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第3章28話 飛翔

 ゼレットは他の圧力同様、気圧を操ることもできた。

 零気圧、すなわち真空を生み出してしまえば、他者を窒息させる一撃必殺の技となるが、実際はそう上手くはいかない。それは普通の状態から零気圧にするまで、短くない時間を必要とするからだ。

 真空を作ろうとしても、その思惑を看破され、逃げ出されてしまうだけの、見掛け倒しの技術。


 そこで圧力の魔人が見出したのが、『爆縮(インプロ―ジョン)』という現象だった。


 一定範囲の真空状態を維持し、それを解除したとき、周囲の大気が一気に真空だった空間に押し寄せる。そうして生まれた衝撃波は、凄まじい破壊を齎す。


 また十全に爆縮の威力を発揮するために、ゼレットは三つのドーム状の層を作りだしていた。

 一つ目は外側にあり、爆縮の威力を高める超高気圧の層。 

 次に中間にあり、爆縮に必須となる真空の層。

 ゼレット含めた三人がいる内側の層は、手の内を見透かされず、かつ、爆縮の威力を高めるために、徐々に気圧を下げていく低気圧の層。


 そうして、魔人の最大の破壊力を持つ攻撃は炸裂した。



「思ったよりしぶとい─────いや、何か細工をしたのか」


 膝を着いてなお意識を保つテルとヴァルユートを、ゼレットは興味深そうな視線で舐めるように見た。


 テルの行動は、細工というにはあまりにも安直だった。

 真空下での窒息を恐れたテルは、即座に空気を『オリジン』で創り出した。酸素や窒素なんてものを作った経験はなかったため、一発勝負だった。

 結果的に、内側の層の気圧が、ゼレットの想定よりも高くなったため、爆縮の威力が激減したのだった。


「それでも、形勢は逆転だ」


 上機嫌なゼレットの言葉に、誰も否定の言葉を紡がない。代わりに渦巻く魔力が魔人の優位を認めまいと牙を向いた。力の抜けていく体に魔力を送り込んで強引に稼働させる。筋肉や骨が悲鳴を上げても、それも魔力で黙らせた。



 宙で電気が弾けるような音が連続する。

 空気を周囲に生み出したテルよりも、爆縮の衝撃をもろに浴びたヴァルユートは満身創痍だった。

 

 勝機などない最後の足掻きを前に、ゼレットは思わず吹き出す。


「どれだけ魔力を振り絞ろうと、君の電撃がボクに届くことなんて────」


 しかし、ヴァルユートの表情を目にして、ゼレットは口を噤んだ。

 ヴァルユートは電撃を放つばかりで使っていなかった剣を引き抜いた。その目に敗北の気配はない。


 力を入れるのもやっとの体で、ヴァルユートは切っ先をゼレットに向けた。その構えは剣の構えではなかった。上半身全てを使い、刀身を固定するその様は、まるで砲台のようだ。

 

 まずい。 


 耳元で死神が囁き、ゼレットは咄嗟に体を翻す。


叛典(アンチシュトラ)回紀流星(プロトノヴァ)


 短い詠唱は、ヴァルユートの周囲の魔力を爆発的に増幅させる。しかし、それがゼレットの方まで及ぶことはない。


 ただ、電撃ではない、電気に由来する何かが、ゼレット目掛けて射出された。


 煌々と輝く光の筋は、音よりもずっと速かった。

 光線に遅れて届く、耳をつんざく爆音と、痺れるような衝撃波。魔法を用いた魔法ではないその攻撃は、公園だった更地に、さらなる傷跡を生み出した。


 ヴァルユートの持つ宝剣は、中央の窪んだ、特殊な形状をしていた。それはまるで銃身のようで、弾のような何かが、電気によって打ち出されたのだ。ゼレットが知る由はないが、テルは今の攻撃が『電磁砲(レールガン)』であったと遅れて気づく。


 咄嗟の判断で回避行動に出ていたゼレットは、奇跡的に電磁砲の直撃を免れていた。しかし、生み出された衝撃波を浴びただけで、後方に吹き飛ばされており、直撃していれば命を落としていただろう。


