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第3章34話 王家の呪い②

「『契約』の魔人のせいで、レイシアは死んだことにされてたっていうのか……?」


 どこまでも付きまとう契約の魔人との因縁に、テルは声を震わせる。アンは全てを知っているような顔で、首肯した。


「でも、どうして……」


 そこまで声を出して、テルは咄嗟に口を噤んだ。自分が発しようとしていた言葉が、酷く恐ろしいもので、怖気づいてしまったのだ。しかし、アンはご親切にその続きを提示した。


「どうしてレイシア姫は殺されなかったのか……ですね?」


「……っ」


 テルは自分が怖気づいたことを責められたようで、肩を飛び上がらせる。

 『契約』の魔人との間にできた契約を、エルヴァーニ王がどうして遂行しないのか。それが我が子に対する愛情であれば良かった。しかし、今の王の態度からはそうは考えられなかった。


 契約を遂行しない理由を尋ねることは簡単だった。しかし、それはレイシアが死ぬべき理由を探していることと同じだ。

 それら全ての思考を察しているような、こちらを覗き込むようなアンの視線は、とても居心地が悪かった。


「レイシア姫を殺せなかった理由。それは、エルヴァーニ王が若くして子を成す機能を失ったからです。十五年前に妃様が亡くなられたあとも、何人かの妾と営みを重ねましたが、結局レイシア姫以降に御子は成されませんでした」


 アンはそう言いながら、王に視線を移す。その黒瞳にはどこか道化のような冷たさがあった。


「世継ぎの候補は二人だけ。もし、レイシア姫を殺したあとに、嫡男であるヴァルユート皇太子になにかあれば、そこでソニレの直系の血は断たれることになる。ここでも重要視されたのは血です。第一王子に何かあったとしても、レイシア姫が残ってさえいれば、直系の血は残すことができる」


 アンは口調は刺々しさがあった。しかし、王は先ほど一度だけこちらを確認してからというもの、完全に興味を失ったのか一度も視線を上げなかった。

 昔話を聞かされている間はそれでよかった。だが、我が子であるレイシアの話をしているのに、王は変わらず淡々とペンを走らせるだけだった。テルは流れる血が熱を帯びた錯覚を覚えた。


「本気で言ってるのかよ……」


 思わず数歩だけ詰め寄ったテルが、王を睨みつける。


「監禁して、自由も何もかもを奪っておいて、もしものときに子供を産ませるためだけにレイシアを生かしてたのかよ!?」


 ぴくりともしない白い髭の老人に、テルは怒鳴り声を上げる。ただ首を横に振らせるためだけにテルは叫ぶ。こうするしか術はなかったのだと、涙ながらに語るなら、テルは許せはしなくとも、同情はできたかもしれない。


「答えろよっ、自分の娘だろ。どうしてそんな家畜みたいな扱いができるんだ」


 許せないのだ。こんなことならレイシアは何も知らないほうがまだましだった。王族だから。責任のある立場だから。そう言ってレイシアにその境遇を押し付けて納得させて、反論も不満も封じ込めた。

 

「お前は……人を何だと思ってるんだっ!」


 最後まで、エルヴァーニ王はこちらに視線を上げることも言葉をかけることもなかった。テルは奥歯を強く噛んで、殴ってしまいたい衝動をぐっと堪える。


「国王は凡人とは視点が違うのです。レヴィトロイ家の願いが果たされれば、何百万という人が幸福になる。その為の必要な犠牲。それが王家の血を持つのなら、それを背負うのも当然というだけの話です。テルさんもいずれ納得します」


「俺が、納得……?」


 言葉から温度が失われたアンが平坦な調子で話す。子供を宥めるようでいて、理不尽を強いるその言葉で、頭の中でぷつりと音が響いた。


「俺が納得すると思ってるのかよ……!」


「……はあ、失礼。脱線しましたね。話を戻しましょう」


「話なんかもうねえよ。何で俺がここに呼ばれたかも、もう聞きたくない。お前たちがレイシアの敵だってことは、もう十分解かった」


 完全に袂が分かたれた。

 決別を宣言したテルは、二人に背を向けて、入ったのと同じドアに向かう。

 自分がここに呼ばれた理由が気にならないわけではない。しかし、アンがテルの記憶の手掛かりを持っていないというだけで十分な収穫だろうと、諦めをつけた。

 そんなテルに、アンは「え?!」と声を上げる。


「いや困ります。まだ全然話してないことがありますよ。それに、この状態を放置すれば、レイシア姫の存在が『契約』の魔人に知られてしまう。そうなってしまえば、この国の被害は計り知れない。っていうか、多分滅びます!」


 呼び止める声を無視したテルは、一言も発することなく、アンと王から遠ざかる。

 一刻も早くレイシアを見つけ出し、この国から逃げ出すと胸に決めた。ここで足を止めても時間の無駄でしかない。そんな立ち去っていくテルにアンが叫ぶ。


「わたしはこの国滅びを予見しました。遠くない未来、確実に滅びは訪れる。消去法で滅びの原因なんてレイシア姫関連しか考えられないのです! 圧力の魔人に囚われたのは不幸中の幸いです。『契約』がレイシア姫と接触する前に何としてでも姫の身柄を保護しないと─────」


「お前らは、そう言ってまたレイシアを監禁するつもりなんだろ。させねえよ。レイシアは俺が見つける」


 大きな扉を開いたテルが、去り際に振り返った。


「大儀のための、必要な犠牲なのです。百万の王都の命を、危険に晒すことになるんですよ」


 それでも引き下がらないアンは、国民の命を引き換えに脅しをかけた。災害の罪をテル一人に押し付けるような物言いでも、少しも心が動かない。


「レイシアが行きたい国にでも一緒に逃げるよ。魔人だろうが血脈だろうが、レイシアのやりたい事を阻むなら─────」


 テルは命に優先順位をつけた訳でも、国民を見殺しにするつもりもない。

 ただ、ほとんど選択肢のない二者択一を強制することも、大儀と託けて他者を蔑ろにすることも、全部が気に食わない。


「邪魔する奴は許さない」


 黒い瞳同士が鋭く交わり、テルは再び背を向けた。もう用はないと、その場を立ち去ろうとしたとき、重く乾いた声が背中に投げかけられた。


「貴様がか?」


 このとき、初めてエルヴァーニ王が、テルに対して言葉を発した。背中に重くのしかかるようで、今更緊張感が駆け巡っていたが、テルは意地でも振り返ることはしなかった。


「偶然居合わせたに過ぎない貴様が、何を成せるというのだ?」


 鋭い視線が背中に突き刺さった。恐らく敵意はない。敵として扱われてすらいない。テルに話しかけたのは、ほんの気まぐれだろう。そんな気まぐれで眼中にないしかし、耳障りに吠える小物に、ささやかな時間を割いたのだ。


 つくづく気に入らない。


「俺が誰であろうと、やることは変わらない」


 テルは、王に背を向けたままそう口にする。やはりエルヴァーニ王からの返事はなく、ペンが紙の上を走る音だけが聞こえた。


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