第3章41話 魔人を隠すなら人の中
「なんだかすごく嫌な予感がする」
日の沈んだ王都を無闇矢鱈と走るセレスは、つい先ほどニアに「レイシアを探してくるわ」と言って、いつも通り了承を待たずに外に飛び出してから一時間ほど経ったころだった。
セレスの直感はよく当たる。
つい先日、ニアと偶然落ち合えたときも、朝から「今日はいいことがありそうじゃない?」と起きて早々にこぼした。また、ニアがノーラントに連れ去られたときも、皆の興を削ぐことを恐れて口を噤んでいたが、ずっと胸に引っかかるものがあった気がしていた。
そんな自慢の“直感”は、今ばかりは頭痛を感じるほどの凶兆を感じていた。
そんな思いで足を急がせながら、感覚を頼りにレイシアを探していると、地面の揺れとともに、白い塔のような竜が王都に出現した。嫌な予感の的中だった。
セレスは、母胎樹の存在を詳しくは知らなかったが、即座に魔獣戦争に結びついた。あまりにも急な事態だが、そんな中セレスは、次の直感を得た。
ニアのこともレイシアのことも、確かに不安だった。しかし、どうしてかその時は、王城に住む、ずっと昔からの親友がとても心配になった。
「アン……!」
思い立った時には、すでに王都に向けて走り出していた。
アンとセレスは同じ故郷の出身だった。その時はまだアンはアンという名前を強要される前で、とても活発で毎日のように二人で外を走り回っていた。そんな古い記憶を呼び起こすたびに、胸騒ぎがした。このときには、三体目の母胎樹が現れており、セレスは自分の直感を、確信へと昇華させていた。
しばらく走っていたセレスは、やがて見たことのある人物を見つけた。
「あ! 君!」
割と至近距離にいたのに、かなりの声量を浴びた青年は、ぎょっとして目を白黒させる。セレスとは関りのほとんどない、一度顔を合わせたことのあるだけの関係だったが、そうとは思えない馴れ馴れしさで、黒髪の青年に歩み寄った。
「なんだっけ、えっと……パシリ君!」
「あの、パーシィです」
名前さえうろ覚えだったパーシィは、困惑一色に染まっていた。
「えっとセレスさん、でしたよね。カインくんとテルくんのお友達の」
「それで合ってるわ。それより、パーシィ君は……あれ、あなたシャナレアさんのお付きじゃなかったっけ?」
始めの要件を打ち止めて、ふと降ってきた疑問をぶつけるセレス。通常の風詠みなら、緊急事態の際、各地に散らばって情報収集に当たるのは理解できるが、今のパーシィにその様子はない。
「今は単独任務中です。僕はシャナレア様との独自の回線を持ってるので」
「ふうん」と門外漢の話に適当な相槌を打ったセレスは、単独任務といえども定まった役目を持っていなさそうだと、なんとなく決めつける。おおかた、柔軟に対処できるように、行動を取れる遊撃隊と言ったところだろう。根拠は、立ち姿が暇そうだったことだ。
「パーシィ君、頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれない……!?」
その言葉にパーシィはすぐにまた困った顔をした。しかし、セレスはそれを見越して、更に一歩踏み寄っており、目を背けさせない。
「シャナレアさんのお付きだから、『予見の巫女』のことは知ってるわよね?」
「知ってますけど……何であなたがそれを知ってるんですか、国家機密ですよ!?」
「そんなことはどうでもいいの! とにかくアンの安全を確保して欲しいの、お願い!」
パーシィの困り顔は様になっていて、きっと色々苦労を被る星の下に生まれたのだろうと、同情じみたものを感じながら強引に頼み込むセレス。パーシィは押されたように一歩引き下がって、手を前に突き出した。セレスに対する壁のつもりらしい。
「安全を確保って、王城が一番安全に決まってるじゃないですか」
「それならそれでいいの。私だけだと、星見の間には入れないから、あなたしか頼めないのよ!」
「そんなの僕だって入れませ——————はい?」
会話の最中、急に眉を顰めたパーシィに、セレスは疑問符を浮かべる。その原因は自分ではなく、彼の耳に届いた風詠みの声だろう。パーシィの表情は判りやすく、みるみると顔色が悪くなっていき、最後には口元を覆っている。
