。


「もう死んでもいいみたいな顔してるガキだ。だから俺は、そんな気に食わないガキを改心させたくなった。以上。食え」


 中断していた食事を再開するリベリオが、食事中にシャナレアを見たのは、この時だけだった。

 他者への無償の優しさなど、それだけで褒められるような善行だ。なのに、どうしてこの人は、それを自分の不機嫌を繋ぎ合わせなくてはいけないのだろう。もしかしたら人に施しを与えているつもりが、このリベリオという男にはないのかもしれない。


 シャナレアは、そんな不可解な男をまじまじと見ながら、男のために作られたであろう食事を口に運んだ。




――・――・――・――




「よし、結婚しよう」


「何が、よし、だ。するわけねえだろ」


 リベリオが仕事から帰り、二人で夕飯を食べているさなか、シャナレアは一世一代のプロポーズを、一蹴された。これで13回目のプロポーズだったが、何度やっても一世一代であることに変わりはない。


 シャナレアがリベリオの家に転がり込んでから既に一カ月が経過していた。家では特にすることがなく、私生活のだらしないリベリオに変わって家事全般をこなしたり、たまに押し掛けてくるリベリオに惚れた娼婦を追い返したりで、それなりに充実した日々を過ごしていた。


 既に家を捨てたつもりでいたシャナレアは、このままリベリオに縋りつくために結婚でもしてしまおう、と打算的な好意をリベリオに抱くことにした。しかし、同じ屋根の下、偽物の気持ちが本物の初恋として昇華されるのに、それほど時間はかからなかった。


 当時、十一歳になろうとしていたシャナレアが、二十四歳の大人の男に憧れを抱くのは、それほど不自然なことではなかった。

 いい加減で大雑把なところも、大人のリベリオが自分だけに見せる隙のように思えたし、口が悪く性根が腐っていると自称しているが、その実、思慮深く、人が本当に嫌がることはしないとシャナレアは知っていた。それに、自分の身の上話を嫌がる様はミステリアスな魅力があり、なによりも顔が好みだった。


 リベリオも、シャナレアが居場所をつくるために言い寄られていたという認識があった。

 自棄に近いその行動を咎めることなく、当たり障りない対応をしていたが、本格的に熱を上げていることに気づくのが遅れてしまったせいで、事あるごとに求婚されるという日常ができあがっていた。




「あなた自分の家はないわけ?」


「ここはシャナの家でもないでしょ」


 居座る期間が長くなるにつれて、知り合いも増えた。といっても、ほとんどはリベリオを付け狙う娼婦たちだった。

 シャナレアが皮肉っぽく攻め立てたのは、特に関わる機会が多いアンドレアという娼婦だった。意地悪なときと優しいときの高低差が激しい人で、一人のシャナレアにお菓子を買って来てくれることもあれば、髪を引っ張り合う喧嘩をしたこともあった。アンドレアとリベリオの間には、友人のような空気感があり、シャナレアはそれがうらやましくなることが何度もあった。


「あんた、引きこもってばっかりだと体壊すわよ。たまには外に出たらどう?」


 シャナレアは、自分が貴族の娘であり、貴族故の宿命が嫌になって逃げだしたことを、誰にも伝えたことがなかった。少なくてともアンドレアとリベリオは、無意識にでる作法や身体の健康さから、シャナレアに只ならぬ事情があるとこを見越していたのだが。


「面倒なだけ。用事があれば私だって外出する」


「ふうん、じゃあ今日はリベリオに駄々をこねて外食でも行きましょうよ」


 外食という言葉に、シャナレアは目を輝かせた。家にはお抱えの料理人がいて、毎日美味しい料理を食べていたが、それにも食傷を起こしていた。

 アンドレアは、シャナレアの子供っぽい反応を揶揄って、「露骨に喜んじゃって、お子様なんだから」肩を竦めた。


 帰ってきてリベリオも外食に反対せず、そのまま外に出かける。シャナレアは居候の間、家の追手を恐れて家から出ないようにしていた。しかし、久々の外にも特に清々しさを覚えることもなかった。ただ、初めて行く大衆食堂が新鮮で心を躍らせた。



