第1章8話 兄弟子との折り合い
家に帰るころにはすでに日が沈んでおり、リベリオとテルが丘を上がっていくと、家の前に逆光に照らされた人影があった。
ニアとは違う男性のシルエットで、誰だろうかと思っていると、リベリオが声を上げた。
「悪い、思ったより時間がかかった」
「夕方に待ち合わせだったはずですよね? 師匠はいい加減さには慣れてるので気にしませんけど」
二人を向かい入れたのは、テルと同じか少し上くらいの歳の少年だ。金髪を柔らかく撫でたような髪型と目を引く碧眼は、明かりの少ない夜でも際立っている。
たっぷりの皮肉と、あえて好まない敬語で出迎えられたリベリオは「まあまあ」と窘めるようにし、少年は「まったく」とため息を付いた。
「こいつは俺の一番弟子のカイン」
振り返ったリベリオが簡潔に紹介し、テルはつい「え」と声を上げた。
いい加減なリベリオが誰かの師匠になれるとは。そこまで考えて自分の立場がまさしくそれであることを思い出した。
「テルです、よろしく」
驚きを抑えつつ、馴染んできた名前で自己紹介をする。
「新しく取った弟子だ」
リベリオの補足にカインは目を見張った。そして、真顔で手を見て、次にテルの目を見てから、爽やかな笑顔で手を握り返した。
「カイン・スタイナー。君の歳は?」
訊かれたテルは「十七」とあらかじめ決めていた年齢を答える。
「俺のほうが一個上だけど、呼び捨てでいいし敬語もいらないよ」
「わかった。よろしく、カイン」
「この後の話は飯を食べながらにしよう」
リベリオはそういって先に家に入っていく。テルとカインは互いに顔を見合わせてからリベリオについて行った。
「血まみれで記憶喪失で居候って……壮絶だね」
カインは憐憫と驚愕の表情でテルを見た。
四人での夕食の最中、初対面のテルとカインは身の上話をしていた。このときリビングのテーブルは初めて四つの席が満席になり、賑わいを見せていた。無表情のニアも顔を上げ会話に意識を向けている。
「記憶喪失なんてもんじゃない。文字も常識も全部抜け落ちてる。成長してきた体で生まれてきたってレベルでまったくの無知だ」
多くの面倒をかけられたリベリオの言葉は厳しく、テルは申し訳なさが湧きあがった。
「それで、今日はどうして呼ばれたの?」
カインは先ほどの皮肉ではなく、平常のタメ口でリベリオに問う。自然とテルもニアもリベリオのほうに目を向ける。
「一か月も経ってから、自己紹介だけって訳じゃないんだろう?」
「ああ」
リベリオは頷くと、テルとカインを順番に見た。
「カインにはテルの面倒を見てやってほしいんだ」
「赤子の相手をするような言い方はやめてくれ」
テルへの揶揄いに対する非難をすると、リベリオが声を上げて笑う。
「その赤子が魔獣狩りになりたいって言ってるんだ。兄弟子として世話をしてやってくれ」
勢いづいたリベリオが、テルを言いたい放題にバカにした。テルは怒ってそっぽを向き、カインは同情を滲ませる曖昧な笑みを浮かべる。
「それくらいなら構わないよ」
快諾したカインは、赤子扱いでへそを曲げているテルの肩を、元気づけるように叩いた。
「リベリオに振り回されるもの同士、仲良くやっていこう」
「カイン……」
カインの爽やかな笑顔と言葉の裏に、筆舌に尽くしがたい苦労があったのが伺える。
視線を交わすと、何も言わずに二人は硬い握手をした。同じ立場の人がいるだけで、これほど心強いとは思わなかった。
「しばらくの稽古はカインがつけてやってくれ。狩場に連れていくかどうかの判断は任せる」
「俺が認めたら第二試験突破って訳だ」
「石柱砕きで終わりじゃないんだな」
まだ魔獣狩りの実戦はまだ先のことだとわかったテルの胸に、もどかしさが込み上げた。
--・--・--・--
翌日、テルとカインは傾斜がなだらかな丘の上で木刀を持って向かい合っていた。
既に打ち合いは終わっていて、膝をついたテルがカインを睨みつけている。
「どういう、つもりだよ……」
鳩尾を打たれたせいで不安定な声を漏らしたテルに、カインが嘲るように笑った。