誰と連絡を取っているのだろうか、とパーシィの顔を覗き込む。先ほど声をかけたときも厳しい顔つきだったが、今はさっきよりも深刻そうだった。
通話が終わり、「本当にあてにできるのか?」「いや、そう考えると辻褄は合う」ぶつぶつと独り言をこぼしていたパーシィは、顔を上げると、真剣な面持ちでセレスを見据えた。
「わかりました。できる範囲でですが、王城と巫女の様子を見てきます」
その言葉に、対照的に表情を和らげるセレスが、パーシィの手を取ってぶんぶんと振り回す。
「ありがとう、パーシィ君! このお礼は必ずするわ!」
「いえ、お礼は結構。その代わり、こちらもお願いがあります」
「……お願い?」
交換条件というにはパーシィからの懇願の念が強すぎる。そんな純粋なお願いに、セレスは息を飲み、口が開かれるのを待った。
パーシィのお願いは、セレスが引き返せないほど魔獣との戦争に関与することになる片道切符だった。しかし、それを理解しながら、セレスはその交換条件を受け入れたのだった。
――・――・――・――
「この国の強みってなんだと思う?」
仄暗い空間で、そんな馴れ馴れしい声が響いた。少女とも淑女とも取れる、歪な空気感を持つ女の魔人の声はあくび混じりで、退屈凌ぎの話題としてはあまり面白くはなさそうだった。
「ソニレは、建国以来千年以上他国に侵略されることも、魔獣に蹂躙されることもなく、生き延びてきた。魔獣の脅威があるせいで、隣国もソニレを攻めあぐねているし、ソニレも侵略に打ち出すこともできない。でももし魔獣というしがらみがなくなっても、ソニレが滅ぼされることはきっとなかったんだろうね」
勉強臭くなってきた上に、迂遠な物言いをするので、こちらは困り果てると、魔人は仕方ないなあとわざとらしい仕草をした。
「長いだけの歴史にも、それなりの根拠があるってこと」
あっさりと言うわりには、随分と熱がこもっていた。熱というよりは、“恨み”といった方が適切かもしれない。
「一つは、『予見』。この国だけが持ちうる、正真正銘の神様由来の権能だ。これがまず埒外だ。未来が見える相手に戦略も奇襲もない」
人差し指を立てた魔人の言葉から、既に恨みは消えていて、その分、肌寒くなるほどの冷静な口調だった。
「次に、地味にやっかいなのが『風詠み』。絶えず戦況を的確に読み当てられ、その仔細を常に全体で把握できるんだ。これら二つのせいで、ソニレが情報戦に敗けることは、まず絶対にない」
二本目の指を立てると、絶対にない、などと乱暴さの目立つ言葉を使う。
「そして、ロンドとシス。コイツらは私の天敵といっても過言ではない。だって、『獣』の権能が物量で負けるなんて、本来有り得ないことだよ? もうほんとマジで嫌い。だけど今、ロンドは死んだし、シスは西側の国境付近から動けない。ゼムレット帝国を焚き付けておいたからね、根回しは完璧さ」
越に浸る魔人は、三本目の指を立てることなく、ひらひらと手を振った。僅かに脱線し、何の話だったか、こちらが頭を悩ませていると、それを見抜いた魔人がにたりと笑った。
「んん? 何が言いたいのか、だって? だから、説明してるんじゃない。この国の滅ぼし方を」
――・――・――・――
ゆったりと夜道を歩く『契約』の魔人クォーツは、通り過ぎる景色を、どこかしみじみとした目で眺めていた。
見た目はなんら人と変わらない。故にその脅威の侵入を食い止める者は誰もいなかった。
クォーツの視線は、哀愁が込められており、それは今から起こる惨劇でこの景色が永久に失われることに対する悲哀だった。
やがて、クォーツは目的地にたどり着く。大きな門を構えたそこは、騎士庁本部だった。
「関係者以外は立ち入り禁止だ。さあ、帰れ」
帽子を目深にかぶった警備兵が二人、クォーツの前に立ちふさがった。当然、その二人は、この女の正体を知らないし、自分が今際の際にいることも知らない。
故に、自分の死を自覚できないような速さで死ぬことができたのは、幸せだっただろう。
クォーツの体から出現した魔獣は、的確かつ迅速に警備兵の首を食いちぎった。
警備兵が倒れる音だけで、それ以上の騒音はなく、新たに兵が駆け付けることもない。
「さあ、雪辱を果たすとしよう」
そうして、魔人の手が、騎士庁本部の扉へと伸ばされた。




