第3章42話 アンの災難①
王城の数少ない者のみが知る、星見の間。
天井の高い、広々とした空間は、予見の巫女を閉じ込めるためだけにできた、紛れもない牢獄であるが、その部屋では決して不自由のない生活が送れるよう、沢山のもので溢れていた。
テルと国王との密会以降、アンは天蓋付きのベッドで横たわっていた。連日、魔獣の総攻撃に備えるための予見を使い、さらに『語り部』としてのお役目で神経を擦り減らしたおかげで、高熱を出したのだ。
うなされるアンは、夢を見ていた。予見の権能は、時折、予知夢という形で未来を見せることがあった。
「う、ぅぅ……」
頭の中に溶岩を流し込まれたような痛みに、小さく呻き、手を添えるようにして体を起こす。
「最悪だ……」
まだ脳裏にこびりつく、予知夢の映像。淡く光を放つ右目を手で覆うが、その程度では痛みは引かない。
生者のいない王都、王城に積み上げられた亡骸、天を貫くカナン城が燃え盛る。そんな断片的なシーンが幾つかフラッシュバックし、最後には、三つの王族の首で遊ぶ魔人が王座に座っている光景が、網膜に焼き付けられている。
「う、うぅ……」
不快感から、右目への魔力を断ち、予見を停止したアン。予知夢とほとんど同じような内容で、何も食べていないのに吐き気が込み上げる。
奇妙なほどに王城に焦点が当てられている。ここまでくると、予見だったとしても、回避不可能な絶対的な未来に思えてしまう。
さらに、異常なほどにノイズが多い。今までこれほど不鮮明な予見はなかったし、そのせいでアン自信も、予見に対して深く理解ができていない。
「……エイミー」
弱々しい声で従者の名を呼ぶと、音もなく姿を現したエイミー。親しい人の顔を見て、少しだけ気持ちが落ち着く。
「ヴァルユートを呼んで欲しい。急いで」
アンと直接顔を合わせることができるのは、王族、あるいは巫女専任の従者だけで、上級貴族さえ、許可なく面会をすることはできない。
エイミーすら、言葉も文字も奪われているうえに、外部のものと接触を禁じられているため、どれだけ恐ろしい予見を見ても、王族がこの部屋に訪れるまでは、誰とも予見を共有できないのだ。
「この揺れ……」
もどかしい思いでヴァルユートを待っていたアンは、異変に気付き、窓の外に目をやる。すると、ずっと遠くの街中で土煙を上げながら、白い竜のような生物が地中から出現していた。母胎樹だった。
「くっ……、ぅう……!」
右目が疼くように痛む。ソニレ王国の崩壊が、ずっと予見してきた、恐るべき日が今日なのだと確信があった。
「無理だ、待っていられない」
そう言って、車椅子を繰り、外への扉に向かうアン。当然、予見の巫女一人で外出することは禁じられており、エイミーがそれを食い止めるために、正面に立った。無言のエイミーの表情は険しいが、アンはもっと鬼気迫るものがあった。
「どいて。このままじゃ、手遅れになる」
アンの鋭い口調は、エイミーを怯えさせた。日常生活を共に過ごす三歳年下のエイミーは、兄弟と友達の中間のような間柄だったが、こんな風に怒りをぶつけたのは、アンが予見の巫女になったばかりのとき以来だった。
(アン様、どうかここでお待ちになってください)
エイミーはパクパクと音の出ない口を開閉させ、アンは読唇術でそれを読み取る。
「このままだと、国が滅ぶんだ」
(そうだったとしても、巫女が部屋からでることは禁じられています)
「……っ」
エイミーはワードレス家の従者として、きっちりと教育を叩きこまれていた。彼らは、予見の巫女の世話係であり、主はあくまでも王族だった。もし、例外的な行動をとれば、どれだけアンが庇おうと、ワードレス家そのものが危機にさらされる。
エイミーもまた必死なのだ。
「このままじゃ、わたしも死ぬんだぞ。そうなれば、エイミーも他のワードレス諸共族誅になる!」
あまりにも残酷な脅しだった。予見の巫女ありきのワードレス家は、当然ながら予見の巫女が失われれば役目も失う。そうなれば、文字も言葉もないワードレス家は、誰も生き延びることは叶わないだろう。それ以前に、それほどの失態を国王は許さない。
口を閉ざしたエイミーの瞳には、涙が浮かんでいる。罪悪感がアンの胸を刺した。
「ユートに予見を共有するだけでいいんだ。ほんの少しでいい」
懸命に訴えるアンに、エイミーはこぼれる前の涙を裾で拭って、戸惑いながらも頷いた。
「ありがとう、エイミー。さっきは酷いことを言ってごめんね」
車椅子を押すために背後に回ったエイミーの表情は見えないが、微かに頷いたような気配を感じて、アンは息をついた。
カナン王城は、この国の行政府でもあると同時に、王族やそれに仕える使用人の住まいでもあった。そのため、行政区域と居住区域が分かれており、アンのいた星見の間は居住区域の中に位置していた。
当然、執務中かつ緊急時のヴァルユートは行政区域にいる。王城はかなり大きいうえに、それぞれの区分を簡単に行き来できぬようになっているため、アンたちはそれなりの距離を移動しなくてはならなかった。
「失礼、皇太子の居場所をお教えいただきたい」
アンは、見覚えのあった騎士と思われる男に声をかける。一度面会したことがあるので、上級貴族に従える者だろうと、曖昧に思い出す。男は初め、この場所に不釣り合いな少女二人に訝しむような顔をしたが、すぐにその正体を思い出し、慌てた様子で片膝を地に着ける。
