第3章33話 王族の呪い①
「何でソニレ王が……、っていうかどうして俺を呼んだんだ」
僅かな明かりしかない部屋で、ソニレ国王とアンと名乗った少女、そしてテルの三人が向かい合っている。テルの視線はエルヴァーニ王に向いていたが、国王は全くテルに関心がないようで、視線は手元の書類にあった。
テルの問いに答えたのは、黒い少女アンだった。車椅子を繰り、少しだけテルに近づく。そのときに前髪が揺れて、完全に隠れていた右目が僅かに覗いた。
「テルさんには、様々な事柄を知ってもらう必要が生まれました。この話をするためには、しきたりに従い、ソニレ国王が同席しなくてはならないのです。国王が言を発することはございませんので、どうぞ気楽にしていてください」
「……」
アンがにこりと笑みを浮かべた。本当に緊張を和らげようとしているのか、それとも揶揄っているのかの判別はつかなかったが、信頼を置いていいとは思えなかった。
「まず、記憶喪失のテルさんには、色々と知って頂かなくてはならないことがあります」
「何でそれを……」
「ふふん、わたしの『予見』の権能は過去や未来のことを色々と知ることができるんです。なのであなたのことはかなり詳しいですよ」
そういうと、アンの右目が名状しがたい色彩を放つ。そして、先ほどとは違い、わざと前髪を手で撫でて、テルに右目を見せつけるようにした。
そしてテルは息を飲んだ。アンの顔面の右目周辺は、グロテスクに肉が露出している。実際に破壊を受けたのではなく、彼女の特殊な右目が、アンの肉体に悪影響を及ぼしているのだと、すぐに想像がついた。
そんなテルの驚きを意に介さず、アンは続ける。
「リベリオ特位騎士に拾われ、魔人と戦い、師を失ったこと。ニアという少女を巡って異能者と戦ったこと。そして今現在、レイシア姫を攫い、魔人と皇太子の二人を下して今ここに立っていること」
「……」
自らの権能を証明するためか、テルの足跡を自分の事のように話すアンは、そこまで言って、手で口を覆うようにした。
「でも、不思議です。あなたが持ちえない記憶より前、つまり記憶を失う以前のあなたの動向がまるで掴めない。わたしの予見の目をもってしてもその人の過去を探れないのは初めてです。考えられるなら、長距離の空間を瞬間的に飛び越えてきたか、はたまた時間を飛び越えてきたか――――――」
憶測を一つずつ挙げていくアンが、じっとりと張り付くような視線をテルに向ける。自らの動揺を悟られないように、ポーカーフェイスを貫いていたテルの心臓が大きく高鳴った。
「あるいは、別の世界から来た、なんてこともあるかもしれない」
「そんな、ことまで……!」
信頼を置いた三人。ニア、カイン、セレスの三人にしか教えていないことを、いともたやすく言い当てられたテルは、思わずその驚きを口に出してしまう。
アンは、「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。
彼女の言い草から、記憶喪失以前のことを知っているわけではないことはわかった。しかし、それが未来永劫見えないと決まっているわけでもなく、現時点でアンが最もテルの記憶に近いと言えた。
もし、アンの協力を得ることができたなら、テルの記憶だけでなく、ニアの呪いにも大きく近づくことができるだろう。そして、反対に敵対することになれば、どれほど強大な存在になるか予想もつかない。
そんな恐るべき力を持つ『予見』の巫女を前に、テルの緊張感は並々ならぬものになっていた。
「わかり易い反応をありがとうございます。こちらとしてはあなたの過去にはそれほど興味はありません。先ほども言ったようにわたしは語り部。あなたが知らなくてはいけないことを、確実にあなたに伝えるのが使命であり、何かをだしにしてテルさんの行動を掌握しようなんて意図はありません」
アンは、一度咳払いをすると、「では、本題に戻りましょうか」と居住まいを正す。
「そうですね、まずは……ソニレ王家の悲願について語るとしましょう」
