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第3章35話 交わらぬ真意

 部屋を出るとヴァルユートが壁に背を預けて立っていた。目が合ったが、交わしたい言葉はなく、すぐに顔を背け、その場から離れる。


「レイシアの居場所に見当はついているのか」


 背後からのヴァルユートの問いかけを、テルは無視しようかと考えた。エルヴァーニ王とアンはどちらもレイシアの気持ちを顧みることをせず、大儀に目が眩んで話にならない。ヴァルユートもその二人と同じだと思っていた。

 しかし、今のヴァルユートの沈んだような声に、無視をすれば自分が悪者になるような気がして、テルは思わず足を止めた。


「その質問に俺が答えると思ってるのかよ」


 テルの手厳しい態度に、ヴァルユートは視線を低くしたまま首を振る。


「いや、答える必要はない。『契約』が王都にいるレイシアに気づくとは考えにくいし、魔人同士に横の繋がりがあるとは思えない。だが、それは急がない理由にもならない。……ただ、それだけだ」


「お前……」


 今テルを呼び止めたことに理由はなかったのだろう。しかし、例えヴァルユートが、王とアンとは違った思いをテルに向けようとしていても、テルがその場に留まる道理はなかった。


 テルが城から去るまで、誰一人として手助けも妨害もしなかった。当たり前だが気分は晴れず、この先の不安感ばかりが募っていた。


「考えても埒が明かない」


 テルを悩ませる要因なんて、探せばいくらでも見つかるのに、一つ一つ丁寧に悩んでいれば、何も解決できないまま全てが手遅れになってしまうかもしれない。


 アンの語った『予見』の権能(クラウン)も、現在レイシアの居場所を突き止めることができていないことから、字面ほどの万能さは持っていないのだろう。ならば、レイシアの保護もソニレ王国からの脱出も、妨害を受けたとしても遂行できるはずだ。


「早く帰ろう。レイシアが先に戻ってるかもしれない」


 そうであってくれ、という言葉は飲み込んで、テルは駆け足でブラックガーデン邸に向かった。




 ――・――・――・――




「何の真似だ」


 不敬な客人が立ち去ると、王の執務室兼寝室で、枯れた大木のような存在感を持つ老人が、喉を震わせた。その声には、先ほどテルには見せなかった苛立ちが込められていた。


「さて、何のことやら。まるで見当がつきませんね」


 (なじ)りを受けるアンは不真面目な様子で肩を竦めた。その白々しい仕草は、不良が教師の説教を聞き流しているような、反骨心が見え隠れしている。テルに語り部としての役目を果たしていたときとは別人のような態度だ。

 エルヴァーニ王は、今のアンの言動には触れず、先ほどのテルとの対話についての言及を続ける。


「順番だ。話の順番を違えなければ、あやつが途中で席を立つこともなかっただろう」


 順番が違う、というその指摘は、アンにとっては予想通りのものだった

 確かに、アンは語り部として、語るべき国家の深奥を語った。常人では決して触れることの叶わない、国の存亡がかかった国家機密。アンが語り損ねたのは、|何故、テルがそれを知りえたのか《・・ ・・・・・・・・・・・・》という、ある意味最も重要な部分だけだった。


「そうだったでしょうか。でも別にいいでしょう。義務は果たしているじゃないですか。それとも、この右目を剥奪でもしますか? わたしの人生を奪ったように」


 個人的な感情の介在を否定しないアンが、挑発的に手をひらひらと振る。


「予見の器如きが与える影響など、タカが知れている。あやつは既に選ばれている(のろわれている)のだ。無駄な足掻きは止めておけ」


 言いたいことを言い終えるとエルヴァーニ王はまた全てに無関心になったように静かになる。アンは盛大に舌打ちをし、そのまま執務室兼寝室から立ち去った。

 部屋を出ると従者のエイミーがこちらに気づいた。アンの気が立っていることに気が付いたのか、少しおどおどした様子でアンの車椅子を押した。



 ─────大儀のための、必要な犠牲。



 自分の口から吐かれた言葉に、心底嫌気がさす。しかし、そう口にしなくてはならない義務も、それを言える権利もアンは持っているといえた。


 例えば、エイミーもそうだ。彼女の本名はエイミー・ワードレス。

 代々、王城で『予見』の巫女の従者として仕えてきた一族だ。しかし、『予見』の権能(クラウン)は存在そのものが、極秘事項である。そのため、そんな主人を持つワードレス家は、生まれてすぐに声帯を切り落とし、決して文字を学ぶことを許されない。


 そして、アンもまた、大儀のための犠牲になったうちの一人だった。


「くそっ!」


 苛立ちのまま、大暴れしてやりたい衝動に駆られたが、足が不自由なアンは自分の足を殴りつけることしかできない。


 『予見』の権能(クラウン)の宿る、極彩色の右目。その適合者に選ばれたアンは、故郷も家族も元々の名前も捨てて、脱走を企てられないように、足の(けん)を切られた。

 大儀の名のもとに、全ての人生を奪われたのだ。

 だからこそ、自分の足跡を辿るであろう少年の神経を全力で逆撫でした。生来、そういう性質だったのだろうが、結果的に彼はこの国そのものに反感を抱いていたように見える。自分が何者なのかを知らなければ、呪縛に囚われることもない。それに関しては完全に狙い通りだ。


 だから、さっさとこの国から逃げてしまえばいい。人を不幸にする伝統など、誰かが犠牲になる前提の安寧など、反吐が出る。


「被害者は、僕が最後でいい」


 アンの小さくこぼれた言葉を、エイミーは聞こえないふりをした。


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