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第3章23話 偶然の行き着く先②

 城を出て、まだ数日しか経ってないというのに、雑踏の中を上手く歩き抜けるレイシアの胸はどこか安堵していた。大勢の人ごみにもまれていると、どこか自分の悩みが希釈していくような心地よさがあり、これもまた自分がかねてから切望していた人の温もりであるような気がした。

 外の世界を数日分しか知らないレイシアにとって、密集する人に紛れることが、何とか見出した“一人になって悩み事に耽る場所“だった。


  疲労を覚えたレイシアは、植木のふもとになにげなく座って、少しだけ休憩を取った。喉が乾いたが、どこにも水を買えそうな場所はないので、すぐに諦めた。


 レイシアの中には幾つもの悩みが同時に、複雑に渦巻いていた。


 自分のこと。ニアのこと。テルのこと。


 ふと、テルに助けてもらう前の頃を思い出したレイシアは、我ながらその楽観さに、周りに人がいるというのにわらってしまった。


「助けに来てくれた王子様には、もう別のお姫様がいるなんて思ってもみなかった」


 自嘲すると、自分のなかの虚しさが、木霊して、虚しさに拍車がかかる。

 

 十五年間、同じ部屋で過ごし続けていたレイシアにとって、本の中は唯一の逃げ道だった。レイシアはそのなかでも、ロマンス小説を好んで読んでいて、そのジャンルであれば、国内のものは全て読んだという自負さえあった。


 レイシアはいつも、かわいそうなヒロインに自分をあてはめていた。そして、そのヒロインが幸せになると、それ以上に喜び、気分の晴れない終わり方をすると落ち込んで、好みのハッピーエンドの小説を読み返していた。


 レイシアは、辛い思いをしている私も、いつか小説のヒロインのように報われる日がくるのだと、自分を鼓舞し、つまらない日々を生き延びてきた。


「簡単に幸せにはなれないようにできているんだ」 


 レイシアの望みが、高望みなのか、些細な願いなのか、あきりたりで取るにたらないものなのか、自分で判別することができないのは、人生経験のなさゆえだろう。


 好きな人と結ばれて、友人と仲良くあり続けたい。たったそれだけのことだったのに、下手をすると全てを損なってしまいそうだと、レイシアの直感が警鐘を鳴らした。


 テルとニアの間には、ただならない信頼関係がある。レイシアがどうあがいても届かない絆が。


 そんな卑屈な考えに浸っても、テルがレイシアのことを考えていてくれたことは嬉しかった。


「きっとあれは人たらしなんだろうな」


 ほんの少し仲良くなっただけで、相手の幸せを願ってくれるような、優しい人。だからこそ、嫌われたらきっと立ち直れないだろう。



————俺は、君の新しい旅立ちに憂いも後ろめたさも持っていて欲しくないんだ。



 震えるテルの言葉を思い出す。レイシアにこれ以上の苦悩を押し付けるか否かを葛藤したうえで、自分をエゴだと断じたうえでの、それを、レイシアは心遣いだと受け取った。


 でも、あんな質問をされてしまったら、失望されたくないレイシアは、本心を話せるわけがない。だから、何も知らないでいてくれればよかった。


 しかし、事情が変わってしまった。


「私に自由を与えてくれた人が、私の代わりに、この先の憂いを全て背負ってしまう」


 レイシアが背負うはずだった後ろめたさも、肩代わりしてしまう。それに、今の心の内がテルに伝わったとしたら、自分は失望される。


 例え、自分のせいで———否、自分一人を引き換えに、|何万という知らない命が失われても《・・・・・・・・・・・・・・・・》、心の奥底では他人事に感じてしまうのだから。