「テルは魔獣狩りに向いてないよ。別の働き口を探すといい」
「……くそっ」
カインの悪意の籠った言葉に、テルは奥歯をぎしりと噛む。
「まずは実力を測る」
そう言ったカインだったが、テルが仕掛けるよりも早く、カインが強烈な打撃を叩き込み、テルを立ち上がれなくなるまで痛めつけたのだ。
これでは稽古もへったくれもない。
「だから言っただろ、俺を納得させられたら合格だって」
昨日とは一転、別人のような態度で手厳しく言い放つ。
「俺を実戦に連れて行くつもりなんて、初めからなかったのかよ」
「なんだ、物分かりがいいじゃないか」
そう言って、背を向け立ち去ろうとするカイン。テルはカインが置いていった木刀を投げつけるが、直前で振り向いてそれを回避する。
「帰す訳がないだろ」
「立てるのか。手加減しすぎたな」
貼り付けたような笑みを消し去ったカインが落ちた模擬刀を拾うと、地面を蹴って急接近し、テルの胴に一閃を見舞わせる。しかし、テルは間一髪自分の木刀を滑り込ませてそれを防いだ。
「そんなに俺が気に食わないのかよ」
バランスを崩しながらも、テルが声を上げる。
「別にテルのことは何とも。ただ都合が悪いってだけだよ」
「都合?―――くっ!」
続くカインの蹴りで、丘の斜面を転がるテル。起き上がったところに追撃を加えるカインに横薙ぎを放つが、簡単に躱される。
「そもそも、なんで騎士なんてなりたがるんだ? 下位騎士は競争が激しいからずば抜けた才能がないと碌な稼ぎにならないぞ。どうしてそんなに魔獣狩りに拘るんだ?」
「……っ」
痛い所を突かれた、というわけではないが、自分でもはっきり言語化出来ていない部分を指摘されると、テルには反論する言葉が見当たらない。
見上げなくてはならない位置に飛び退いたカインは、言葉を詰まらせているテルに呆れたように肩を竦める。
「生半可な気持ちでやると後悔することになる」
「余計なお世話だ!」
「お世話を焼かせるほど弱いテルが悪いんだよ」
落ち着いた調子で発せられる言葉は、挑発よりも警告に近い。だが、テルはそれさえも腹立たしかった。
「なら、黙らせてやるよ」
「ふんっ。お前の心が折れるまで、付き合ってやる」
まさに、売り言葉に買い言葉。
異能をカインに知られないまま格上の鼻を明かす。難易度は高いがそれを乗り越えなくては前に進めない。
テルは歯を噛み締めて、模擬剣を構えた。
「まだやる?」
地面に転がるテルが時間をかけて起き上がるのを、カインは見下しながらそう口にした。
その問いにテルは黙ったまま、血の混じった唾を吐き捨てて剣を拾ってカインに向ける。
テルが飛び掛かっては、軽くあしらうように強烈な一撃を見舞われるのを幾度と繰り返し、全身が青あざと血と土に塗れている。
気絶しないように痛めつけることを目的とした悪辣な一撃一撃は、テルの心を折るためのものだった。
テルは剣を構え、朦朧とした足取りでカインに切りかかる。しかし、カインはあっさりと身を翻すと、テルの髪を鷲掴みにし、そのまま鳩尾に膝蹴りを入れる。
満足に空気を取り入れることができず喘ぐテルのまえで大きな欠伸をする。
「もう飽きてきたんだけど」
ぜえぜえとみっともない音を立てながらそれでも立ち上がろうとするテルに、カインは辟易したように眉を寄せた。
「逃げ、るのかよ」
「お前馬鹿だろ」
やっと木刀を持ち直したテルが上げた顔に握った拳で殴る。もはや剣さえ必要ないといわんばかりの暴行を加える。
テルはぐったりと力なく地面に伏し、カインはため息をついて踵を返した。
「ほら、診療所まで連れてってやるから、もう終わ―――」
カインがそう言いかけたとき、背後から地面をかける足音の存在に気づく。
「不意打ちか」
振り返ると、地面を蹴りあげ、これまでで一番の加速をするテルが渾身の一撃を放つ構えをしている。
カインは僅かに目を見張るも、即座に反応し模擬剣を掲げた。
テルの一撃を防ぎきり、反撃に転じる。
ガンと弾けるような音が二度響く。しかしその二度目でテルは大きく隙が生まれ、カインの剣技はその瞬間にテルの剣を絡めて奪った。