「次だ」


 ヴァルユートは舌打ちと共に、次の銃弾を宝剣に嵌める。

 次躱されるかはわからない。当たれば終わり。


 再びヴァルユートが莫大な魔力を編み、その電力を宝剣に集める。

 照準は確実にゼレットを捉えている。少しでも動けば、魔人が仕掛けるより先に撃ち抜かれるだろう。


 ならば、その電気を妨げればいい。


「君の敗因は、一撃でかたをつけられなかったことだ」



 ゼレットの言葉と同時に、その背後にあった噴水のなかの水がうねった。


 突如として荒ぶる水は、そのまま噴水の壁を突き破り、津波のように流れ出した。


「くッ!?」 


 あっという間に水が足元まで至り、苦渋の表情を浮かべるヴァルユート。水に触れたことによる漏電で、自らが纏う電力が著しく低下していき、電磁砲を放つことができない。



 そして、少し離れた位置で傍観に回っていたテルは、津波の接近と同時に、自らの敗北が近づいていることを悟った。


 噴水の水が急に荒ぶったのも『水圧』を操ったためだろう。そして、その一手を選んだゼレットはいくつかの思惑があった。

 押し寄せるあの波には、ヴァルユートから漏れ出た電流が迸っている。本人はもちろん、零魔力圧の障壁を持つゼレットにもその電流が効くことはない。


 そう、ただ一人、テルだけが、あの波の到来とともに敗北する。


 テルのなかで、時間がゆっくりと流れる。 


 負ける。このまま負ける。なにもできないで負ける。レイシアを助けることができないまま終わってしまう。


 そんな焦燥は、テルの悪夢を呼び起こす。

 リベリオが死んだときの何もできなかった自分。ノーラントに敗北したときの浅はかな自分。

 自分に力がない。そんなことは嫌というほど突き付けられ、そのたび二度と同じ思いはしたくないと鍛錬を重ねた。


 なのに、また負ける。

 ここでもう終わり。


 スローモーションで迫りくる波は、またテルを苛む絶望となるのだろう。現実が近づく。諦めを強いられる。このまま終わる。


 そう、今のテル一人(・・・・)では、確実に終わってしまうのだ。


 諦めのような悟りに至った思考は、いままで頑なに向かい合おうとしなかった、一つの事実を直視した。


 唯一、ここ窮地を脱する方法があるとすれば、それは()の力を使うことだけだ。


 テルのなかにいる、テルではない誰か。


 ノーラントとの戦い以降感じていた────否、異世界に来てからずっとわかっていた(なに)かの因子。


 自分が自分でないことを認めるのが怖くて、自分が侵食されていくのが怖くて、ずっと認めたくなったその事実に、テルはやっと向き合うことを決意する。


 弱いままの自分なんて、今ここで捨て去ってしまうべきだ。


「『剣の輪舞曲(ソード・オブ・ロンド)』」


 口を突いて出た詠唱で、今まで持ち合わせていなかった感覚が、無理矢理に覚醒させられる。


 黒い砂が舞って、テルの背丈よりも大きな剣が形作られていく。


「『飛翔』」


 創られた大剣は、そのまま浮き上がった。

 詠唱の通り、重力に囚われることなく宙に浮き続け、テルは躊躇なく大剣に飛び乗った。

 

 電流を内包する津波は、そのままテルの眼下を通り抜けていく。


 急ごしらえの異能の一端、慣れない能力に脳みそが痛みと熱を発する。


 しかし、脅威を超克したテルの視界は広々として澄んでいた。


「その異能ッ……!」


 ヴァルユートが目を丸くしてテルをまじまじと見ている。想定が外れたゼレットもまた、目を見張り、驚きを隠せずにいたが、やがて開き直ったように声を上げて笑った。


 魔人の全方位に向けた破壊と、皇太子の音さえ置き去りにした一閃。そして、異能使いの空中浮遊という奥の手は、一人の脱落者のないままの浪費に終わるだろう。だからこそ、戦いはこれからなのだ。


「切り札は出揃った。ここからは、しのぎの削り合いだ」


 ゼレットの怒号が響き、全員の視線が険しさを増した。

 三つ巴の戦いは、終幕が近づいていた。

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