 私が不自由を強いられることで、窓の外の人たちが自由と平和を手にしたのなら、そんなもの全部ぼろぼろになってしまえと、何度考えたかわからない。


 子どものまま、ただ体が大きくなっただけのレイシアは、稚拙な我儘を捨てる道理をまだ見いだせていないのだ。


 私から奪うだけで、私になにもくれなかった人のことなんて、心の底からどうでもいい。



「あーあ。もう、八方塞がりだなぁ」


 テルと一緒にいたい。ニアと友達でいたい。この国を離れたい。テルたちに事情を知られたくない。嫌われたくない。


 諦念が込み上げる胸を(なだ)めるように、空を仰ぐ。


「もう一人で逃げちゃおうかな。それで、逃げた先で別の運命の人を探すんだ」


 やけっぱちに口にすると、それがどこまでも実の込められていない戯言だと、すぐに自覚した。

 口ばっかりで、どうせ一人でなにかを踏み出すことなんて出来ない。どんなに苦しくても、あの部屋から結局逃げることができなかったレイシアには、土台無理な話なのだ。


 それとも、レイシアを取り巻く問題を全てテルに取り除いて貰おうか。


「うふっ、馬鹿みたい」


 自分の愚かさを笑う。それこそ不可能な話だ。もし、全てを打ち明ければ、テルが余計に罪悪感を持つか、自分から逃げ出すかのどちらかだと、決まっている。


 だって、レイシアを縛るのは、|数百年に渡りこの国に降りかかる呪い《・・・・・・・・・・・・・・・・・》なのだから。




 歩き疲れてなお、徘徊を続けたレイシアはいい加減、家に帰ろうかと思い始めていた。

 突然、家を飛び出したレイシアをニアとセレスも心配しているだろうし、テルはいわずもがなだ。


 道を歩いていたら、探しに来てくれたテルとまた巡り会うなんてことを、夢見ながら大通りをあるいている。


「お嬢さん」


 自分を呼び止める声に気づいたレイシアが、振り返る。


「ぁ……」


 小さく声をもらしたのは、見たことがある人物で、絶対に遭遇したくない相手だったからだ。


「流石エリートのボク、天運にも恵まれている」


 『圧力』の魔人、ゼレット。あの花畑で、レイシアに絶望を与えた張本人だ。

 レイシアはすぐに走って逃げ出そうと足に力を込める。しかし、即座に手を掴まれた。すぐに振り解こうと腕に力を入れようとしたが、急に立ち眩みが起こって、自力で立っていられなくなる。


 バランスを崩したレイシアの腕を引いた魔人は、その胸で華奢な体を受け止める。


 大声も出せない現状、傍から見たら、男女がいちゃついているだけで、大事がおきているとは思うまい。


「手荒な真似をご容赦ください。さあ、麗しの姫君、ご同行くださいませ」


「私を殺すの?」


 レイシアは震えた瞳で魔人の顔を窺う。ゼレットはにこにこと陽気な笑みを浮かべていたが、魔人なら群衆のなか、こんな表情で人を殺すだろうと、なぜか納得がいってしまう。


「いえ、多分殺されないと思いますよ?」


 しかしどういうわけか、ゼレットはレイシアの問いに疑問符を浮かべた判然としない返答をした。


「ボクはただ、レイシア姫をとある場所に連れていくのが使命ですので、それ以上のことは知らないのですが、わざわざ『連れてこい』なんて命令を下しているのでそう簡単に殺されないのではないでしょうか」


 長々とレイシアを殺さない理由を説明しておきながら、そこに確証はない。


「拒否権なんてないんでしょ?」


「ええ、無理矢理にでも連れていきます。エリートなので」


 慇懃な態度に、レイシアはやっと力の入るようになった手で、ゼレットの腕を振り払った。

 逃げなくてはいけない。


 その一心で、大声を上げようとするレイシア。しかし、魔人がみすみす許してくれるはずもなかった。

 またしても、声を発する前に視界が白く(かす)む。


 二度目の脱力。そして、ぐったりとしたまま、碌に抵抗もできずゼレットに担ぎあげられる。


 レイシアを担ぎあげたゼレットは、周囲に人はいるというのに、どういうわけか、それほど視線を集めていない。


 悠然とした足取りのゼレット。その口元には笑みが浮かんでいる。


 こうして、レイシア姫の争奪戦は、魔人を勝者に据えて、幕を引いた。


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