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第3章44話 シャナレア・ワンズ①

 シャナレアは貴族の末子として生を受けた。


 六番区に屋敷を構える家は、シャナレアの二代前、つまり祖父の代に成り上がり、平民から上級貴族の地位まで駆け上がったという。ほとんどの貴族はもっと昔からずっと貴族で、既得権益を長く保ち、それ以上金儲けの裾野を伸ばしたり、危険な賭けにでることなくその地位を保ち続けていた。そのため、孫の代のシャナレアから見ても、周囲の貴族からは奇異の目で見られていた。


 シャナレアは祖父の顔を、大きな肖像画でしか見たことがなく、その顔を見ると一代で富を築き上げたという、一族の自慢話がセットで思い出された。祖父はそれほどに仕事ができて、そんな家に生まれた自分は幸せなのだと、小さいころのシャナレアは信じ込んでいた。


 許嫁の話が舞い込んだのは、シャナレアが十一歳のときだった。

 初めは驚いて精神的に受け入れるのが難しかったが、父が「シャナは貴族だから、貴族としての使命を果たすんだ」と優しく頭を撫でた。そのときは貴族の使命という意味はわからなかったが、いっちょ前に誇りを持っていたシャナレアは、我儘を簡単に押し殺した。


 翌週、その許嫁との顔合わせの食事会があった。そこでシャナレアは、自分の許嫁が、六十を超えた老人であることを知った。


 顔合わせといいつつも、既に入籍と式の日取りを、大人の男たちは話あっていた。そんな会話の節々に「例の件は、どうぞよろしくおねがいします」と父が頼み込むように言っていた。思い返してみれば、父は老人貴族にずっと媚びを売るような態度をしていた。


老人は、一度だけシャナレアに近づき、品定めをするような目つきをこちらに向けた。どうやらお眼鏡に叶ったようで、口角を上げた。胃で消化し損ねた食べ物と加齢臭の混ざった、不快な臭いが口の中から漂ってきて、そんな汚らわしいものの結晶のような唾液が口端に溜まっていた。



家に帰ると、シャナレアは父親に気持ちを全て打ち明けた。「あんなおじいさんとは結婚したくない。お願いだから考えなおしてほしい」と。父と母は、シャナレアにずっと優しかった。欲しいものは大抵与えてくれて、マナーなどは厳しかったが、それも全て自分のためだと教えてくれた。

 しかし、そのときの両親は、シャナレアの味方にはならなかった。

父は恐ろしい剣幕で、何も言わずにシャナレアの首を絞めた。それから、顔に傷がつくと都合が悪いのか、腹部に蹴りを入れた。母はそんな父を止めることなくヒステリックに騒いだ。まるでそれが親不孝の極致と言わんばかりの発狂だった。


 両親は、あきらかに様子がおかしかった。しかし、それが全くの別人になってしまったとは思えず、今まで両親の本質から目を背けていただけなのだと、自分の中に諦めに近い理解が湧き上がった。


 そのあと折檻部屋に送り込まれたシャナレアは、冷たい床で夜を過ごした。

 世界がひっくり返ってしまったような感覚で、シャナレアの頭はまともに動いてくれなかった。


 その後の三日間、シャナレアは折檻部屋から出ることができなかった。両親は朝と晩に食事を届けに来て、そのときに「反省したか?」と訊いた。きっと反省しましたと言っても、ごめんなさいといっても両親は許してくれないだろうことは理解できた。

 反省が意味するのは、お嫁に行かせてください、と自ら口に出させ、徹底的に精神を屈服させるためのものだったのだろう。



 三日目の晩、兄が折檻部屋に訪れた。シャナレアと兄の関係は何故かいつも顔を見かける他人、というのが最も適切だった。仲が良いわけでも悪いわけでもなく、単純に会話をしない。ただ、頭が良く裁判官になることが決まっているとだけ知っていた。


 憔悴しきったシャナレアは、また暴力を浴びせられるのではないかと、身を強張らせていた。兄は折檻部屋の扉を開くと、何でもない顔で置いてあった椅子に座り口を開いた。


「あのおじいさんは、あんななりだけど、結構敏腕で上級貴族のなかでも特に金を持ってるんだって」


 独り言のように発せられる言葉が、シャナレアには初め理解できなかった。


「でも、女の趣味が終わってて、どうやら幼女にしか興奮できないらしく、今も昔もよく奴隷を買っているそうなんだ。でもその中でも好みがあるらしくって、育ちの良さそうな身なりの幼女が一番好みらしい。でもそんなの奴隷にはいないだろ? だから、あのじじぃは別の手を画策した」


 兄の老人に対する呼び名が、おじいさんからじじぃに変わり、軽蔑の色が伺えた。


「うちの親父って、仕事できるように見える? 他の貴族は元々あった財産を守ってれば、それなりに稼ぎが出る。でもうちが成り上がったのは先々代だろ。優秀なのはあくまでも祖父で、そんな祖父が死んだ時点で、うちはほとんど稼ぎを得る手段が断たれたんだ。親父の能が無いばっかりに。それでも、貴族の暮らしが捨てられない。贅沢をやめたくない。そんな馬鹿な貴族を、あの貴族のじじぃは狙ったんだ」