カインはため息と失望の眼差しをテルに向ける。が、おかしい。
戦う術を奪ったテルの目から闘志が溢れている。それどころか素手でこちらに向かって飛び掛かるような勢いだ。
自分の口で負けを認めさせたかったが、仕方ないか。
そうしてカインはテルの意識を奪う一閃の準備を整えた。
しかし、テルはこちらの間合いに入るより先に右掌をカインに出す。
カインが動き始めると同時に、テルの手から赤い煙が噴き出した。赤い煙はあっというまに周囲に広がると、カインは凄まじい勢いで咽始めた。
「げふ、げ、ごほっ、お、おえぇ!? なん、だこれ!?」
カインの眼と鼻と喉は激しい痛みに苛まれると同時に分泌できる体液が大量に湧き出る。
テルがカインに放ったのは、唐辛子増し増しの目潰し粉の改良版だ。
カインはなんとか赤い煙を振り払い、涙で溢れる目で辛うじてテルを捉える。するとテルの手には奪ったはずの木刀が握られている。
「おらぁっ!」
目潰しで完全に体勢が崩れたカインに、テルは一切の容赦を加えず、袈裟切りにする。鈍い打撲音と、カインのうめくような声が漏れた。
「今のはお前を黙らせるためのもの」
ふらつくカインに、テルは戦意を緩めず剣を握りしめる。
「そしてこれは、腹いせだあっ!」
そう言ってさならなる一撃をカインに放つ。しかし、剣は何に命中することもなく空を切り、代わりにテルの視界いっぱいに空が映り、浮遊感に包まれた。
「えっ?……ぐはっ」
言葉を発する間もなく、テルは地面に背中から落ち醜い悲鳴を上げた。
何が起きたのはまるでわらない。カインはテルを切るどころか動いてすらいないのに、テルは宙に投げ出された。
「目潰しで勝ってうれしいかよ」
鼻水と涙を垂らしながら、カイルが言った。
地面に大の字になって倒れるテルは「ざ……まぁ」とテルが絞り出すように洩らした。
「くそ、勝手にしろ」
テルのほうが圧倒的に傷だらけだが、カインの鼻を明かして、勝利を掴み取ったのだ。
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「酷い目にあった」
まだ赤みが引かない目をしたカインがぼそりと呟く。
「お前が意地悪しなきゃこうはならずにすんだんだよ」
「はいはい、悪かったってば」
水浴び場でテルが悪態をつくとカインは面倒そうにあしらった。
丘での長丁場の喧嘩が収まった二人は、村まで足を伸ばし、テルは血と土を、カインは顔に付着した唐辛子成分を水で洗い流していた。
水浴び場は村の共同浴場のようなものだが、銭湯や温泉ほどゆったりはしておらず、冷たくも温かくもない水が噴水から延々と流れているだけの簡単な作りだ。
「……いてっ」
傷口に水が沁みて、テルが顔を顰める。カインの手加減が上手いのかテルに大きな怪我はなく、その代わりに全身が痣と切り傷だらけになっていた。
丘から村までもそこそこの距離があり、徒歩での移動も悲鳴を押し殺しながだった。
「なあ、神聖魔法を受けれる場所ってないの」
テルは人狼に襲われたあと、ニアの神聖魔法で助けられたことを思い出し、カインに尋ねる。診療所や病院のような場所があれば丁度いいのだが。
「その程度で……、いやなんでもない」
「そこで引っ込めても、もう手遅れだろ」
カインのわざとらしい物言いに、テルは眉をヒクつかせている。
「仕方ないな、少し歩いたところにあるから案内するよ」
カインは親指で水浴び場の壁の向こうを指して、そう言った。
「そういえば、テルのあれは魔法なのか?」
水浴び場からでたときにカインは呟くような声でテルに聞いた。
テルは僅かに肩がびくりと飛び跳ねたが、動揺を悟られないように努める。
「べ、別に使っちゃダメなんてルールなかっただろ」
「そうじゃなくて、あれ異能だろ」
じっと視線を向けるカインと決して目を合わせないようにするテルは、横並びになって人気のない道を歩く。
「いや、土魔法だよ」
リベリオに言われたとおりの言い訳をするが、カインの怪訝そうな顔はまだテルを逃さない。
テルはリベリオの言いつけ通り、極力この異能のことを誰にも話さないようにしており、それはカインも例外ではない。