「ねえ、リベリオ。ちょっと飲んでこうよ」


「ああ? まあ、別にいいか。明日は休みだし」


 食事が終わり、家に向かう途中、アンドレアが艶っぽい声でリベリオの腕にもたれかかるように言った。

 「やった」とあざとく喜ぶと、こちらに目をやり、「ほら、ここからは大人の時間だから、シャナは先に帰ってなさい」と追い払うように手を振った。


「やだ。私も行く」


 対抗するように反対側のリベリオの腕にしがみつく。

 見飽きた小競り合いにリベリオは面倒臭そうに二人の手を振り解くと、呆れたようにため息を吐いた。


「リベリオ、何か言ってやってよ」


「別にシャナの好きにさせればいいだろ」


「えぇ!?」


「わーい、やったね!」


 口をあんぐりと開けるアンドレアに、勝ち誇るように過剰に喜んで見せるシャナレア。そんな二人を脇目に、リベリオはゆっくりと次の店に向かった。



 リベリオの家にほど近い酒場は、近隣の住民がよく訪れる酒場だった。初めて酒屋に訪れたシャナレアは大人だらけの空間に、初めは只ならぬ緊張を覚えていたが、誰もが機嫌よく酒を飲んでいる雰囲気に、いつの間にか自分も楽しんでいた。


「ほらあ、リベリオぜんぜんのんでないよお」

 

「お前が飲み過ぎだよ。しっかりしてくれよ」


 一気に数杯、酒を流し込んだアンドレアが、狙っていたかのようにリベリオに寄りかかる。


「わあ、アンドレアずるいぃ。わたしもぉ結婚してえ」


「しねえっての!」


 しかし、シャナレアも負けていなかった。お酒とともに歓談する二人を羨んだシャナレアは、こっそり目が離されたリベリオのグラスを仰ぎ、すっかりとできあがっていた。


「何でしないの! 熟女趣味?!」


「うそつけぇ、リベリオ前まで年下ばっかりぃ————いぎゃ!」


「お前、そろそろいい加減にしろよ」


 もともと遠慮を控えめにもうアプローチをかけていたシャナレアだったが、いまではブレーキが完全に壊れてしまっていた。さらに酷いアンドレアは見境がなく、過去の趣味を赤裸々にしようとしたところで、リベリオのデコピンが炸裂した。


「じゃあ教えてよお、リベリオの好み」


「うるせぇ、もう帰るぞ」


「やだやだやだ。教えて貰えるまで帰らないっ」


「ちっ」


 テーブルに張り付いたシャナレアに、リベリオは舌打ちをしてあげていた腰を下ろした。水を飲んだアンドレアは、眠そうに頬杖をついていたが、視線がリベリオが口を開くのを待っていた。


 リベリオは、上目遣いでこちらを見やるシャナレアに頭を抱えた。

 やがて、腹をくくってリベリオは、女二人の要求に白旗を上げたように椅子にもたれ、わずかに考え込んでから口を開いた。


「美人だったりスタイルが良かったり家柄が良かったり、そういうのも当然好きだが。そうだな……俺と対等な関係でいてくれる相手がいい」


「対等?」


 シャナレアが聞き返し、リベリオが「ああ」とぶっきらぼうに頷いた。


「戦っているときに、後ろにそいつがいると心強くなれるような、そいつを守るために俺も強くあれるような、そんな人が俺の好みだよ」


 どこにも視線を向けず淡々と答えたリベリオに、シャナレアは違和感を抱いた。今の言葉には、シャナレアが今まで感じたことのないような、熱が込められていた。それは過去を懐かしむようなこそばゆさと、悔恨を分厚く塗りつぶしたような諦めがあった。