アンはそう言うと、エルヴァーニ王の方をちらりと見た。何がトリガーになったのか、いままで我関せずを貫いていた王も、ぴくりと眉を上げて、一瞬だけ目線だけをアンとテルに寄越した。
「ソニレ王家は千年にも及ぶ統治のなかで、一度としてその血脈が途絶えたことのない一族でした。その尊き血を持つ彼らには、大いなる目標がありました。—————それは、借り物の王座を、真の主に還すこと」
「真の主……?」
知らなければいけないことがあると言われ、わざわざ王城までやってきたテル。しかし、アンが話し始めたのは、自分には全く関係のない国王の願いだった。それがいずれレイシアの話と繋がるのだろうかと口を閉ざしていたテルだったが、予想だにしない悲願に、思わず耳を疑った。
歴代のソニレ王たちは自ら玉座を明け渡すために、千年もの間、ソニレ王国を守り続けてきたというのだ。
「千年近くこの国を収めたレヴィトロイ一族でしたが、初代国王は、レヴィトロイとは全く別の人物でした。深い事情は省略しますが、初代国王は禁忌を破ったことをきっかけに退き、王位をレヴィトロイに譲りました。しかし、レヴィトロイの忠信はそれを許さず、今でもソニレ国王の真王の復活を望んでいるのです」
「どうして、そこまで……」
「ソニレ真王は、全ての民が例外なく幸福を謳歌できる『約束の理想国』を創ることができる唯一の御方だからです」
約束の理想国。あまりに大仰な目標にテルは豆鉄砲を食らったような気分になる。
それならば、千年もの間の国王たちが必死になるのだと納得はできる。しかし、テルがその目標を聞かされ、共感したり感化されたりはしないだろう。むしろ、胡散臭さが拭い切れない。
そんなテルとは反対に、アンが頬を硬くし、声音が少し低くなった。
「しかし、あるときレヴィトロイ一族の大願に大きな障害が生まれました。彼らの血脈は、魔人によって呪われたのです。ここからの話はレイシア姫にも関係します」
伏し目がちだったアンとテルの視線が交わる。
「獣国ソニレ、なんて汚名を被せられた我が国は、皮肉にも魔獣のおかげでここまで発展したことはあなたも知っていますね」
「魔獣が大量に表れて、その魔石で儲かってるからって……」
テルは過去にリベリオとカインから聞いた話を、思い出すように口にすると、アンは「それが全てという訳ではないのです」とゆっくりと首を振る。
「これは五百年前、獣……正確には『契約』の魔人が一方的な要求を突きつけたことに起因します」
『契約』。その忌々しく恐ろしい名前に、テルは息を飲んだ。それはリベリオの命を奪った張本人で、ニアの呪いに深く関与している可能性が高い存在だった。
テルが黙っていると、アンは目を閉じてすっと息を吸った。
「『我らによって得る、過去と未来の繁栄の対価として、王は一代につき、一人、子を生贄として自らの手で屠ること』」
一息でその言葉を言い切ると、アンは再び物憂げに眼を開く。
「『契約』なんて名前を冠しておきながら、一方的な制約を強要する悍ましい魔人を前に、当時の国王ギュラ・レヴィトロイ・ソニレも成す術を持ちませんでした」
『契約』の魔人の使う、『契約』の異能は、間近で目撃したテルにさえ、その原理も理屈も理解が及ばなかった。そんな悪辣で理不尽な魔人に対し沸き立つ憎悪は、アンも声音からも漏れ出ていた。
「ギュラ王は秀でた治世を行ったことと、最も凄惨な戦争で多くの国民を死に追いやった狂王として、ソニレの歴史に名を残しました。言うまでもありませんが、魔獣との戦争です。その戦いは三年にも及び、最後に王は生まれたばかりの四男の首を晒したことで戦争は収まりました。こうしてソニレ王家の血筋は魔獣に契約をしました」
忌まわしき歴史を語り終えたアンは、テルから視線を外し、寝台で執務を続ける王に目をやった。そして、テルは、アンから続けて発せられる言葉に見当がついてしまった。
「エルヴァーニ王もまた契約のせいで、同様に自らの御子を手にかけなくてはならなりませんでした。|それがレイシア姫だったのです《・・・・・・・・・・・・・・》」