「鉄はまだ理解できる。でもどうやったら土魔法で唐辛子を作れるんだ?」
「そ、そういう鉱石があるんだよ」
無茶な言い訳にテルの口角が変な形に歪むと、カインがため息をつく。
「その話、もうリベリオに聞いてるから。普通に話を聞きたいだけなんだって」
「それならそうと先に言え……よ」
テルが苛立たし気にそう言ってやっとカインと目を合わせた。そして目に入ったのはカインのほくそ笑むような、テルの苛立ちを煽る表情だ。
「カマかけやがったな、お前」
「はーん、異能者か。記憶喪失に異能って胡散臭いにもほどがあるだろ」
「わかってるよ、そんなこと」
そういってテルはカインから顔を背けた。
そしてテルは少し怯えるようにカインを横目で見る。
「異能者ってそんなに嫌われてるの?」
「嫌うっていうより不気味がられるっていうほうが近いけど、まあそうだね」
「なんで?」
平気な顔をしているカインに、テルは真っ直ぐ疑問をぶつけた。
テルは人前で異能を使い、石を投げられた経験などないが、嫌われる程度と理由くらいは知っておきたかった。
「リベリオは教典がダメっていってるからとは聞いたけど」
「それもあるだろうけど、異能は魔人が使うものっていう印象が強いからね」
「そうなの!?」
「いや、なんで聞いてないの?」
初耳の事実に驚くテルに呆れたような顔をするカイン。テル自身、己が無知に言い訳をする気はないが、今回のような重要な知識の抜け落ちは完全にリベリオの監督不行き届きである気がしてならない。
「カインは俺の異能が怖くないの?」
異能者だとわかっても態度に変化がなかったカインに尋ねる。すると、カインは短く鼻を鳴らした。
「いやいや、弱いテルにどうして怖がらないといけないんだよ」
「こいつ……」
不安がるテルの気持ちなどお構いなしに舐め腐った物言いで、テルの額に青筋が浮かぶ。
「ていうか、その異能なにができるんだ?」
「教えてやんない」
「なんだよ意地が悪いな」
カインが口を尖らせると、「さ、ここだ」と簡単な石造りの建物を指さした。
「すごいな、すっかり傷が治った」
診療所をあとにするテルは、痛みがなくなった体のあちこちを動かす。
ここに来るまで痛む腕をさすりながら絶対折れてるとカインに非難していたが、体が全快すると、
「すぐに治ったのは軽度の傷しか無かったからですので、大きい怪我をしないようにしてくださいね」
と医者に言われ、大げさな勘違いをしたテルは恥ずかしい思いをした。
テルが空を見上げると夕暮れには早いがしっかりと日は傾いていた。ここから、家に帰れば、きっと夜になっているだろう。
「約束通り、明日は狩場に行こう」
分かれ道でテルに背を向けたカインは、何ともないように言った。
喧嘩を始める前にルールなんて作っていないので、カインが頑なに負けを認めなければ、テルの現状はそのままだった可能性もあった。しかし、そのような横暴はカインのプライドが許さなかったのだろう。
テルが頷いたのを見ると、カインは「じゃ、また」とリベリオの家とは反対方向に歩き出した。
一人になったテルは、急に込み上げた疲労感でため息をついた。
カインに対して思うところは多い。何の理由でテルの邪魔をしていたのかわからないのに、一度勝負が着いたら、もうどちらでも構わないというような態度だ。
テル自身、カインにはかなり憎たらしい気持ちがあるが、完全に悪い奴かと言われると、面倒見もよくそうでもないと思ってしまう自分がいる。
「よくわからないなら、よくわからないでいいか」
嫌いな人間相手に、仲がいい振りをして過ごすことができるほどの度量があるか自分では判断しかねるので、その時の自分の気分に委ねるしかない。
「とにかく、明日は初めての魔獣狩りだ」
そうひとりごちると、テルの足取りが少し軽くなった。少しでも前に進んでいる自分がいるとわかり、燻っていた焦燥をその時は忘れることができた。
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