 そしてシャナレアはすぐに理解した。昔の女の話をしているのだと。


「あんた、それ……」


「ほら、話したんだからもういくぞ」


 立ち上がったリベリオに、アンドレアも声の調子を落としながら椅子を立つ。


 シャナレアは、しばらく呆然と座ったままだったが、はっと我に返ると、顔を真っ赤にして立ち上がった。


「あっそ! 別に、何も気にしてないけど!」


 ずかずかと大股であるくシャナレアは、先に立ち上がった二人よりも先に外に出た。ひとりでに怒り出したシャナレアに、アンドレアが肩を竦める。


「あーあ、怒っちゃった。昔の女の話なんかするから」


「うっせえ、さっさと自分の家に帰れ」


 そんな会話をする二人を突き放すようにシャナレアは急ぎ足で、それでいて走らぬように家に向かっていた。

 リベリオは絶対に待ってあげないし、帰ったらこっそりタンスにしまっていたお酒も勝手に頂戴してしまおう。

 そんな風に、怒りのやり場を探っていたシャナレアは、ふと静けさに気づき、足を止めた。


 夜に覆いかぶさられた王都が、人々を巻き添えにして眠っている。

 いつも家の中からでさえ聞こえていた王都の喧騒が、夜になるとこんなに静かになる。そんなことは当たり前のことだと知っていたが、身を以て体験をすると、知らない世界に迷い込んだような心地だった。


「おい、なにやってんだよ」


「リベリオ……」


 小走りで追ってくるリベリオに呼ばれて、はっとするシャナレア。既にさきほどの怒りは抜け落ちていてた。


「夜の王都って、こんなに素敵なんだね」


 今生まれた新鮮な発見をリベリオに共有したいという欲求が先走った。普段から結婚だなんて言っている癖に、ふと生まれた自分の感動を打ち明けたことが、無性に照れくさくなった。


「……たしかに、そうだな。慣れると忘れてくるが、夜の街は心地がいい」


「……!」


 シャナレアは、そんな剥き出しの感動は、きっと揶揄われたり一蹴されてしまうのだろうと身構えていた。しかし、リベリオから帰ってきた純粋な共感は、シャナレアの心を耐えられない程に熱くした。


「私、やっぱりリベリオが好き」


 背伸びをしても、まるで届かない体でリベリオを抱きしめる。肩に手をまわしたかったが、届いたのはせいぜい脇の下くらいだった。少しだけ驚いたリベリオは、小さく息を吐き、シャナレアの頭に手を乗せた。


「俺は碌な人間じゃない。今だって、こんな曖昧な返事をしているのがその証拠だ。このままじゃシャナは、報われないし幸せにならない。だから、やめたほうがいい」


 言い聞かせるようなリベリオに、シャナレアは「嘘つき!」と叫んだ。それほど街に響き渡らなかったのは、顔をリベリオの胸に押し付けていたからだった。


「私、今、すっごく幸せだもん! だからやめたくない!」


「……なら何も言わないさ」


 リベリオの悲しげな声に、シャナレアは顔を上げることができなかった。

 きっとリベリオには、誰にも話していないような秘密を持っていて、常にその影を引きずっている。今の言葉も、そんな影がリベリオを悲しくさせたのだろう。

 シャナレアは胸が痛くなった。一体、何が愛する人を傷つけるのか。どうすれば、その痛みを取り除けるのか。きっと今のままでは、どれだけ考えても方法が見つからないことだけはわかる。


さっきのリベリオが言っていたように、対等な関係になることができたら、その胸の内を曝け出してくれるだろうか。 


 そんな思いを秘め、シャナレアはリベリオとともに家路につく。


「また一緒に出掛けようね」


「……まあな」


 その全てを打ち明けてくれる日が来なくても、今日のように少しずつ、何かを分かち合えれば、いずれ氷に閉ざされたリベリオの本心が垣間見えるかもしれない。その提案に、リベリオは曖昧な返事をした。シャナレアは、このときだけは、その返事で満足した。



 翌日、とある張り紙が町中に撒かれた。


 それは金貨三枚という目を見張るような報酬金で、行方不明の貴族令嬢のシャナレアの捜索を依頼するものだった。


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