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第3章39話 白亜の狼煙③

十八番区の市街地のど真ん中に、発生した母胎樹の下腹部から中腹部にかけて、びっしりと張り付いている赤い半球は、次々と魔獣を生み落としていた。


「魔獣狩り連中は救出班の護衛だぁ!」


「こっちまだ救出作業終わってないぞっ!」


「東側また魔獣だ、応援急げ!」


 騎士の多くが、母胎樹の現れた一角に集い、際限なく生まれる魔獣の対処をする。やはり、彼らの外見は騎士と呼ぶより、魔獣狩りと呼ぶべき粗暴な恰好の者が多い。しかし、その陣形はかなり慣れている。それもそのはず、今母胎樹の対処にあたるのは、いままでの戦争を生き延びてきた強者たちだ。


 母胎樹が発生し、倒壊した建物から住民を救出する衛兵の命を守る魔獣狩りは、絶えず怒号をあげて状況の共有と、迅速な対処をしている。


 国の命運を背負っている自意識と、母胎樹という一攫千金の賞金首を前にした彼らの士気は、熱気を感じさせるほどに奮い立っている。


 しかし、魔獣の功勢は苛烈さを極めていた。


 生まれたばかりの魔獣は、まだ装甲が固まり切っておらず、簡単に刃が入る。しかし、その分、我が身をも顧みない捨て身の攻撃を繰り出し、着実に魔獣狩りの余力を削っていた。

 

 やがて、魔獣の波を抑えていた堤防が崩れる。

 巨大なネズミのような魔獣が、一人の男の首に牙を立てた。即座にネズミの首筋に剣を立てて魔獣の魔核を破壊するが、頭が灰になって崩れ落ちると、そこから勢いよく血が流れだし、男はその場で崩れ落ちた。

 隣人の死を目撃した青年は、ほんの瞬きの間、頭が真っ白になる。昨日、偶然酒場で出会い、同じ故郷だったという共通点から打ち解けた男が、目の前で死んだ。呆けた時間は一秒の半分にも満たない。しかし、その短い時間のうちに、青年の足を別の魔獣が食らいついた。


 すぐに魔獣を屠ると、周囲の騎士三人に助けられ前線から遠ざけられる。しかし、他の魔獣狩りの背に隠れるまでに、青年を庇った別の魔獣狩りが不意を突かれて殺された。一人の負傷者は、戦争において全体の能率を大きく損なわせる一因となる。


 初めに入った(ひび)が連鎖的に新しい罅を生み出し、やがてその場所から、戦線の崩壊が始まる。 


 魔獣狩りたちの壁を突破した魔獣数匹は、真っ先に取り残された市民と、それに付き添う救護班を襲った。


 人の血で口を潤した魔獣は、すぐに狩られるが、その個体が為した、精神的な攻撃は無視し難いほど、全体の士気を蝕んだ。


「あまり悠長にはしてられないっスね」


 そんな中、冷静に溢したのは準特位騎士エウゥ・ギャンツだった。エウゥは、小さい身長に不釣り合いな大きな剣を担ぎ、聳える白塔のごとき母胎樹を見上げた。


「何か策はあるんですか」


 騎士たちの堤防を越えた魔獣を灰に帰したカインが尋ねた。平常時は頼りがいに欠けるエウゥだが、今は歴戦の戦士の面構えをしており、三日間共に行動をしていたカインは息を飲む。


 

 三日前、特位会議から追い出されたカインは、会議が終わったあとで最も可能性が高そうなエウゥと、行動を共にしたいと頼み込んだ。カミュは、カインが自分の元から離れることを心底嬉しそうにしていたので、その辺の後ろめたさはなかった。


「マジっスか!? 嘘じゃないっスよね! うおぉお、夢にまで見た展開! 生きててよかったー!」


 と、引くほどの快諾を受けた。

 その後、十八番区周辺の配置された二人は、二日間周辺警備にあたっていた。エウゥはその行動の理由を語らなかったが、パーシィを通じて特位会議の内容を盗聴していたカインは、それが魔獣による王都への直接攻撃に備えてのものだということを知っていた。


 全ては、この戦争のなかで戦果をあげること。エウゥに付き従うのはそのための最善と言えた。



 そして今、予見通り、突如発生した母胎樹。これほどの大きさだと、自分にできることは少ない。最低限、エウゥのサポートに回り、魔人の手掛かりを掴めれば上々だろうと、準特位騎士のエウゥ・ギャンツがどう動くかを、じっと見守るカイン。


「追加で二体の母胎樹……。ちゃっちゃと倒すに越したことはないっスね。そうだ、カイン先輩、俺を持ちながら風魔法で空飛べるっスか?」


「え……?」


 唐突な質問に顔を硬直させるカイン。

 風魔法で空を飛ぶ。単純な連想ゲームで、かなり早い段階で浮かぶような発想だろう。しかし、実際に空を飛ぶ行為は、風魔法の中でも最も難しいとされる技術だった。飛行魔法とは、重量のある体を長時間浮かせる魔力量、そして安定したバランスを維持する精密な魔力操作。それらの才能と技術が備わって初めて実現できる、限られた者だけが扱える高等魔法なのだ。それをもう一人分背負って飛ぶ、だなんて世界中を探しても見つからないだろう。

 

「いや、無理ですよ」


 どういう意図の質問か理解できず困り顔のカインに、エウゥはさっぱりとした表情を変えないままだ。


「うーん……、ほんの一瞬、体を浮かせるだけでもいいんスよ。何とかならないっスか……?」


「それくらいなら……なんとか」


「さすが! それでこそカイン先輩っス!」


 苦い顔で答えるが、こちらの様子などお構いなしのエウゥは屈託のない笑顔を浮かべる。


「よーしっ、ならあとは実行に移すだけっスよ。カイン先輩、もっとこっちに寄って俺の肩を掴んで欲しいっス」


「……?」


 カインは言われるがままに、エウゥに近づき、後ろからその両肩を持つ。一体何が始まるのか。それを尋ねようとすると、先にエウゥの口が開く。


「絶対離しちゃダメっすよ。あと口も閉じた方がいいっス」


「何をす—————ぐわっ!」


 カインがエウゥの意図を訊くよりも先に、凄まじい重力が全身に浴びせられる。視界が凄まじい速度で縦方向に揺れ、その強烈な振動に思考が追いつかない。

やがて、上昇速度が落ち着き、上昇から下降に移り変わる狭間の僅かな停滞に目を見開く。


「……っ!?」


 ぐっと近づいた夜空と、眼下に広がった光る粒のような民家の明かり。そして冷たい風と浮遊感は、カインが王都の上空に弾き飛ばされていたと、強引に理解させた。


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