 そこまで聞けば、シャナレアも予測がついた。それに、おおよそ想像通りだった。自分は借金の形だったわけだ。


「あのじじぃは、以前もこんな風に、没落しかけの貴族に手を貸して、代わりにその家の幼い娘を嫁に取った。詳しい理由はわからないけど、その娘の死んでしまったらしい。幼い体が出産に耐えられなかったのか、それとも別の理由か」


 兄は言葉を濁したが、十中八九、後者だろう。貴族の娘だろうが、奴隷の娘だろうが、その扱いに大きな差はなく、どちらも老人の玩具として、その命を散らしていったことが容易に想像がつく。


「なんで……、ですか……?」


 シャナレアは兄への正しい口の利き方がわからず、恐る恐る見上げるように敬語で尋ねた。すると、兄は特に表情を変えないまま、出口に向かい、ドアを閉める直前で呟くように言った。

 なんで、以上の言葉をシャナレアは捻り出すことができなかったが、兄は適切にその意図を汲み取った。なんで、助けてくれるんですか、と。


「あの鬼畜と親戚になりたくないだけ」


 兄は、そのまま扉を閉めずに、自分の部屋に帰っていった。

 シャナレアはその晩、高い柵を飛び越えて、家出をした。




 屋敷の敷地を飛び出すまでの緊張感を、シャナレアは生涯忘れることはないだろう。その一方で、それからの数日間は、全く記憶に残っていなかった。


 心身ともに衰弱し切っていたシャナレアは、家のある六番区の警備兵に見つかった。当時のシャナレアは、汚れ切った衣類以外身に着けておらず、貴族の住む地区に物乞いにきた子供だと思われて、別の壁区まで追い出された。

 

 家から逃げ出したはいいが、食べ物も飲み物も得るすべを持たなかったシャナレアは、繁華街の外れ、建物の陰で常に薄暗い場所に寄りかかって、ただただ座っていた。


 空腹も渇きも収まらず、ごみ箱の食べ物を口にして体調を崩し、一歩も動けなかったのだ。


「なんだこの汚ぇガキは」


 それが自分に向けられた声だとわかっていたが、見上げる気力がなくて知らんぷりをすると、お前に言ってるんだぞ、と言わんばかりに若い男がこちらを覗き込み、びっくりして肩を震わせた。


「生きてるじゃん」


「えー、その子どうするの」


「別にどうもしねえよ」


 男は、露出の多い服を着た若い女を連れていた。何故か恋人のようには見えないその二人に、ぼんやり焦点を合わせていると、女の方が男に嘲たように笑う。


「ほらぁ、気まぐれに声なんかかけるから、この子期待しちゃってるじゃん」


「チっ、うるせぇな」


 軽薄な行動を咎めた女に、シャナレアは物乞い的な視線を責められたような気がして、そんなつもりはなかったため、目を逸らした。しかし、そこに男の手が、目の前に差し出され、また顔を上げた。

 この地域でおよそ一食分に当たるくらいの錆びた貨幣だった。目を丸くしていつまでも受け取らないシャナレアに、痺れを切らして無理矢理掴ませる。

 男は機嫌が良くも悪くもないような平坦な声で「行くぞ」と言って立ち上がる。シャナレアは、(はらわた)が異常な熱を持って、ギュッとうねるように縮んだ感覚に陥った。


「いらない」


 男がその声を聞いて振り向いたのは、銀色の貨幣が地面に転がったときだった。

 シャナレアはうずくまるように膝を抱きかかえた。もし、腹を立てた二人に暴行を加えられたらと怖くなったシャナレアの防御姿勢だった。


「はあ? 何あのガキ」


 案の定、女の不機嫌そうな声が聞こえ、男のものと思われる乱暴な足音が近づいているのがわかった。丸くなった体に、力がこもった。地面に転がる貨幣よりも、自分は小さくぼろぼろになっている気がした。

 しかし、そんな風に構えるシャナレアを襲ったのは、不可解な浮遊感だった。直後、お腹に小さな衝撃があった。殴られたり蹴られたりしたのではなく、肩に担ぎ上げられたのだった。


「ちょっと、リベリオ。そいつどうするつもり」


「あ? 連れて帰る。お前ももう帰れよ」


「はあ? 今日は私といるって言ってたじゃない。意味わかんない、無茶苦茶じゃん」


「俺が無茶苦茶じゃなかったことも、お前が俺を理解したことも、一度だってないだろ」


 リベリオと呼ばれた男が、きつい言葉とは裏腹にひらひらと手を振って女をあしらう。シャナレアが振り返ったときには女の姿は見えず、その後、路地裏から「死ね、このロリコン!」という罵声が響いた。


「なわけあるか」


 独り言で返事をしたリベリオは、そのままこちらを一度も顧みることなく、歩き続けた。


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