「巫女様、このような場所でお目にかかれるとは……」
「能書きは結構です。ヴァルユート皇太子はどこですか」
「皇太子殿下でしたら、二番区で貴族方と緊急の会議をしておられるかと。しかし、巫女様が外出とは珍しい。一体、どのような用件で」
「……わかりました。どうもありがとう」
アンは会話を打ち切ると、エイミーに車椅子を出させた。男の騎士は、なんとかして巫女と接点を持とうと画策しているようで、二人のあとに続いた。
「二番区に行くのであれば、五番区を経由していかれるのがよいでしょう。今あの周辺は大変混雑しておりますゆえ」
「風詠みで皇太子に言を送ります」
「ふむ。しかし、風詠みは緊急の作戦で、大半が騎士庁本部に駆り出されましたから、少々難しいでしょうな。あまり城外は詳しくないとお見受けします。ここは私が案内いたしましょう」
どうしても予見の巫女に貸しを作りたいのだろう男が、張り付けた笑顔でこちらを伺う。そんなにこき使われたいならそうしてやろうと、呆れを隠して感謝の表情を浮かべる。
「それはありがたい。どうかおねがいします」
困惑するエイミーを目線だけで宥めて、三人はカナン王城がある一番区を出る。一番区には、ニ、三、四、五番区が囲うように隣接しており、二番区と五番区は隣あっていた。
案の定、男はそれなりの立場を持っているようで、一番区の検問を抜けるときも、徽章を見せるだけで、それ以上の詮索をさせなかった。門番の衛兵は、きっと予見の巫女の存在など知らされていないだろうから、その点においては助かった。
五番区は当然のことながら、王城内に比べて、警備が薄かった。このあたりに住む者は、軒並み上級貴族で、それぞれの持つ土地も広いためか、道は広く人通りもなかった。
アンが外出をするのはざっと五年振りであったため、こんな状況で薄ぐらい夜道を歩いているのが、我ながらいたたまれなかった。
「王城に比べれば、どの家屋も矮小に見えるでしょうな」
エイミーに変わり車椅子を押す男の言葉は見当違いも甚だしく、アンは小さく頷くだけだった。エイミーは先頭をあるいて道を照らしていた。
「む。どうした」
ふと、三叉路に差し掛かったあたりで、エイミーが急に立ち止まり、一歩こちら側に後ずさった。
「エイミー?」
そう呼びかけると、エイミーの肩が震えていることに気が付いた。アンはそのことをあまり気にかけず、明かりが照らす夜道に顔を覗かせる。
明かりに照らされて立っていたのは、一人の少女だった。こんな夜にどうして、と思ったアンだったが、明らかに機嫌を損ねたのは背後にいる男だった。
「薄汚れたガキだ。どこから迷い込んだんだか。一体、警備兵は何をしているんだ」
唾を飛ばす男を一瞥し、また少女の方に目を向ける。
たしかに、衣類は汚れており、ぼろのようなフードを被っていた。そこからこぼれているおさげのくすんだ赤色の髪は、油で固まっている。
迷子なら、それこそ警備兵のもとまで連れて行ってあげなくてはならない、とアンが話しかけようとすると、
「うるせぇ人間だぞ」
と、澄んだ殺意の込められた言葉が、少女から発せられた。
エイミーは腰を抜かして、そのまま地面に尻もちをついた。すると、エイミーの頭があった場所を経由して、とげとげした長い何かが素早く伸び、アンの頭上を通過した。すると、少し重みのある水音とともに、鉄臭い液体が自分の頭に降りかかった。
「え……?」
振り返ると、背後に立っていた騎士が地面に倒れており、頭部が丸々失われていた。首の断面から、溢れ出す血液に、自分の体温が急速に下がっていく。
どくんどくんと今までしなかった音が、自分の体を内側から叩くが、それよりも大きく下品な歓声が響き渡った。
「ぎゃはははははっ! そいつが護衛かよ、弱すぎて泣けてくるぞ! お前ら、見る目なさすぎのマヌケだぞ!」
よく見ると、少女の右腕は節足動物のようで、幾つもの節と鎧のような殻があり、自分の背丈の倍以上に伸びていたが、あっという間に元の人の見た目の腕に戻った。そして、アンはすぐに理解する。あれは人間ではない。
「黒髪で動く椅子に乗ってる女。お前がえーっと、……よてい? よめい? まあ、どっちでもいいや。お前がソニレの守りで大事な奴なんだろ?」
少女の見た目をした怪物から発せられる緊張感で、上手く呼吸ができない。
少しだけ間違っているが、あの怪物じみた少女が自分を狙って現れたと思わせる発言で、点と点が線になったように、少女に正体が頭の中に浮かび上がった。
「あのまま城の中にいられたら、こっちも色々めんどくさかったから、わざわざ出てきてくれて助かったぞ。おかげで、アタシの仕事が楽に終わるぞ」
少女は一歩前にでると、倒れたランタンに照らされる。濃厚な殺意と同居していることが、信じがたいほどの満面の笑顔が、はっきりとアンに目に映る。
「アタシは『獣』の魔人、ティヴァだぞ。あ、あと、ふぁみりあ? とかいうやつにも入ってるぞ」
前回の戦争から、三カ月ぶりに姿を現した『獣』の魔人。
そんな人の形をした人類の災厄が、ゆうゆうとした動作でフードを取る。露わになった暗い黄土色の瞳は、瞳孔が細く、その本質を物語っていた。
「お前を殺しに来たぞ。だから、大人しく死ね」




