第3章40話 白亜の狼煙④
カインは過去自分が体験したことのない高度に、全身が震えあがる。
高い。怖い。落ちる。死ぬ。理性が排除された頭は、パニックに陥って正常に作動しない。
「先輩! 軌道修正っス!」
カインの鼓膜を、エウゥの声が叩いた。はっとするカイン。今、自分がエウゥの肩に掴まっていたことも忘れていたが、不思議と落ち着きのある声で現実に引き戻され、周りの状況を拾い取る。
自分がいた場所には、崖のようなものがあり、それがカインとエウゥを弾き上げた発射装置であることが察せられた。そして何よりも目を引いたのは、下方向にある白い塔のような母胎樹だ。しかし、真下というにはかなりずれがある。
以前、カインが見た母胎樹と同じように、平べったい蛙のような顔をしており、真っ赤な双眸と、それら中央にある赤い宝玉のような魔核がよく見えた。
辛うじて聞こえたエウゥの叫び声に従って、後方に風魔法を放ち、その推進力で母胎樹の真上に移動する。「完璧っス」そんな呟きと同時に、エウゥの手に魔力が集中する。
「『岩石砲・摩具那牟』」
詠唱とともに発生した人よりも大きな巨岩は、轟音を立てて射出された。
ほとんど無表情だった蛙面の母胎樹が、大きく目を見開くと、その周りに魔獣が現れ防衛を試みる。しかし、エウゥが放った巨岩は、それらの魔獣ごと母胎樹の脳天を貫通すると、さらに内側から爆発し、その顔面を木っ端みじんにした。
確実に息の根を止めたとわかる威力に、戦慄するカイン。しかし、すぐに異変に気付く。死んだ母胎樹は、破壊された頭部から徐々に崩壊が始まっているが、それよりもさきに巨大な胴体が自立をやめ、地面に倒れようとしていた。
あれほどの巨体が街に落ちれば、その被害は計り知れない。
「問題ないっス!」
エウゥはそう叫ぶとまたしても魔法を発現させる。今度は一つの巨岩ではなく、いくつもの拳大の鋭い石が、周囲に展開される。
「『榴石小銃・昏寧弩摩真厳』」
一斉に放たれた石は、雨のように母胎樹の体に打ち込まれる。すると先ほどと同じく胴体の内側で何度も爆発し、白い塔を解体していく。吹き飛ばされた魔獣の小さな欠片は、大きな欠片よりも早く灰に帰すため、母胎樹の体は見る見る小さくなっていた。
カインの胸に安堵が湧き上がると同時に、思い出す。一体着地はどうするつもりなのか。
そうして思い返すのは、空中に飛び上がる前の会話だ。「ほんの一瞬体を浮かせるだけでもいい」と言ったエウゥの意図は、地面にいる間は理解できなかった。しかし、今この瞬間、落下死の恐怖が近づくほどに、その意味が怖いほどに理解できる。
「先輩、着地任せたっスよ!」
やっぱりそうだった。
あらゆる感情に先行して恐怖が湧き上がる。ここでしくじれば死ぬ。
「そういうことは先に言えぇっ!」
そしてその恐怖さえも上回った怒りが爆発し、迫りくる地面に目を向ける。
絶えず脳裏で浮かび上がる、押しつぶされたような落下死体。死ぬにしたってそんな死に方だけは御免だと、手のひらを大地に向ける。もう数秒後には地面に辿り着いているだろう。そのぎりぎりで、落下の勢いを完全に消滅させる。
「風破裂ッ!!」
最後には目を瞑ったカインが、詠唱を叫ぶ。すると、僅かな上方向への浮遊感が体を包み、直後、ドスンといって地面に落ちた。
「助かったぁ、危うく死ぬかと思ったっス! やっぱりカイン先輩は凄いっス!」
心臓の拍動が大きすぎて、ぐったりと両手を地面につけるカインに、エウゥが肩をがしがしと叩いて労う。
まだ生存している実感を得られず、顔面蒼白のカインだったが、魔獣を受け止めていた前線からの歓声で視線を上げた。
母胎樹は、周囲に一切の被害を出さないまま全身を灰燼と化し、母胎樹が死んでから魔獣の生産が停止し、騎士たちが勢いを取り戻していた。そして、今の歓声は、最後の魔獣を打ち取った際にあげられたものだと、すぐにわかった。
カインは、勝鬨を上げる騎士たちに目を見張らせていた。絶えず何かに考えを巡らせるように、瞳孔を小さく震わせている。
「いや~、オレたちの最高のコンビネーションで、見事完全勝利っスね。俺一人じゃ流石にキビしかったっスよ」
「ああ、うん」
「母胎樹を討伐したんだから、報酬もたんまりっス。カイン先輩もあっという間に————」
「なにか変だ」
「……カイン先輩?」
声が届いていないようなカインに、エウゥは首を傾げた。
まだ三体のうちの一体に過ぎないが、大きな脅威を打倒したことに間違いはない。それなのに、カインの表情から深刻さが払拭されることはなく、灰になった母胎樹から視線を背けない。
「弱すぎる」
「そんな自分を卑下することないっスよ」
「そうじゃなくて」
そう呟くカインの脳裏には、三カ月前の母胎樹との戦いの光景があった。あの時の母胎樹は、全身を川に沈めて、身を潜めていた。
それは何故か。母胎樹そのものに戦闘力がなかったからだ。自分で身動きさえ取れない母胎樹は、テルとカインを迎え撃ったときも、未成熟の魔獣を生み出して、その魔獣を戦わせた。本来は、それほどに無力な存在だった。
今回の母胎樹もそうだ。敵を寄せ付けないほどの速度で魔獣を生産したが、敵前に姿を現すほどの戦闘力や防御力を持ち合わせているようには、到底見えなかった。
「なら、何で敵の前に現れたのか。それもこんな場所に」
母胎樹の発生は唐突だった。
予見がなければ、辺り一帯の市民が皆、惨殺されてもおかしくないほどの、突然の災害と言えた。
しかし、そんな奇襲ができるのなら、どうしてもっと王都の中枢を狙わないのか。その疑問は、残り二つの母胎樹にも言えた。
「残り二体の母胎樹は、誰が対処を?」
カインは、エウゥについていた風詠みに尋ねた。風詠みは、間を置いてから答える。
「三十三番区はカミュ特位、二十五番区はブラックガーデン準特位です」
それぞれ、現状の王都の最大戦力と言える二人だ。この二人なら確実に母胎樹にも対処できるだろう、という安心感とともに、カインは別の確信を得ていた。戦力が王都の外側におびき寄せられている。
「……この母胎樹は陽動だ」




